第5話:地獄の特訓スタート!~筋肉痛とダイエットの狭間で~
体育館の熱狂から一転、柔道場は冷たい静寂に包まれていた。あの新人戦での敗北は、ひなたたちの胸に鉛のように重く沈んでいた。しかし、その重さは、もう単なる無力感ではない。山田先生の「悔しいか?」という問いが、ひなたの心臓の奥底に、新しい火種を灯したのだ。その火種は、仲間たちの瞳にも、確かに宿っていた。
柔道着の汗が乾ききった放課後。五人は、あの広い柔道場の畳の上に、再び立った。昨日の試合とは違い、誰一人として笑い声はない。ただ、畳の埃っぽい匂いが、ひなたたちの決意を吸い込んでいるかのようだった。
「…山田先生」
ましろの声が、凛とした空気を震わせた。その声は、部長としての責任と、仲間を守りたいという強い意志に満ちていた。
「私たち、本気で強くなりたいです。どうか、指導してください」
ましろは、五人を代表して、深く頭を下げた。ひなたも、つばさも、リナも、はなも、ツムギも。全員が、ましろの言葉に呼応するように、一斉に頭を下げた。畳の上に額をこすりつけるほど、深く。ひなたの柔道着が、かすかに擦れる音がする。
山田先生は、ひなたたち五人を、一人ずつ、じっと見つめた。その瞳には、いつもの気だるげな色に加えて、微かな驚きと、そして確かな探求の光が宿っているようだった。まるで、五人の内に秘められた「柔道の魂」を、その冷徹な視線で「フィルタリング」しているかのようだった。
やがて、山田先生は、小さく、だがはっきりと頷いた。
「…いいだろう」
その一言が、ひなたたちの胸に、熱い電流のように走った。
「ただし、俺の指導は、遊びじゃない。覚悟しろ」
翌日から、柔道部の日常は一変した。山田先生の「地獄の特訓」が始まったのだ。
「まずは、体力。柔道は、力技じゃない。だが、基礎体力は必要だ。一日中、動き続けられる体を作れ」
山田先生の号令とともに始まったのは、畳の上をひたすら走り続ける「打ち込みランニング」だった。道場の隅から隅まで、息が上がるまで走る。柔道着が汗で肌に張り付き、ひなたは息も絶え絶えに足を動かす。隣を走るましろは、涼しい顔をしているが、額には汗が光っていた。ツムギは「うおおおお! これが特訓っすか!」と叫びながら、それでもひなたより遥かに速いペースで走り続ける。はなは「ひぃ…ひぃ…」と息を切らし、つばさは顔を真っ赤にして、それでもひなたたちに食らいつこうと必死だった。
「ひなたよ、走り込みは、体幹を鍛える基本の基本じゃ。体が軸となり、技の威力を生むのじゃ」畳野幽の声が、ひなたの頭の中に響く。その声に、ひなたは「もう無理~!」と心の中で叫び返した。
走り込みが終わると、次は受け身の練習だった。柔道着が汗でじっとりと重い。畳の上に、何度も何度も体を打ちつける。ドスン、ドスンと鈍い音が、道場中に響き渡る。
「もっと、腰を低く!」「頭を守れ!」「音が小さい!」
山田先生の厳しい声が、畳の上に容赦なく降り注ぐ。ひなたは、最初こそ怖がっていたが、体が少しずつ受け身の感覚を覚えていく。背中が畳に叩きつけられる衝撃が、少しだけ和らいだ気がした。ましろの受け身は、最初から完璧だった。まるで教科書のように正確で、音もほとんどしない。リナは、受け身の練習中、時折、微かに体が強張るのが見て取れた。つばさは、顔を真っ白にして、それでも必死に受け身を繰り返す。その瞳には、深い恐怖が宿っているのが見て取れた。
「受け身は、柔道において最も重要な技じゃ。己を守り、相手に敬意を払う。そして、次の一手への助走となるのじゃ」畳野幽の言葉が、ひなたの思考に優しく響く。ひなたの受け身の質が、僅かに変わった気がした。
「次は、打ち込み。相手の動きを仮想し、技を磨け。自分の『一本』を見つけろ」
山田先生の号令で始まったのは、個別の技術目標を意識した打ち込み練習だった。ひなたは、自分の目標である「猪突猛進な一本背負い」を意識し、何度も何度も打ち込みを繰り返す。柔道着の袖を掴み、相手を想定して引きつけ、体を回す。汗が目に入り、前髪が額に張り付く。
