世話焼きな彼女

 その日から、なんとなく吉野さんを目で追う様になった。

 吉野さんは、いじめられているわけでも、ハブられているわけでもないが、群れるのが嫌いな性格なのだろう。1人でいることが多い。

 周りを寄せ付けない、話かけるなオーラさえ見える吉野さん。

 なので僕も、彼女には近づかず、遠くから見ているだけだった。

 彼女の様子は今日も同じ。いつもと変わらない。

 つまらなそうで、何かにイライラしていて、どこか辛そうで、悲しげだった。

 

 担任が教室に入ってきて、朝のSHRが始まった。

 担任が、いつも通り出席を確認して、形式的な報告事項を連絡する。

『あー。1時間目体育か』なんて、机に頬杖をつきながら担任の話を聞き流していると、

「吉野、お前だけだぞ。進路希望出してないの。早く提出しろ」

 担任の口から吉野さんの名前が出て、上の空だった意識が戻ってきた。

「……はい」

 適当というか、溜息混じりに気のない返事をする吉野さん。

「あれ? 吉野って、1年の時に『看護系の大学に行く』って言ってなかったっけ?」

 吉野さんの前の席の小山くんが、後ろを向き吉野さんの顔を覗いた。

 小山くんは、去年も吉野さんと同じクラスだったのだろう。

「……小山はいいよね。何の心配も苦労もなく、希望を志望出来るから」

 吉野さんが、怒りを握り潰す様に、机の上で握りこぶしを作っているのが見えた。

「何それ。何か悩んでるなら相談くらい乗るよ?」

 吉野さんの少々嫌味がかった言葉に、小山くんが困った表情を浮かべた。

「……ありがとう。大丈夫。ゴメン。何、小山に当たってるんだろうね、私。ゴメン」

 吉野さんは、自分の悪態を謝ると『いちいちこっち振り向かなくていいっつーの』と言いながら、小山くんに前を向く様に促した。

 彼女は、何に苦しみ、何に怒っているのだろう。


 今日の1時間目は体育だった。男女共に体育館でバスケをするらしい。

 ステージ側のコートでは男子が、奥のコートで女子が試合形式で楽しそうに身体を動かしていた。

 見学の僕は、ステージに腰を掛け、その様子をボーっと眺めていた。

「北川くんは、体育出られなくて残念に思ってるタイプ? それとも、やらなくて済んでラッキーって思ってる?」

 頭上から声がした。

 見上げると、ジャージにさえ着替えていない制服姿の吉野さんがいた。

「んー。長距離走の時とかは、確かにラッキーって思うけどね。でも僕、バスケ見るの好きだから、今日は参加したかったかな。ていうか、吉野さん、今日見学なの? 体調悪い?」

「女子には月1で具合が悪くなる週がありますからね」

 吉野さんが『よっこいせ』と腰を擦りながら、僕の隣に座った。

「大丈夫? 痛い? 辛くない? ……って、僕に言われたくないか。女の子って大変だね」

 あぁ、生理か。と、察して気遣ってみたものの、『痛みの分からない僕になんか心配されたくないか』と、言ってしまってから後悔。

「まぁ、個人差あるからね。痛みが重い人もいれば、全然平気な人もいるし。ていうか、北川くんってバスケ好きなんだ」

 僕の気まずさを知ってか知らずか、吉野さんが話題を変えた。

「うん。病気じゃなかったら、バスケ部に入ってただろうなって思う。……あ!!」

 吉野さんと話をしながら、目で追っていた男子のバスケの試合で、吉野さんの前の席の小山くんが打ったシュートがブロックされたことに、思わず反応して声を出してしまった。

「何!?」

 そんな僕の声に吉野さんが驚き、肩をビクっとさせた。

「あ、ゴメン。小山くんのシュート、叩き落とされちゃったなーと思って。小山くん、身長が大きくないからゴール下に切り込んで行かずに3Pを狙ったんだと思うけど、背が小さい人はよっぽど早くシュート体勢を作れない限り、やっぱり上背のある人にブロックされちゃうよね」

 さっきの奇声の言い訳をすると、

「じゃあ、小山はどうすれば良かったの?」

 さほどバスケに興味なさ気に見えた吉野さんが、僕の話に喰いついた。

「んー。ゴール下も3Pも難しいなら、3Pの線の内側から相手をかわしながらのフェイダウェイシュートで、2P狙うとか?」

 僕が説明している時に、小山くんにパスが通った。

 突然立ち上がる吉野さん。そして、

「小山!! 3Pの内側の線から、ランナウェイシュート!!」

 吉野さんが小山くんに大声で叫び出した。……ん? ランナウェイ?

