<7・怪異。>

 その時、ゆいな以外に教室に来ていたメンバーは以下の者達だった。

 三つ子の藍沢英、貞、京の三兄弟。そっくりな顔をしているが、眼鏡をかけているのが英で、スポーツ刈りにしてるのが貞で、若干小柄なのが京だろう。

 それから泣いている小学生のように童顔な少女、茶川湯子。

 彼女を支えている長身でボーイッシュなショートカットの少女、虹村エリカ。

 我関せずで見守っている藤森亞音と、彼の友人であるお元気少年の黒江瞬くろえしゅん。その瞬のことが好きらしい、と噂が立ったこともあるぽっちゃり系女子の木肌真梨衣きはだまりい

 そして言い争っている黄島沙穂と、分厚い眼鏡にお下げ髪のオカルト少女、灰田美冬。合計十人。ゆいなを入れると十一人になる。やはり、今日は大雪の影響で他の生徒たちはまだ来られていないということらしい。

 この分だと、先生も来ているかどうか怪しいところだ。なんにせよ、ホームルームが遅れるのは明白だが。


「ストップ、ストーップ!」


 沙穂と美冬の仲が悪いのは周知の事実である。だからって、人が泣くほど喧嘩をするのはやりすぎだろう。ゆいなは鞄を自分の机の上に投げると、二人の間に割って入ったのだった。


「沙穂も……灰田さんも。一体朝からなんなのさ?なんでそんな大ゲンカする羽目になってるわけ?もうちょい落ち着きなよ。何があったの?」


 どうどう、と宥めながら言う。ヒートアップしていた自覚があったのだろう、沙穂が渋い顔で視線を逸らした。


「……この学校には、ニコさんがいるんだってさ」


 口を開いたのは、沙穂の後ろで湯子を宥めていたエリカである。彼女はこざっぱりしたショートカットの髪を掻き上げて、困惑したように美冬たちを見ていた。


「そこの灰田さんがね?この学校に封印されていたニコさんが解き放たれた、今日みんな死ぬんだって言いだしたんだ。それで……まあ湯子は、そういうオバケとか昔から苦手だから、この通りびびっちまってさ。怖がってるからその話はやめてって、あたしも灰田さんに言ったんだけど灰田さん聴いてくんなくて……そしたら、それを見てた沙穂ちゃんがキレちまったというか。いや、あたしと湯子のために怒ってくれたのは嬉しいんだけど、このままじゃ殴り合いになりそうでさあ……」

「なんとなく察した」

「うちは悪くあらへん」


 食い気味に沙穂が口を尖らせた。


「オカルトとか、ホラーとか、そういうの信じるのは自由や。神様はなんぼいてもええし、うちらに見えない幽霊やらなんやらがおったってええ。ちょっと面白いとはうちも思うしな。せやけど、そういうのは人に押し付けるもんやない。嫌や、怖い、って言う人を驚かせて面白がろうっていう考えがどうしても許せんねん。湯子ちゃんは嫌がっとったやろ。なんでやめへんの」


 ゆいなのことをどうこう言うが、実際沙穂も結構正義感が強いタイプだと知っている。彼女からすれば、灰田美冬が茶川湯子を虐めているようにしか見えなかったのだろう。


「心外ね。わたしは、別に虐めたいと思ったわけじゃないし、怖がらせたかったわけでもないわ。勝手にそっちが怖がっただけじゃない」


 そして、美冬も美冬で自分の過ちを認める気はないらしい。ふんっ、と鼻を鳴らして反論する。


「わたしは昔からみんなに忠告してきたはずよ?この学校には、とてつもない力が封印されている。その怨霊からみんなを守るためにわたしはここにいるんだって。わたし、ずーっとその力に呼びかけ続けてきたの。恨みをなくしてください、浄化して天国にいってくださいって。わたしの説得をきいてくれていたから、怨霊は今日まで暴れだすことがなく、みんなが平和に暮らせていたのよ。むしろ感謝してほしいくらいね」

「また出たわ、オカルトかぶれ。自分、そんなに特別な人間になりたいんか?あんたをほんまの霊能力者だと信じてるやつなんか誰もおらへんで」

「まあそれも仕方ないでしょうね。あんた達凡人には幽霊も神様も妖怪も何一つ見えないんだもの。凡人は、目に見えないものを信じる勇気なんてない。臆病だもの、しょうがないことだと割り切ってるわ」

「凡人凡人って馬鹿にしとるんか!?」

「まあまあまあまあ、落ち着いて沙穂」


 確かに、この調子ではろくに会話にならないだろう。拳を振り上げる沙穂を、どうにか宥めるゆいな。向こうの方で、「やっぱり女こええ」と三兄弟がお互いに言い合っているのが見える。お前たちは仲裁を人に任せてないで少しは助けたらどうだと言いたい。


「えっと、灰田さん」


 とりあえず、ゆいなは美冬に話を聞いてみることにした。正直、自分も灰田美冬の霊能力なんて信じてはいない。彼女が特別なものになりたくて、自己顕示欲ゆえ妄想に浸ってるだけだとは思っている。

 それでもだ。こういうトラブルが起きた時、彼女の言葉を一概に否定するのがまずいということくらいわかっている。お前は違う、それは嘘だ、と言われれば言われるほど美冬も意固地になるだろう。本物の霊能者だろうとそうでなかろうと、誰かに認めて欲しい気持ちがあるからわざわざ人に話すというのも間違いないことだろうから。


「その、訊きたいんだけどさ。確かに、前々から灰田さんは、この学校に凄いおばけ?神様?か何かが封印されてるみたいなこと言ってたのは知ってるよ?でも、なんでそれで『今日みんな死ぬ』ってことになるの?灰田さんが、みんなを守ってくれてたんじゃないの?」


