1-1(4) 祓い
蓮見さんが睡蓮の咲く池へ僕を案内する。
白い羽織、焚かれる香。―少し頭がしびれるような香り。彼女が飛び石を渡りはじめた瞬間、夏の虫の気配が消えた。…暗い?世界が彩を失くしたような景色に変わる。風もないのに、わずかに水面に波紋が現れ、睡蓮が揺れる。
僕の裾が葉に触れたはずが、すり抜けた―?!思わず彼女を見ると、口元に1本指を立て(口を開くな)と制された。
東屋につくと、香と神棚、鏡…もっともらしい道具が並んでいた。雰囲気に呑まれていると、ふいに彼女は僕の頬に札を貼った。めまいを覚えて椅子にどかりと崩れ落ちる。
「その札は麻酔代わりだ。楽にしてやるから安心しな」
粗野な言葉遣いの彼女は切れ長の目を一層鋭くさせ、脇に差していた刀身のない刀を抜く——
「
何かの名を読んだ瞬間、青白い氷のような刀身が現れた。陽炎のような光をゆらゆらと揺蕩わせている。現代の日本は封建社会だし普通に銃刀法違反だ。
「場合によっちゃあ……喰ってもいい」
『……承知』
蓮見さんの背後にうっすらと佇む人影。声は男性だったが、面をかぶっているように見える。あれが
『びゃあ、びゃああぁぁ!!』
先ほどとは別の、しゃがれた誰かの叫び声が聞こえる。声の主は、僕の側にいた。
「な、なんだこれ……」
僕の片足にしがみつく何か……餓鬼のような風貌だ。血色の悪い肌、異様に腹部だけ膨張した胴、細い手足。ぎょろっとした丸い目。これが、僕に憑いていた貧乏神……
僕に憐みと慈愛をないまぜにしたような……悟りの目が向けられている。彼女は短いため息をつき、ついに刀を振り上げた。あぁ、これでやっと僕の徒労は終わるのだ——僕の首筋に、一筋、二筋と続けて汗が流れ、胸や腹を伝う。最後の瞬間を見逃すまいと目を見開き、座して待つ。
——あ、貧乏神の目と目が合ってしまった。
『びゃあぁっ……びゃあ……!!』
助けを求めて懇願する声。僕は痺れた体を振り絞り、わずかに首を横に振る。
「ごめんよ。一緒にはいられないんだ。」
彼女は僅かに渋い顔をして諫める。
「蒲田さん、余計なこと言うもんじゃないよ……そうら、見ろ。」
『び、ぎ、ぎぃ……!!』
貧乏神は上目遣いですり寄り、僕の体に爪を立て始める。鋭い爪が肉に食い込んで一部出血しているが、麻酔のおかげか痛みはない。札の効果が切れたら痛そうだ。
「おい。」
彼女は冷たい目でゆっくりと刀を下げ、標的に向ける。刃の切先が自分に向けられたと知るや、貧乏神は怯えた目を闘争の色に変える。口からガタガタで黄色い牙がのぞき、今にも飛び掛かりそうな形相だ。しかし、彼女は怯むどころか余裕さえある。
「この件はどちらにも大きな非はない。少しは容赦しようじゃないか。」
彼女はもう一方の手で、手のひらサイズの小さな神社を前に差し出した。一旦僕から切り離し、再度彼女の管轄地域内では誰かに憑けないよう術を施す。その後は好きにすればいい、と言った。
「この代わりの社に宿れば喰わせたり封じたりしない。だがお前、四季の蓮見家の嫡子たる私に勝てるかい? よくよく考えるんだね。」
『……』
完全に沈黙。再度刀を振り上げられる様子に、貧乏神の小さい背がびくりと震えた。目を固くつむり、名残惜しそうにパーカーの裾を指先でつまんでいる。
「はじめるよ」
僕は今日初めて見た。突然現れる刀も、神様も、
彼女の背後に、半透明で鈍く光る不思議な模様が浮かび上がる。樹形図と文字が混ざって、プログラムのコードを思わせるなにかが展開された。体の表面に蒼炎のような光の膜をまとう。神妙な面持ちで、貧乏神の頭めがけて刀を——
正直、あの結末は拍子抜けだった。彼女は刀をこつ、と貧乏神に当てただけ。僕と貧乏神の間に一筋の閃光が走り、パーカーから指が離れた。僕に触れようとする指は、何度やってもそうして弾かれてしまう。これが祓い?思ったのと違うな……
パン!爆ぜるような音で我に返る。蓮見さんが両手を強く打つと、僕の意識は清明に戻った。座ったバランスが悪かったからか、腰とお尻が痛くて思わずさする。
「終わったよ。金欠は解除された」
蓮見さんが「ご苦労さま」と刀に話しかけると、刀身はすっと消えて柄と鍔だけになった。それを懐に戻したら、ちゃっちゃとあと片付けを始めあっさりしたものだ。また両手を打ち鳴らすと、彼女を起点にぶわっと波のような波紋が広がり、視界に鮮やかさが戻った。水辺がきらきらと輝き、花びらの透明感も美しく感動する。世界が命を吹き返したかのようだ。
「いつまでそうしてるつもりだい。その社が嫌なら、よそへ行ってもいい。人に迷惑さえかけなきゃ、神とて人に縛られる存在じゃない。」
蓮見さんはすぐ新しい住まいに移らない様子を見て痺れを切らしたようだ。まだ貧乏神はただうなだれて、社をつつきながら恨めしそうに僕を見ていた。僕は蓮見さんに促されて弟と肉まんのもとへ戻る。弟がおろおろとした様子で真っ先に駆け寄る。
「兄さん、大丈夫!?」
「は? 蒲田お前、ほんとに?」肉まんは目が点になっている。
証明社の2人は通りすがりに「お見事……」と深々と頭を下げた。
「…結局、あれどうなったんですか」
「ん? 諦めるまで置いてきた!」
蓮見さんはあっけらかんとした笑顔で答え、東屋の方を指差す。
「代替の社に入ったら回収する。なに、あれもいっぱしの神だ。酷いことはしないさ。お前に帰ってくることもない」
「そんな、まるでみたいに…」
肉まんは「何だよぅ、それ…リアルの方が地味って逆に怖いよぅ」と震えた声で言った。
「え?」
意外な声を返す僕に、肉まんは一瞬固まる。ちらり、と弟は肉まんに目線だけ向けるが、戻して何も言わない。証明社の優しそうな女性の方、白川さんが口を挟む。
「実際こんなものですね。視えない人には味気ないでしょうが……」と穏やかに言った。漫画で見るようなパフォーマンスは殆どないそうだ。
「……ん? 待って! 視えてなかったの、俺だけえぇ?!」
肉まんの悲痛な叫びが近くの虫たちを散らす——
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