踏み違えた夜〜夢の痕〜
@hsgww
第1話
その背中の痕、私じゃないよね。
爪を立てられるような夢をしたの?
私はベッドに横たわり、バスローブを着ようとする彼の仕草を見ていた。
どこか、今日はぎこちなかった。
彼のきっとその後ろめたさの理由が、背中にあった。
「どうした?」
彼は私の視線に気がつき、慌ててこちらへ振り返った。
普段なら残っていない、ヒゲが、今日は残っていた。
きっと、そんな事が気にならないくらい、夢中になっていたのだろう。
これで終わりか、となんとなく察した。
あのぎこちなさは、後ろめたい気持ちを隠すが故の、白々しい演技をしていたに違いない。
ここ2年は手も繋がない。メッセージのやりとりは、何時間もかけて返ってくるにまで至っていた。
今日は異様な返信のスピードだった。
その上、自分から手を繋ごう、と言ってきた。
最初は、久しぶりの出来事で驚き、喜んだ。
だが、最近の彼から私へのやりとりは、付き合いたての頃とは全く想像もつかないくらいにお粗末なものになっていた。
3年も付き合った、貴重な学生生活の、3年間。
四回生にもなったと言うのに、今更この人以外の男を見つけるのはやや困難であろうことはわかっていた。
大学、バイトと趣味が一緒で、すぐに意気投合した。
出会って半年、二回生になり、彼から告白をされた。
お酒を飲めるようになり、はしゃいでいた時期だ。
端正な顔付きと、私よりもはるかに背が高く、学があり、発言の一つ一つは理知に富んでいた。
そんな中でもユーモラスな彼で、突拍子もないデートや、思わず吹き出してしまうような世間離れしたジョークに、私は酩酊し、この人しかいない、とまで思いこんでいた。
就活も終えたタイミングで、ゼミも卒論を提出しなくてもいいゼミを選んだため、私の大学生活は、彼と共に終え、そのままきっと結婚するのだろう。
と、思いこんでいた。
彼にはこの数ヶ月、バイト先でやけに仲良くしている女学生がいる。
つまり、そういうことなのだろう。
思えば、彼女は今日襟元にアザがあったように見えた。
それに、昨日彼から返ってきた返事は、午前3時のものだった。
夢を見て、夢を見せられて、見せつけて、そのままふわふわとした頭で考えて、私に返事をしたのだ。
これで終わりか、と察したまではいいものの、もう彼は私に想いを寄せてはいない事実に打ちのめされそうだった。
目は潤んだ。バスローブを私も着て、彼の横に座ろうとした。
向き合って話そう、そして飲もう、と彼は既にぬるくなった缶チューハイを片手に、酔いで誤魔化すかのように話を続けた。
支離滅裂で、何を言っているのか、ハッキリとわからなかった。
とにかく、私を遠ざけた。
そしてこの淡く、仄暗い部屋の照明に照らされて、ようやく気付いた。
彼の鎖骨の辺りに、夢の痕があった。
シャツを着ていれば、照明を消していれば、見えないような痕だった。
賢しい。
そんなこと、後ろめたいがためにつけたに決まっているじゃないか。
これで終わりか、とも思った。
ただ、これで終わらせてはいけない、と思った。
私からフラれたら、彼の別れ話に昇華され、あの子との見事な花道を用意してしまうような、そんな気がして悔しかった。
ただ、私から別れは告げよう、と心から思った。
もう、告げてしまおう。
「別れよう」
そう淡々と告げた。
彼は一瞬申し訳なさそうな顔をしたが、すぐに切り替えたようで、こう放った。
「俺と君とじゃ、俺が釣り合わなかったんだ。ごめんね、そうだね、別れよう」
すんなりと言ったことに、話が進んだことに、悲しみと怒りが込み上げてきた。
バイトという狭いコミュニティの中で、浮気をしたのだ。
どんな結末になるか、そんなことは安易に想像がつくだろう。
私は彼に馬乗りになって、お互い火照った躰を密着させ、堂々と、右耳下の首筋に、首の筋が浮き上がるそのラインに、私との夜を終わらせるように、夜の痕をつけた。
あの子の視線が、その痕に気づくまで私を認識させる。
君との幸せをしたこの夜、私は加担した。
適当なところまで追いかけよう。
簡単には、行かせない。
その首筋に残った私といた証。
あの子に見せつけてやってほしい。
踏み違えた夜の怖さを教えてあげる。
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