第2話 あなたの夜

おはよう、ペル子。


カーテンを開けるシノメがナイトテーブル越しに見える。身体を起こそうとすると倦怠感を感じ、ベッドに沈む。この世界では太陽が沈まず夜が来ないせいか、ペル子の身体には十分な睡眠が行き渡っていない気がした。


「今、何時……ですか?」


「もう9時だよ」


それはどっちなんだろう。純粋な朝なのか、本来夜の朝なのか。おはようと言っていたから純粋な朝なのかこの世界では夜でもおはようというのか。


とても生きにくい世界だ。

amもpmもないのでは自分が寝たのが3時間なのか15時間なのかも判別がつかない。

この身体の重さは睡眠時間三時間から来ているものであってくれ。


「ミコクの9時だよ。今日は天気がいいからねぇ。外にでも出掛けようか」


頭を抱えているのを悟ったのかシノメが付け加えてくれた。

しかし、ミコクの9時、とは……?


「ミコクの!9時とは?!」


「ズバリ朝の9時ということさ!」


それは一体どっちの朝なんですかぁぁぁぁぁ。





「いいかペル子、昨日シノメが言っていたようにこの世界に明確な時刻は無ぇ。あるのは今からどれだけ時間が経ったのか、その過程だ。大昔の考えには陰陽の考え方があったらしいが今はもう無くなってしまった。だが、”夜の存在”については知らないものはいない。絵本から映画まで、”夜”を題材にした話は世の中にごまんとある。だから俺たちは生まれた時から夜について聞かされて育ったし、見たことがないだけで憧れではあるんだ」


「憧れ?イードは夜を見たことがないの?」


「俺だけじゃない。シノメだって夜を見たことはない。今地上に生きている人間はみんな夜を見たことがないんだ」


「じゃあ本当に、この世界にはずっと太陽が昇っているんだね」


「ペル子は夜を知ってるのか?」


「知ってるよ。だって私の知ってる夜は毎日訪れるから、私の中の常識では夜を見たことがない人はいないと思っていた。でもそうじゃないんだってことが分かった。この世界に来て私の思ってた常識は全ての人に通じると思ってたのに、白い化け物とか、歌う動物の”くじら”?が煮つけになって出てきたりとか私の知らない事ばかりだった。この世界には私の知らないことで溢れている。それがちょっと怖くて……」


ペル子の言葉に納得できないというように、イードは眉間にしわを寄せている。


「じゃあペル子は世界の真実を全部知ってるのか?」


「”知っている”つもりだった。私は世界の全てを知っているつもりだった。それは小説や映画のフィクションの話じゃなくて、人づてに聞いて納得したものでもなくて、私が実際に視て、知っていた。少なくともここへ来るまでは私はこの世界について全知全能とも言っていい状態だったはずなんだ」


「夜も見たことが?」


「実際にある。私は夜を生きていたし、朝も生きていた」


「そうか」


イードは優しい声色で一言。まるで突拍子もないことをいう私をなだめているかのような遠い目をされて、ムッとしてしまう。


「本当だからね!?」


「何の話をしているんだい?二人とも」


ペル子の声に誘われてか、ニコニコしながら食後の飲み物を運んできたシノメが興味津々で聞いてくる。


「お、ありがとう」


お礼を言いながら飲み物に手を伸ばすイードが続ける。


「どうやら、ペル子は夜を見たことがあるみたいだ」


「えぇ?本当??」


イードの手が飲み物を受け取るより先に、飲み物はテーブルに置かれた。置くなり、急いで椅子に座り直したシノメが目を輝かせながら話に加わった。


「ペル子は、夜を見たことがあるの?実際にその目で?」


「はい。毎日見てました」


「うぉぉぉ、凄いなぁぁぁ。じゃあ夜の空には本当に絵が描いてあるのかい?」


「絵、ですか?」


「うん。私たちの知っている話では、夜は神様のキャンバスだったんだって。そこには無数の光が列を織りなし、静かに人々の生活を照らし続ける。まるで神様の描いた使いが、地上の全てを見守るように」


「素敵な話ですね」


「不安も喧騒も争いも、夜が訪れているうちはその足を止め空を見上げる。そして神様の描いた絵に名前を付けて後世まで語り継ぐんだ。素敵だろう?特に私の好きな話は王子様が……」


「ペル子、シノメは星の話になると辞め時を見失う。止めるなら今のうちだぞ」


「あわわわわ、シノメさん落ち着いてください」


イードの言葉に慌ててシノメを制止する。


「すまない取り乱してしまったよ」


熱くなった身体冷やすようにしてシノメは口に飲み物を流し込む。シノメが落ち着いたのを見て、口を開く。


「私の知っている夜にも”星”があります」


その一言でシノメに先ほどまでの情熱が再燃するのをひしひしと感じる。


「絵というほどではないんですけど私の知っている星は”点”で、人々はその点を”イメージ”で紡ぎながら動物や人物に見立てていました。その星の集まりが私たちにとって重要な座標でした」


「座標?」


「これについては少し長くなるので省きますが、私たちは星を紡いで何代にも渡って物語を伝えてきたんです」


「”星”はどうやって光っているの?太陽の欠片なのかな?」


シノメは依然として興味津々だ。


「星は惑星です」


「惑星?」


「えーっと……別の地上、みたいな?感じです」


「私たちの住んでいる”地上”が他にもあったってことかい?」


「そんな感じです。それは円形で、太陽に照らされることで光を帯びます。他の地上に反射した光を私たちの地上から確認すると、それが星に見えるんです」


「でもでも、夜っていうのは太陽が消滅している状態だろう?太陽は朝に生まれ、夜に消滅する。神による創世から由来してこの破壊と創造が朝と夜の境界を作っているって聞いたよ。だから私たちの中の”夜”という存在は逸話や伝説といったフィクションに過ぎなかった。ペル子、なんで太陽がないのに星が見えるの?」


「それは簡単です。ずばり夜でも太陽は消滅していないんですよ。私の知っている夜は太陽が地上の裏側に移動することで訪れます。太陽が私たちの真上にあるうちは朝、私たちの足の裏側にあるうちは夜ということになります。しかし太陽の光の強さは絶大で、仮に地上の裏側に回ったとしてもその光は地上にいる私たちの方にも微かに漏れ出てきます。その漏れ出た光が他の地上に反射することで、私たちは星を確認することができるんです」


「ほぉぉぉぉ。なんというメカニズムなんだ。まさか私たちの常識が間違っていたなんて」


シノメは飲み干してしまった飲み物の代わりに、既にクッキーの小袋を四つほど開封していた。そこに黙って聞いていたイードが口を開く。


「ペル子は何で”夜”にこだわるんだ?」


「えっ」


「あ、いや変な質問だよな。なんというか、今朝のペル子はまるで夜を求めているみたいだった。俺やシノメが夜を見たいと思うのは、見たことのないものに抱く好奇心のようなものだ。でもペル子は夜を知っている。それも毎日体感していたと。

人の興味は時間が経てば過去にながれてしまうというのに、ペル子は何故毎日のように見ていた夜を今も求めているんだ?夜っていうのは実物にもそれほどの魅力があるのか?」


「それは、夜が静かで落ち着くからです。夜は暗い、故に身を隠すのには最適なんです」


「そうか」


イードはまたもなだめるような目で言った。

喫茶箱舟には時計の音も響かない。ただ、太陽の陽に纏わりつかれたカーテンがつらつらと行く当ても分からず揺れているだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る