クロノ・オーダー ~始祖が欺いた世界線~

暁 創

プロローグ

世界は、完全な均衡を追い求める。

だがその調和を破り、新たな法則を芽吹かせるのは、往々にして――名もなき、小さな祈りだ。


それが誰かの救いであれ、ただの衝動であれ。

その手が動いた時点で、歯車はもう元には戻らない。


……だから、あの選択も「偶然」ではなかったのだろう。

いや、むしろすべては整えられていたのかもしれない。

初めから、「始まり」がそこに置かれていたのだ。


たとえば、あの日の私がそうだったように。

この手が、世界を編み直す鍵であると同時に、終焉を呼ぶ引き金でもあったことを。


だが、仮にすべてを知っていたとしても――

私は同じ道を選んだだろう。


愚かさとは、選択の結果に気づかないことではない。

知ってなお、目を背けることだ。


私は、歩いた。

愚かで、不完全で、取り返しのつかない決断を胸に抱えながら。

それでも、歩いたのだ。


だからこそ、記さねばならない。

この身が、世界の理を「欺いた」結果として。

すべてのはじまりにして、赦されざる罪の記録を。


それが、この物語の始まりであり――私の背負うべき、唯一無二の罪なのだ。


────────────────────────────


 ネオ・イージス。

 魔法が息づく巨大都市。夕暮れ時、空を流れるエアカーの灯りが星のようにきらめいていた。


 都市の中心にそびえるクリスタル・タワー。その頂からは“イージス・シールド”と呼ばれる魔力の膜が広がり、街を淡く包み込んでいる。穏やかで、どこか神聖な光だ。

 ここでは、魔法は空気のように存在し、生活のあらゆる場面に溶け込んでいる。エアカーの自動操縦、家事ロボット、治癒魔法に娯楽――それは都市を循環する血流そのものだった。


 平和で、便利で、少しだけ夢みたいな日常。

 それが、レオ・オルディスにとっての世界だった。彼はこの街で暮らす、どこにでもいる学生のひとり。


 そして、そんな彼のそばには、いつも決まってひとりの少女がいた。


 エラーラ・ネヴィル。

 緑の瞳が印象的な、少しおっとりとした幼なじみ。アッシュブロンドの髪が風に揺れるたび、レオはふと見とれてしまう。優しくて、少し引っ込み思案で――けれど、芯の強さを持った少女。彼女の声を聞いていると、不思議と心が落ち着いた。


 そんなエラーラの左手首には、いつも青い石が巻かれていた。滴の形をした、小さなペンダントだ。年季の入った革紐に通されており、大切な家宝なのだという。


「これね、『原初の涙』っていうんだ。レオの目の色とおそろいなの」


 そう言って、いたずらっぽく笑った顔を、レオは今でも覚えている。



 その日も、レオとエラーラはカフェのテラス席で他愛もない会話を楽しんでいた。空がオレンジに染まり、通りの明かりが夜の支度を始めている。


「う〜、来週の試験、ほんっとめんどくさい〜」


 エラーラがストローをくわえたまま、テーブルに頬をつけて嘆いた。


「魔法エンジニアになるための試験だろ? エラーラの夢の第一歩じゃん」


 レオが笑い混じりに返すと、彼女は頬をふくらませて抗議する。


「わかってるけどっ! 高次元魔力演算論とか、因果律誘導プログラミングとか、名前からして難しいのばっかなんだもん……。ほら、頑張るにはご褒美が必要でしょ?」


 ストローで氷をカラカラと鳴らしながら、ちらっ、ちらっとこちらを見てくる。あまりに露骨な無言の圧に、レオは笑いそうになった。


「ご褒美って……まさか、新作の魔導デバイスが欲しいとか言うなよ?」


「ち、ちがうよ!? そんな高いものじゃ……ないけど……。あ、でも、それが手に入ったら、もっと頑張れそうだけど……」


(おい……。ただの学生になんつーもんお願いしてんだ。)


