第9話:その男、取り扱い困難につき

 ──神界、審議の間。

 白大理石の柱が林立し、果てしなく広がる天蓋には、星々と同じ光が瞬いている。

 人間界で御神体が涙を流すとき、それは神々に召集がかかる合図であった。


 中央に立つのは、この世界を治める主神・ルシフォリオ。

 金色の長衣をまとい、その眼差しは烈火のように揺れていた。


「──お前たち! 何を送り込んだのだ!」


 声は殿堂を震わせ、他の神々の玉座にまで響き渡る。

 会議に集まったのは、人間界の魂を選別し、転生の振り分けを担う“面接官”の神々。

 佐藤マサシを「採用」とした、あの顔ぶれである。


「静まれ、ルシフォリオ」

「まずは落ち着いて説明を──」


「落ち着けるものか!」

 ルシフォリオは雷鳴のように言葉を打ちつけた。

「我が世界の均衡は、いまや崩壊の瀬戸際にある! あの男、佐藤マサシの仕業でな!」


 神々の間にざわめきが走る。


「あいつは奴隷たちに謎の真理を埋め込み、盗賊団に囚われた際は、『犬』と呼ばれながら歓喜していた。団員は困惑し、ついには頭領が“処分せよ”と命じる騒ぎに至った」

「……犬、だと?」

「それが喜び? ありえん......いや、ありえる」


「闇ギルド。自爆テロとして仕込まれるための教育係の男を逆に“洗脳”し、自首させ組織壊滅に追い込んだ!」

「教育係が……逆に? 冗談だろう......チートキャラか」

「騎士団を中心に祟りだと呪いだと不穏な噂が神聖王国内にも蔓延してきている」

「それに奴が関係しているとでも?」

「そうだ!むしろ関係じゃなくて奴だ!」


 神々は顔を見合わせ、言葉を失った。


 ルシフォリオはさらに声を強める。

「そして──何よりも許せぬのは、我が世界の光、『慈愛の聖女アリア』だ!」


 殿堂の空気が凍りついた。

 アリアの名は神々にも知られている。清らかな慈愛で人を導く聖女、信仰の象徴。

 ルシフォリオは拳を握りしめ、声を震わせた。


「私は彼女に加護を与え、この世に遣わし人々の希望とした。だが……奴は、たった数日のうちに彼女を“変えて”しまったのだ!」


「変えた……?」

「聖女を……?」


「そうだ! 奴の言葉により、アリアの“癒しの力”は拒絶され、慈愛の加護は消滅されられた! 神に選ばれた代行者が……たかが一人の人間に、だ!」


 憤りと恐怖に揺れるルシフォリオの姿に、神々は沈黙した。

 神の代行者すら変質させた男。もはや笑い話では済まされぬ。


 ルシフォリオは一歩踏み出し、面接官の神々を睨めつける。

「問う! お前たちの面接に問題があったのではないか! あるいは過分な加護を与えたのではないか!」


 数瞬の沈黙ののち、神々の一柱が口を開いた。

「……確かに、あの面接は……大問題だった」


「ほう、やはりか!」

「あの面接は異常だった……。奴の眼差しに映ったのは、加護を求める渇望ではなく、“縛られる幸福”そのものだった。我らはその純粋さに、ほんの一瞬だが神である自分の存在価値を疑ったのだ」


「しかし!」と、別の神が慌てて言葉を継ぐ。

「加護は一切与えていない! あの男に授けたのは、ただ一つ──『枷』だけだ」


「…………なに?」


 ルシフォリオは愕然とした。


「加護ではなく……枷、だと?」

「そうだ。力も権能も与えていない。むしろ逆だ。足枷となるはずの試練を課しただけにすぎない」

「魂の力も決して汚れているわけでもなく、特別に輝きを放つものでもなかった」

「その通り。本人が『加護』ではなく、『枷』が欲しいとプレゼンしただけで、特別なことは無かったのだ......』


「では……奴は……己の意思だけで聖女を……いや、世界を歪めているというのか……」


 ルシフォリオの顔から血の気が引いた。

 怒りが恐怖へと反転する。


「しかし今思えば、面接の際に我らが自らの言葉を失うほどの存在ではあったな......」

 神々の間で声が飛び交う。


「ふざけるな!神の加護に干渉できるものが普通のはずがないだろう!」

「いや、加護に干渉したなど勘違いではないのか? そんな人間が存在するはずがない!」

「人の精神が神の代行者を崩すなど前代未聞!」

「そもそも、我々はルール通りに“採用”としたのだ! 責任は我らにはない!」

「問題ないというなら、貴殿の世界でこの魂を引き取れ!」

「おい、押し付けるな!」

「我が世界に引き取れ? ふざけるな! そんなものを入れれば信仰体系が崩壊する!」


 殿堂は混乱の渦に飲み込まれた。


 ルシフォリオは雷鳴のごとく叫ぶ。

「ならば、どうすればよいというのだ! このままでは、我が世界は持たぬ!」


「……一つだけ、道がある」

 議長役の古き神が低く言った。


「元の世界に戻すのだ。彼の魂が生まれた、あの現世へ」


 神々が息を呑む。

「元の世界であれば、彼の世界の神も文句は言えまい」

 その言葉に対して誰も反論できなかった。


 沈黙の中、ひとりの神が呟いた。


「……あれは本当に人の魂か? それとも、神々を試す神を超える意志なのか」


 その言葉が、審議の間に重く響いた。

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