「どういうことだぁ?」


 テーブルの上に何枚か写真を広げ、前のめりでそれと睨めっこしている中沢の姿があった。時計を見ると深夜十一時。この状態が続いてから、かれこれ二時間以上が経過していた。


 ——ピンポーン


 インターホンの音が鳴り響き、中沢は重い足取りで玄関に向かう。


「やほー。遅くなってごめん」


 玄関の向こうには、パーマをかけた長い金髪を垂らした若い女が立っていた。黒い革ジャンの中に、へそ丸出しの真っ赤なトップスを着ている。その下には、また黒革のミニスカートを履いており、網タイツに包まれたすらっとした細い足が伸びていた。


「三浦ぁ……」


 中沢は彼女の名前を呼ぶと同時に、大きなあくびをした。


「はい、これ。最近、相談者が立て続けに来て忙しいのよ。んで、例の写真、見せてもらえる?」


 三浦が酒の入ったコンビニ袋を手渡しながら聞くと、中沢がリビングのテーブルを指さす。そこに置かれている写真には、生い茂った木が写されているだけだった。その傍らには、5ちゃんに投稿されていた白い建物の画像をプリントアウトしたものが並んでいる。


「間違いないんだって。一緒に見て来たでしょ? あそこはもうないの。業者にも確認した。確かに櫻田香が死んだ二年後に取り壊されてるって」


「じゃあ、この投稿主はどうやって……」


 中沢は、先週末に三浦を連れて新潟に再度訪れていた。あの掲示板に投稿された建物を調査するためだった。例の建物を建てた業者は、倉橋の死後に社名を変えて現存していた。その業者から、当時建設を任されていた沖田という人物を教えてもらい尋ねたのだ。


 沖田は既に定年退職をしており、妻と共に残りの余生を角田浜で過ごしていた。


『あの建物を壊したのも私だ』


 沖田の主張によると、その投稿されている画像の建物は既に存在していないというのだ。彼はまだその場所を覚えていた。通行可能な所まで車で連れて行ってもらい、それ以降は草を掻き分けながら歩き、写真と合致する位置まで地図と照らし合わせながら探した。しかし、辿り着いたその場所には何もなかった。建物の骨組みや土台すら残されていなかった。


 どこかと勘違いしているのではないかと思ったが、付近にある特徴的な二股の木が目印となっており、周辺を歩き回ってもそこ以外の可能性は希薄だった。


「まさか本当に無くなってるなんてね……。まるで幻を見てるみたい」


 肝心のその掲示板は、取材をしたその日のうちに削除されていた。琴原さねの取材を終えた後、真琴からそのアドレスをもらっていた。画像はその直後に保存したもので間一髪だった。


『あの子がもうすぐここに来ます』


 スレッド作成者の最新の投稿がされた数時間後に、もう一度アクセスしてみた。ところが、今度は404エラーのページが表示されていた。作成者が故意にスレッドを消した、あるいは運営が何か問題を見つけて削除したのだろう。


「投稿主の身元も分からんから聞くこともできないし……。何でこんなことが起こり得る? 今まで初めてだ、こんなこと……」


 疲労と苛立ちを募らせていた中沢は、頭を掻きながら三浦の向かい側に座る。


「久々にヤバいものを引き当てたかもしれないわね。例の『二籠』の伝承、思ったより厄介かもしれないわ」


「何がヤバいんだ?」


「まず、記録が存在しないこと。大抵の怪異は、古くから語り継がれている民間伝承が元になっていたりするから、過去にも同じような事象が記録されているものなの。本か何かにね……今はネットが主流だけど。だから、根気良く探せば何かしらの手掛かりが得られるものよ。でも、今回に関してはそうはいかない。頼れるのはお祖父ちゃんだけ」


 三浦は数日前に実家の祖父を訪ねていた。祖父、三浦兼三郎けんさぶろうは、真言宗の寺の住職をしており、様々な怪異を引き起こすといわれている物品、所謂『呪物』を預かり、供養する役目を請け負っていた。そのため、他の住職よりもとりわけ怪異に関する知識は豊富にあり、孫娘である三浦も頼りにしている存在であった。兼三郎は、『二籠』の伝承に聞き覚えがあると言い、三浦にも話してくれたという。だが、それでも十分な材料が集まったとは言えなかった。


「お祖父ちゃんでも全部は分からないわ。それほど情報が少ないの。でも、人の心の中に潜んでいる負の部分が具現化して怪異を起こしていることは確実ね。昔の人は、その存在を『二籠』と呼んでいた。人間の中に、もう一つの意識が芽吹くの。元々それは幽霊でも、妖怪でも、ましてや神でもない。でも、人々はそれを神様にして崇め奉った」