「で? 結局何が欲しいんだよ?」


レオはさっきの内容は聞かなかったことにして、改めて願いを聞くことにした。


「映画! 今度のホログラム新作、ファンタジー超大作なんだって! 時空と恋と冒険がぜんぶ詰まってるやつ!」


 期待を込めた上目遣い。レオはわざと眉をひそめてみせる。


「……なんだその詰め込みすぎな宣伝文句は」


「ちがうのっ! 本格派だからっ!」


「……まあ、嫌いじゃないけど」


「やった! 決まり! チケットはレオの奢りね!」


「オチはやっぱりそこか……。ま、いいけど。その代わり、ちゃんと頑張れよ?」


「うん、頑張る……! ありがとう、レオ」


 ため息をつきつつも、レオの顔には笑みが浮かんでいた。エラーラが未来の話をして、楽しそうに笑っている。それだけで十分だった。

 そして願わくば、この時間が、もう少しだけ続いてくれたら、と。


 けれど――その穏やかな日常は、あまりにも唐突に、壊された。



 店を出ようとした、その時だった。


 夕暮れの街は、いつもより静かに思えた。通りを行き交う人々の話し声や足音が、妙に遠く感じる。

 遠く、空の端で光の筋が揺らいだ気がして、レオは一瞬だけ視線を向けた。

 ……気のせいだ。そう思い直し、エラーラの笑顔に視線を戻す。


 その時だった。


 ――ゴオオオオオオオオオッ!

