第21話 狩り、1日目


 平原に朝の光が降り注ぐ中、貴族たちの馬列が整列し、狩猟会が始まろうとしていた。

 イオーラは背筋を伸ばし、馬上で軽く弓を調える。双剣も腰にしっかりと納め、森で培った感覚が全身に満ちていく。


 少し離れた位置に、皇帝レイヴィスの姿が見える。彼は馬上に立ち、静かに視線を送っていた。周囲の貴族たちも、イオーラを一瞥し、囁き声を交わす。


 馬の蹄の音と風のざわめきの中、レイヴィスが僅かに馬を進め、イオーラに呼びかける。


「その慣れた振る舞い。我が国以外で淑女教育に馬術がある国などなかったと思うが、何か経験が?」


 イオーラは静かに目を細め、落ち着いた声で答える。


「……以前お話したとおり、私は皇国では日陰者でしたと。その理由の一つが馬術と武芸これにございます」


 イオーラは双剣の鞘を抜いて手に見せる。あまりの堂々たる姿に、レイヴィスは思わず吹き出して笑う。


「ハッ……では皇国の父上母上は、跳ねっ返りに手を焼かれたことだろうな」

「……それは否定できませんね」


 その短いやり取りの背後に、微かに笑みを浮かべる貴族たちの顔。期待と驚きが交錯する空気の中、馬上のイオーラは森育ちの自信と皇后候補としての責任を胸に、狩猟会の第一歩を踏み出す。


 ――遠くに潜む獲物も、人々の視線も、すべてが今日の試練の一部。

 森の姫としての腕前と、宮廷での立ち位置を試される朝が、静かに始まった。

 

 

 狩猟の開始の合図とともに、馬列は駆け出した。貴族たちの間に緊張と期待が漂う。イオーラは弓を背に揚げ、双剣を腰に納め、静かに目を光らせる。小さな動きや草の揺れ、獣の気配――森育ちの感覚が、周囲の状況をすべて捉える。


「殿下、獲物の動きがこちらに偏っております」


 ヤンの低い声が耳元に届く。忠実な側近としての的確な指摘に、イオーラは軽く頷く。馬の呼吸と歩調を合わせながら、獲物の位置を正確に読み取っていく。


 周囲の貴族たちは、イオーラの落ち着いた振る舞いに目を奪われる。誰もが想定外の熟練ぶりに息を呑み、ささやき声が風に混ざる。


『森育ちとは聞いていたが……ここまでとは』

『皇后候補としての威厳も感じられる』


 馬列が小高い丘を越え、獲物を追い詰める。イオーラは弓を軽く引き、射線を確認しながら慎重に狙いを定める。双剣は腰で静かに待機。彼女の目には、ただ勝利のためではなく、状況を制御するための冷静さが宿る。


 その日、初日は特に大きな事件もなく終了した。貴族たちは満足げに馬を引き、獲物を手に笑みを交わす。

 イオーラもキジ三羽と兎を二羽と上々の収穫を得た。


「わぁ! 素晴らしい収穫ですね!」


 城からイオーラの世話役として付いてきているルシアが、大量の獲物を見てはしゃいでいる。


「皇帝陛下もキジを四羽獲ってこられたそうですよ。帰ったら料理長が腕をふるって料理をしてくれるでしょうね!」


 ルシアは城務めの侍女達の中でも年若く、マグリットの推薦で今回からイオーラの側に同行している。

 皇都じゃ有名な商家の出身で、ほかの貴族の子女のように花嫁修業の一貫として、また経済的理由があって働いているわけではなく、城務めが夢だったのだという。何より食べることが好きらしく、ここにもいくつかお菓子を持ち込んでいる。


「陛下と私のキジを合わせたら七羽にもなるわ。二人じゃ食べ切れないから、城で働いてくれている皆にも振る舞えるといいけれど」

「……期待してもいいでしょうか」


 期待の眼差しでそう訴えるルシアに、イオーラは妹のような気持ちでこくりと頷いた。



 夜。

 狩場から少し離れたところに作られた天幕で、イオーラは弓と双剣を手入れしながら、明日に備える。馬の調子、獣の気配、貴族たちの視線――すべてを再確認する。ヤンはそっと傍らで見守り、静かな目配せを送る。


「明日も油断せずにいこう。今日は近場だったが、ここの狩場の奥の森は随分と深そうだ」

「私も同感です。もう一度、万一に備えて私も支度をしてまいります」


 低く、落ち着いた声に、忠誠と安心が込められる。


「……邪魔するぞ」


 レイヴィスが天幕に入ってきた。ヤンは急いで礼をとる。


「このような時間に、いかがされましたか?」

「随分と狩りの腕がよいという声が聞こえてきたからな。明日、その腕を間近で見たいと思って誘いに来たところだ」

「陛下から直接お誘いいただけるなんて、光栄です。お見せするのも恥ずかしいですが、私で良ければ是非」

「では、明日楽しみにしている」


 レイヴィスは自分の用件を済ませると、すぐに天幕から立ち去った。


「……陛下御自らいらっしゃいましたね。誰か使いの者を寄越すだとかあったでしょうに」


 ヤンが興味深そうに言う。


「気まぐれじゃないか? 陛下も狩りの腕は相当のもののようだし」


 イオーラは特に関心を持つことなく、剣の手入れに集中する。


 外に月光が差し、草原を銀色に照らす。獣の気配も、それに隠れるように渦巻く貴族の思惑も、まだ誰の目にも気づかれてはいなかった。

 イオーラは静かに息を整え、眠りについた。

 

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