 それに。さっきエリカがはっきりと言っていた。彼女が言う怨霊とは『ニコさん』という名前なのだと。

 それはごくごく最近、亞音から聴いたばかりの都市伝説の名前だ。そして、その怪異によるものかもしれない死体が隣町で発見されたばかりである。

 美冬の言葉をまるっと信じることはできない。それでも、気にならないと言えば嘘になるわけで。


「……そうね。凡人には、もう少し詳しく、噛み砕いて説明しないとわからないのでしょうね」


 はあ、と深々とため息をつく美冬。また凡人って言いおった、と沙穂が呟いている。確かにいちいち鼻につくのは確かだが、今はスルーしておいた方がいいだろう。


「正直なところ。この学校に“何”が封印されているのか、わたしも分かっていたわけじゃないの。とてつもない力があるのは知っていたけれど、その正体までは読めなかった」

「ほう、大した霊能力やんなあ?」

「お褒めに預かり光栄ね黄島さん。でもね、人間にわかることなんてそもそも限られたことでしかないって気づいてる?確か貴女たち、クトゥルフ神話TRPGとか……海外で人気のSCPとか、ああいうもの好きだったでしょう?時々、お喋りの中で出てきていることには気づいていたわ。わたしも、ああいう発想は興味があるし……現実的に考えても、結構的を射ていると思うしね」

「クトゥルフ?どういうこと?」

「宇宙的脅威を人間が推しはかるのは不可能、ってことだろうな」


 口を挟んだのは、離れた席で我関せずと座っていた亞音だ。


「この場合は、クトゥルフよりSCPの方が説明しやすいかもしれない。SCPってやつは、基本的に“何でそうなったかわからないけれど、とにかく不思議な物体や現象”を言うものだろう?バケモノが這い出してくる赤いプールは、水の成分が何でできているかもわからないし、ろくな深さがあるとも思えないのに怪物が出てくる。どんな薬でも治せる万能薬は現代の医療の領域を超えているし、永遠に続く階段なんてのはもうわかりやすく原理が不明だ」

「まあ、そういうもんだよね。原理は証明されないけど、ただ不思議としてそこにある、っていうか」


 海外のサイトが日本語訳されて広まっているので、そのへんのものはゆいなも知っている。謎空間に引きずり込んでくる、体が腐ったおじいさんとか怖かったなあ、と思った記憶もある。

 そしてなんとなくわかった気がした。つまり。


「神様、妖怪、悪霊。……不思議な、オバケじみたものを人はそう呼ぶけど……実際その正体が何なのかわからない、ってことであってる?人間の技術では、そに後から名前をつけるしかできない、みたいな」


 ゆいなの言葉に、大体その通りだ、と頷く亞音。


「この学校で首吊り自殺した生徒がいたとする。それから学校で、首吊り自殺が多発したとする。……そうなると、多くの人はなんとなく『死んだ生徒の呪いだ』と思うだろう?でも、じゃあ本当にそれが死んだ生徒の呪いだと誰が証明する?普通の人間は幽霊なんか見えない。それこそ首吊って死んだ生徒の幽霊っぽいものが出現したところで、そいつが本当に“そのもの”だなんて誰が確定できるんだ。何かが真似事をしているのかもしれない、依り代を動かしてるのかもしれない、あるいは……生きた人間が幽霊のふりしてるだけかもしれない」

「あー、確かにそういう可能性もある……」

「それでも噂は流れるし、怪談はできる。結局、神様も悪霊も人が作るんだ。人が『そうであってほしい』と思った都合の良い考え方が、あらゆる怪異を作り上げる。……この学校に、謎の力の気配を感じた、そんな灰田さんの話が正しかったとして。それがナニであるのかは、結局感知した人が好きに解釈するしかない。だってどう転んでも、証拠なんて提出できないのだから」

「ほえ……」


 そういうものなのか、とゆいなはやや混乱しながらも思った。でも、納得したところもある。

 怪異を怪異たらしめるのは結局、それを観測した人間。その人物がオバケだと言えばオバケになるし、自然現象だと思えば自然現象になる、ただそれだけのことなのだと。


「説明が早くて助かるわ」


 肩をすくめる美冬。


「その正体を、わたしは具体的に定義したくなかった。だから、幽霊かもしれない、悪魔かもしれない、神様かもしれない……あらゆる可能性を視野に入れて監視を続けてきたの。確信していたのは一つだけ。その存在が、この学校を恨んでいるだろうということのみ」

「どうしてそう思うの?」

「本来の姿を失って、この世に留め置かれているのが明らかだったからよ。ようは、手足をもがれてがんじがらめに鎖で縛りつけられているようなもの。恨んでないはずがない。……わたしはその存在に対して呼びかけ続けた。どうにか、恨みを浄化して自力で元の世界に帰ってくれるようにと訴え続けたわ。力の大きさからして、恨みを持ったまま解き放たれたら恐ろしいことになるのは明白だったもの」

「そこまではわかったけど……なんでそれが“ニコさん”って名前だと?最近流行してる都市伝説と関係があるの?」

「まあね」


 ゆいなの問いに、美冬は笑みを深くした。


「この学校に来てからずっと、その正体がわからなくて困っていたんだけど。段々と、封印が緩んできている気配は感じていたわ。正直焦っていた。そんな時耳にしたのよ、ニコさんの噂をね」


 確信したわ、と美冬が言う。


「あれは、怪異の影響を受けて……誰かが意図的に流した話だとね」

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