 腹の底まで震わせるような、凄まじい轟音が世界を叩いた。カフェの窓ガラスが悲鳴を上げて砕け散る。


「危ない!」


 とっさにレオはエラーラを強く抱きしめ、その場に覆いかぶさるようにして彼女を庇った。降り注ぐガラス片の雨が、背中を叩く。


 揺れが収まり、顔を上げたレオが目にしたのは、信じがたい光景だった。

 人々が悲鳴を上げ、我先にと逃げ惑っている。あちこちで爆発が起こり、黒煙が空を汚していく。


「な、何だ……!?」


 呆然と呟くレオの視線が、ふと空に向けられる。街の混乱の原因は、そこにあった。


「あれは……」


 クリスタル・タワーの遥か上。ぽっかりと、黒い穴が空を喰っていた。

 レオの視線を追って空を見上げたエラーラが、息を呑む。


 空間そのものが穿たれたように、真っ黒な『何か』が口を開けていた。中心から黒い稲妻が奔り、それが落ちた場所が光と灰に変わっていく。

 建物が、街が、ねじれて、消える。

 そして――


 闇の中から、『それ』が降りてきた。


 人のような形。だが、はっきりとは見えない。

 ただ、その存在が発する気配が、都市全体の空気を黙らせていた。


『――緊急事態発生! 未確認高次生命体、出現!』


 警報と共に、タワーから蒼白い光が放たれ、空にいくつもの防衛術式が描き出された。イージス局の魔導騎士たちが、光と共に次々と転移してくる。


 だが――。


「……っ!? 消えた……?」


 『それ』がわずかに指を動かすと、空間に張られた光の糸が、ぷつりと切れるように霧散した。

 術式が、霧のように消えていく。

 続いて、転移してきた魔導騎士たちが、一斉に魔法を放った。


「一斉射――ッ!」


 無数の魔法弾が空を裂き、『それ』に集中する。

 爆光が走り、轟音が重なり、一帯の空が白く塗り潰された。


 しかし――光の中に立つ『それ』の影は、崩れない。

 何も起きていないかのように。

 『それ』は退屈そうに、右手を真横に薙いだ。

 直後、魔導騎士たちの身体が、次々と弾け飛ぶ。触れる間もなく、光ごと霧散していった。


「……嘘……でしょ……」


 エラーラがかすれた声でつぶやく。

 その震える声が、レオを我に返らせた。目の前で、エリートであるはずの魔導騎士たちが、まるで虫けらのように消し飛んでいく。


 恐怖で凍りつきそうになる足を、レオは叱咤する。逃げなければ。エラーラを連れて、ここから。

 だが、どこへ? 怒りと無力感で奥歯を噛みしめ、活路を探して顔を上げた、そのとき――。




 いた。




 瓦礫と黒煙の狭間。

 熱と煙がゆらめく、建物の上に――それは立っていた。

 全身を漆黒の装甲で覆った人影。背に大剣。仮面の奥、空洞に灯る赤い光。


 ――目が、合った。


 次の瞬間、それはレオの目の前にいた。

 理解が追いつかない。鋼鉄の指が、いとも容易くレオの首を掴み、宙吊りにする。


「ぐ……っ、ぁ……!」


 空気が、肺から奪われる。足が虚しく宙を掻き、視界が赤く染まっていく。

 仮面の赤い光が、間近でレオを射抜いていた。


 そのままレオに語りかけるように声が響いた。


《我が名は、ヴォイド》

《世界の秩序を根源へと還すため、全てを破壊する者》


「やめてっ!」


 エラーラの絶叫が響いた。恐怖に震えながらも、彼女は両手をヴォイドに向けていた。その掌から、眩い光が放たれる。


 光の衝撃波が、ヴォイドの巨体を直撃した。

 ヴォイドは、まるで煩わしい虫を払うかのように、レオを投げ捨てた。

 咳き込み、地面を転がるレオの視線の先で――ヴォイドは音もなくエラーラの前に立っていた。


「……ぁ」


 エラーラの小さな悲鳴。

 ヴォイドの腕が、無慈悲に彼女の胸を貫いた。赤い、赤い飛沫が舞う。


「……エラー……ラ……?」


 信じられない光景に、声がかすれる。

 ヴォイドは貫いた腕をそのままに、エラーラの身体を、まるで壊れた人形のようにレオの方へ投げ捨てた。

 どさりと、力なく倒れる小さな身体。


 声にならない叫びが、喉に張り付く。震える手で駆け寄り、その身体を抱き起こした。

 そこには、おびただしい量の血溜まりが広がっていた。制服は赤黒く染まり、胸には――絶望的なほど大きな穴が空いている。


「あ……あ……」


 意味のある言葉にならない。現実を拒絶するように、首を振る。


「いやだ……死ぬな……エラーラッ!」


 祈るように、縋るように、震える掌を傷口にかざした。


《ヒール!!》


 癒しの光が、傷口に触れた瞬間、闇に飲み込まれるようにかき消える。

 癒せない。届かない。そんな次元の話ではなかった。


「……くそ……くそっ……!」


 指が震え、喉が焼けるように熱く、視界が滲んでいく。何もできない。この手は、大切な子一人、救えやしないのか。


「レオ……」


 エラーラの声が、震える空気の中で囁かれた。その指が、俺の手をそっと包み込む。


「喋るな……今は喋るな……!」

「レオ……無事でよかった……。映画、行きたかったね……」

「行けるよ! 絶対、行けるって……! だから、……頼むから……!」


 砂が波にさらわれるように。細い命の灯が、ひとしずくずつ掌から零れていく。


「……未来が、見たかったな……レオと、一緒に」


 その言葉を最後に、俺の手を包んでいたエラーラの手から、ふっと力が抜けた。だらりと、彼女の腕が地面に落ちる。

 その、あまりにも軽い音だけが、やけに鮮明に鼓膜を揺らした。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!!!」


 意味も、理由も、何もかもを失った、ただの獣の咆哮。

 熱い何かが込み上げてきて、視界がぐしゃぐしゃに歪む中、ぽたり、と涙が彼女の左手首に落ちた。

 蒼色の石、《原初の涙》を濡らすように――。


 その瞬間だった。

 何かが、走った。世界が、ほんの一瞬だけ、ドクンと揺れる。


 《原初の涙》が――脈を打った。


 命のように。心臓のように。かすかに、だが確かに。

 蒼色の光が彼女の左手首から浮かび上がり、意志を宿したかのように――俺の胸の奥へと、吸い込まれてきた。


 直後、焼けるような痛みが心臓を貫く。

 世界が、反転する。音が潰れ、色が砕け、意識が底の見えない渦へと引きずり込まれていく。



 ――そして次の瞬間、俺は、『それ』の中にいた。


 ――燃え盛る大地。

 ――氷に閉ざされた空。

 ――崩壊する都市。浮かぶ城。

 ――祈る少女。剣を振るう兵士。

 ――無数の『死』と『選択』


 それらが、時の川のように俺の中に流れ込んでくる。

 『記憶』という形をとった、幾千年にわたる『記録』。

 そのとき、誰かの声が重なった。


 『違うだろ……これは、過去すらも背負うってことだ!』

 『……それでも、俺は歩くよ。選びたかったんだ、自分の道を』

 『誰かの未来になりたかった。名前なんて残らなくても、いいから』


 そして――。




 『――決して、諦めるな』




「……俺は……」


 記憶の中で、幾重にも重なった声が問いかけてくる。


 ――このまま、彼女を失っていいのか?

 ――このまま、何もせずに、世界が終わるのを見ているだけでいいのか?



 ――いいわけ、ないだろ!


「エラーラを助けたい……っ!何もいらない、それだけでいい……!」


 そのとき、胸の奥で、《原初の涙》がひときわ強く脈打つ。


 光が、走る。

 音が、砕ける。

 世界そのものが、反転していく――!


 地が裂け、空が消え、空間の幕が引き裂かれる。

 俺の意識は、抗う間もなく真っ白な光の中へと吸い込まれていった。


―――――――――――――


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