「櫻田香が陥っていた状態だな。森永さんは『解離性同一性障害』って言ってたか。でも、この写真と何の関係が?」


「晃は、人が死んだら何処へ行くと思う?」


「は? ……分からん。俺は死んだことないし」


 中沢は両掌を上げ、肩を竦めた。


「多くの科学主義者は、死んだら脳みそが腐るから意識も消え去ると考えている人が多いわ。でも、そう考えるのは、物理的な側面でしか考えられていないから。精神的な世界、つまりスピリチュアルの世界に『無』は存在しない」


「はぁ……」


「人は、心臓も肺も止まって、肉体が機能しなくなった状態を『死』と定義付けているだけ。でも、誰もその中にある『意識』が消え去る瞬間を観測したことはないし、それを証明したことはない、でしょ?」


「まあ、そうだな。でも、幽霊なんてもんは人の脳が起こすバグみたいなもんだろ? そんな論文をどこかで見た気がするな」


 中沢はグレープフルーツ味のチューハイを手に取り、プルタブに爪を引っ掻け「カチッ」という音を室内に響かせる。


「まさにそんな感じ」


「何が?」


 三浦はプルタブの部分を指さし、妖艶な身体を捻らせテーブルの上に腰掛けた。ぷるっとした唇を引き伸ばして笑みを浮かべた。


「意識を音に置き換えて考えるといいわ。脳が機能を失った瞬間、意識は脳から一気に空間に拡散される。さっきの音が部屋に響き渡ったように。でも、すぐに消えてしまう音とは違って、それは長期間持続するの。過去の記憶、死ぬ時の心情、諸々を残して……」


「……それは、憶測というものでは?」


 中沢は呆れたように言うと、再び缶を口に付けた。


「あなたの言う通り。見える私だから言えることなのかもね」


 三浦もピーチ味のチューハイを取ると、ゴクゴクと音を立てて飲み始めた。


 三浦葉月はづきは生まれついての霊感持ちだった。オカルト雑誌を専門にしている中沢にとって、彼女は唯一の相棒であり協力者でもある。兼三郎からその能力を受け継ぎ、数々の心霊現象を共に調査していた。依頼者から高額な金銭を徴収する胡散臭い霊能者の存在を心底嫌っており、能力で生計を立てることを疎んでいた。


 高校を卒業した後は、ガールズバーで働きながらボランティアで怪異に苦しむ人々の相談に乗っていた。そんなことをしていたら瞬く間に噂が拡散され、最近ではバーの常連にも『ギャル霊能者』と言われ始めている。見た目は奇抜だったが、性格はそれに似つかわしくなく穏やかで物静かであった。


「晃、あんまり幽霊信じてなさそうだし、何でオカルト雑誌の編集長なんかしてるの?」

 三浦は含み笑いをしながら中沢を見下ろした。


「全部信じてない訳じゃないぞ。これみたいに、説明つかない現象にも何度か出くわしたことがある。ただ、自分の中でそれが『怪異』だと納得できた事がない。もしかしたら気のせい……かもしれないだろ? ただ懐疑的なだけだよ」


 中沢がそう言うと三浦は「ふっ」と声を漏らして笑い、口内にチューハイを注ぎ込んだ。

「晃がどう考えていようが、これはもう形として起きてしまっていることよ。それで……私が言った事で、いくらかこの現象が理解できたんじゃないかしら?」


「ああ……確かなことは言えないが。君が言いたいのは、死後もその場に残った櫻田香の意識が、例の建物を再現したということだろう? つまり、この写真はあり得ないものを写している。この家の中に写っている女だけじゃなくで、この写真そのものが怪異……」


「それだけじゃない」


 三浦が404のページを映したスマホを中沢の前にちらつかせた。


「このスレッドを立てた人物は、果たしてどうやってその写真を撮ることができたんでしょうか?」


「それは……」


 ありとあらゆる可能性を脳内で巡らせるが、一向に答えは出ず黙りこくってしまった。


「人は『見たいものしか見ない』、『見えるものしか信じない』。怪異は、いとも簡単に現実のものに化けることができるのよ。誰かに自分の存在を知らせるためにね……。最初にこのページを見つけたのは誰?」


「ああ、確か森永さんだよ。真琴と一緒に住んでる。脳科学者なんだってさ……」


「今は何処にいるの?」


「確か、依頼メールの取材に行ってるんじゃないか? 何か気になることでも?」


 三浦は静かにテーブルから降り、座る中沢の顔の高さまで屈んだ。仄かに甘い香水の匂いが彼の周辺を漂う。中沢の肩の辺りまで顔を近づけ、声量を落として言う。


「彼は、怪異を呼び寄せちゃう体質なのかも……。ひょっとしたら、彼の身にも……」


 中沢は三浦の目を見ると、息を呑んだ。


「……今すぐ連絡しよう。場所は分かってる」


 急に中沢の表情が硬くなり、三浦も険しい表情に変わった。

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