第31話 孤独を支える庭


 数日後、レイヴィスの言ったとおりにイオーラの部屋は南宮殿に移されつつあった。イオーラも荷物を運ぼうと意気込んでいたのだが、案の定マグリットに止められる。

 

「まもなく皇后陛下となられる御方が、そのようなことをしてはなりません!」

 

 と部屋を追い出され、イオーラはヤンと一緒に部屋を出て城の中を歩いていた。

 この城は広い。自然と一体化していた皇国の城と異なり、ここは全てに人の手が入っている。初めはそれをどこか殺風景に感じていたが、人の手で作られたこれらの風景をいつも保つというのは至難の業だ。庭師も造園師も芸術家だと思う。

 だからこの城を歩いている時間が、前よりずっと好きになった。


 廊下を歩いていると、背後で控えていた侍女たちが小声で囁き合うのが耳に届いた。


「ねぇフェルシア公爵家に、裁きが下ったそうよ」

「私も聞いたわ。陛下の後見として貴族院の筆頭だった御方がどうしてそんなことに?」

「……実は、さっき耳にしたんだけど。先日の皇后陛下の試練で、皇后陛下の御命を狙おうとしたんだとか」

「そんな……でも、反逆罪ならレイティス様はどうなるのよ」

「同じく裁きを受けるらしいわ」


 イオーラは足を止め、振り返る。二人の侍女は息を呑み、慌てて頭を下げた。


「……失礼いたしました、皇后様。噂話をしていたわけでは……」

「詳しい話をお聞かせください」


 ヤンが静かに促すと、彼女たちは視線を交わし、やがて震える声で答えた。


「領地と財のほとんどは没収され、皇都の屋敷一つだけが残されたと……」

「当主とその子息たちは、二度と官職に就けぬとのことです」


 言葉は淡々としていたが、響きは重かった。

 イオーラは胸の奥に冷たいものが落ちるのを覚える。


 ——レイヴィスは、これからどうするのだろう。


 フェルシア公爵家は長く帝国の中枢を支えてきた。たとえ腐敗し、陰謀に手を染めたとしても、その名が持つ重みは揺るぎない。その後ろ盾を失うことは、レイヴィスにとって大きな痛手のはずだった。


 けれど、彼は口にするだろう。

「不要だ」と。

「国は俺自身が背負う」と。


 だからこそイオーラの胸は締めつけられる。彼が孤独に押し潰されてしまわないか。自らを削り尽くしてしまわないか。


 そしてもうひとつ、別の思いが浮かぶ。

 レティシア――。

 彼女はどうなるのだろう。分家はともかく、直系の血筋は罪から免れることはないだろう。

 だが、彼女自身はまだ若く、何も知らぬまま運命に巻き込まれただけではないのか。


 胸の奥で、痛みに似た心配が芽生える。

 レイティスを失えば、レイヴィスはさらに孤独を背負うことになるだろう。そしてレティシア自身もまた、支えを失った少女にすぎない。


 イオーラは足を踏み出した。


「お、お待ちください、イオーラ様! お二人もくれぐれも噂を広めないように」


 ヤンは侍女たちに言い聞かせるとイオーラを追いかける。

 白い石畳を踏む音が、ひときわ大きく響いた。



 


 イオーラがレイヴィスの元へ行こうとした途中、偶然にもリッツェルに出会った。


「おや、皇后陛下。どちらに」

「陛下に会いたくて」

「……」

 

 リッツェルはイオーラをじっと観察すると、こっそりと教えてくれた。

 

「……皇族専用の庭園にいらっしゃいます」

「ありがとう、助かる!」

「お待ちください」


 走り出そうとしたイオーラに、リッツェルは言った。


「陛下にとってフェルシア公爵家は……ただの後見人ではありません。先帝陛下の唯一の皇子であった陛下は、側室のお生まれだったために、先の皇后陛下に酷い扱いを受けておられました。陛下の母君も早くに亡くなられ、親しい臣下にも裏切られることもありました。それを支えてきたのが先帝の忠臣だった、フェルシア公爵家だったのです。政務でなかなか時間を取れず、皇后の手前会うことも限られていた先帝陛下の代わりに親のように接してこられました」

「親……」

「だからといって、今回のことが許されるわけではありません。他にも、その名を使って皇都の軍備や国境での密貿易など余罪と言うには大きすぎる罪もあります。公爵が極刑となるのは間違いないかと。ですが、幼い頃の陛下にとっては無くてはならない方だったのも事実。行かれるのでしたら、どうかレイヴィス様をお支えください」

「……私にできることは限られる。家族のような存在を自らの手で裁く苦しさを、私はきっとすべて理解することはできない。だからせめて、今は側にいてやりたいと思う」

 

 イオーラはそう言って、リッツェルと別れた。

 ヤンが丁寧にリッツェルに頭を下げて、走り去った主を追っていく。その背中を見ながら、リッツェルは期待した。

 普段の彼であれば、レイヴィスの唯一の憩いの場に人をやることは決してなかっただろう。庭園は昔から、レイヴィスが心を閉ざしたときに静かに籠もる場所。側近であり友人である自分ですら、近づけぬ時がある。


 あの方に寄り添えるのは、もしかすると彼女しかいないのかもしれない。初めて皇国で会ったときにも、この皇女の瞳に惹かれ、期待したことを思い出す。リッツェルはそっと目を伏せた。


 

 イオーラはヤンと共に、皇族専用の庭園へと急いでいた。

 高い塀に囲まれ、外の喧騒を遮ったその庭は、皇都の中にありながら静謐さをたたえている。

 花々が風に揺れ、水面は穏やかにきらめく。だが、その中央に佇む背の高い人影は、風景の一部になるほど孤独に見えた。


 レイヴィス。


 イオーラは息をのみ、足を止める。

 広い庭園にいるのは彼一人。背中からでも、その肩にどれほどの重さがのしかかっているのかが分かる。


 イオーラは胸の奥の震えを抑えるように深呼吸し、ゆっくりと歩みを進めた。

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