「ひなた、もっと相手を引きつけなさい。腰の回転が甘い」
山田先生が、ひなたの姿勢を直す。その手が、ひなたの柔道着の背中を、ぐいっと引き寄せる。背中が先生の腕に触れる。その指先が、汗で濡れた柔道着越しに、ひなたの肌をかすめる。思わず、ひなたの背筋に、ゾクリと微かな戦慄が走った。先生の息遣いが、背後からかすかに聞こえる。ひなたの頬が、カッと熱くなった。
ましろは、正確な「内股」の打ち込みを繰り返す。その動きは、まるで精密機械のように無駄がない。リナは、投げ技の打ち込みを繰り返すが、時折、技をかける瞬間に体が微かに硬直する。つばさは、足技の打ち込みを必死に繰り返すが、投げ技の練習になると、やはり体が固まってしまう。はなは、受け身の練習に真剣に取り組む一方で、自分の柔道着を「もっと可愛くならないかな~」と呟いていた。ツムギは「うおおお! これが必殺技の特訓っすか!」と叫びながら、ひたすら組手を磨いていた。
練習の合間の休憩時間。ひなたは、柔道着を少しはだけさせ、床に大の字になっていた。全身の筋肉が悲鳴を上げている。腕を上げると、ぶかぶかの柔道着の脇から、汗でしっとりと濡れた脇腹が見えた。
「ねぇねぇ、ましろ~、ひなた、もう無理かも~…」
ひなたが泣き言を言うと、ましろはスポーツドリンクのボトルをひなたに差し出した。
「水分補給しなさい。それと、プロテインも忘れずに。柔道は体力を使うわ。ちゃんと栄養を摂らないと、痩せるどころか倒れるわよ」
ましろは、冷静にそう言って、プロテインの粉末が入ったシェイカーをツムギに渡す。「ツムギ、これは筋肉増強剤じゃないから、過剰摂取は禁止よ」ツムギは「え~! 漫画だと、もっと飲んでるのに!」と不満げだった。はなは、プロテインを飲むひなたたちを「なんだかかっこいいですぅ」と目を輝かせている。
「でもさ、プロテインって、なんか甘くて美味しいよね! 私、これなら毎日飲めるかも!」
ひなたが美味しそうにプロテインを飲む。しかし、ましろは冷静に首を横に振った。
「その甘さに騙されないことね。カロリーもそれなりにあるんだから」
ダイエットを掲げるひなたと、柔道のための栄養摂取という現実の狭間で、彼女たちの葛藤は続く。ひなたは、練習で消費したカロリーを、プロテインで補給する度に、体重計の数字が少しだけ減っていくことを夢見ていた。ひなたの脳内では、摂取したカロリーと消費したカロリーが、AIの内部ログのように高速で計算され、柔道という行動が、ダイエットという潜在的な欲望と、より強く結びついていく。
「ひなたよ、柔道はな、ただの肉体労働ではない。己の食欲とも戦い、心を鍛える武道じゃ」畳野幽が、まるで試すように呟いた。
その日の練習後、田中事務員が柔道場に現れ、柔道場の使用時間を一方的に短縮する旨を告げてきた。
「理事長からの通達です。柔道部は活動実績が乏しいため、今後は他の部活動と時間を共有することになります。使用時間は大幅に短縮されますので、ご協力ください」
田中事務員の冷たい声が、柔道場に響き渡った。ひなたたちの顔から、血の気が引いていく。たったでさえ時間が足りないのに、さらに柔道場を奪われる。それは、部活存続への、新たな圧迫だった。
【柔道部日誌:ひなた】
〇月?日
筋肉痛がひどい! 毎日体がボロボロだよ~。でも、山田先生の指導、なんだか効いてる気がする!
ましろが「体幹が大事」ってうるさいけど、確かにバランス良くなってきたかも? ダイエットにも効くかなぁ。
よーし、憧れの色帯目指して頑張るぞー! はなちゃんもツムギちゃんも、みんなで頑張ろうね!
プロテイン、意外と美味しかったけど、ましろがカロリー高いって言うから、ちょっとショック…!
そして、田中事務員がまた嫌なこと言ってきた! 柔道場、さらに使えなくなるって! ひどいよ~!
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