「違う!! 吉野さん!! フェイダウェイ!!」

「え? フェイダウェイ? 何それ。小山!! 間違った!! フェイダウェイだって!!」

 吉野さんの声に、小山くんがチラっとこっちを見た後、ゴールから少し離れた位置からフェイダウェイシュートを放った。

 小山くんの手から放たれたボールは、綺麗な弧を描き、ゴールに吸い込まれて行った。

「スゴイ!! 入ったよ、北川くん!!」

 吉野さんが笑顔を向けながら、ハイタッチをしようと僕に掌を向けた。

 吉野さんの嬉しそうに笑う顔にドキっとして、遠慮がちに掌を合わせる。

 吉野さんの笑った顔を見るのは、今日が初めてかもしれない。

 普段笑わない吉野さんは、本当に可愛らしい顔で笑う女の子だった。そんな吉野さんに、1人で勝手にドキドキしていると、

「ランナウェイシュートって何だよ。どこに逃げながらシュート打つんだよ。しかも、敵チームに聞こえる様に作戦叫ぶって、どういうことだよ。それでも決める俺ってさすがだろ」

 ドヤ顔をした小山くんが僕らに近づいて来た。

「言い間違えただけじゃん。フェイダウェイなんて言葉聞いたの、人生で今日が初めてだったんだもん」

『しょうがないじゃん』と開き直る吉野さん。小山くんの『俺さすが』の件は聞き流した様子。

「スルーしやがった。つーか、聞いたって?」

 小山くんは、ドヤ話の流されっぷりに少し恥ずかしがりながら、吉野さんの隣に座っていた僕をチラ見した。

「そう。北川くんだよ。北川くん、バスケ好きで凄く詳しいんだよ。小山、北川くんにお礼言いなよ。北川くんのおかげで点決められたんだから」

「イヤイヤイヤイヤ。好きなだけで、詳しいわけでは……」

 何故か小山くんにお礼を言わそうとする上に、僕を謎にバスケ詳しい人扱いする吉野さんの言葉を、慌てて訂正する。

「そっか。北川ってバスケ好きなんだ。さんきゅーな。俺、背小さいからゴール下に切り込むの諦めててさ。でも、運び屋じゃなくて自分でも得点したくてさ。『だったら3P決めてやる!!』ってそれしか考えてなかったわ。確かに得点決められたのは、北川のおかげだわ」

 小山くんが僕の肩をポンポンと叩いた。

「そんな……。僕は別に……」

 本当に自分はお礼を言ってもらう様なことをしていないので、どうしたら良いものかと戸惑っていると、

「北川くん、バスケ部に入れば? マネージャーやれば? 北川くんの知識はきっと役立つと思う。小山、バスケ部だったよね? 口利くっしょ? あ、北川くんの気が乗らないなら、無理に入らなくていいからね」

 吉野さんが、更に僕を混乱させる提案をしだした。

 ……僕がバスケ部。考えたこともなかった。だって、スポーツ系の部活とは無縁なんだと思っていたから。かといって、文化系の部活に興味を持てなかった為、結局僕は帰宅部だ。……バスケ部。ずっと憧れだった。

「確かに。北川のアドバイスは役立ちそう。北川の病気に差し支えないなら、北川さえ良ければ、バスケ部は大歓迎だよ」

 吉野さんの意見に乗っかって、小山くんも僕をバスケ部に誘ってくれる。

 嬉しくて、ビックリして、返事も出来ずに固まってしまった。

「あ、強制じゃないから、嫌だったら断ってくれて全然いいし。もしだったら、1回持ち帰って家族とかお医者さんとかに相談してから決めてもいいし」

 押し黙る僕が入部を渋っている様に見えたのか、小山くんは『今決めることないから。ちょっと考えてみてってだけだから。気軽に考えて』と、断り易い逃げ道を用意してくれた。

 バスケ部に、入りたくないわけがない。ただ、

「……僕なんかがバスケ部に入っていいのかな。みんなの足手まといにならないかな。迷惑じゃないかな」

 どうしても不安だった。だって、僕は病気を持っている。

 視線を落とし、無意味に体育館の床の継目を見ていると、隣で立ち上がったままでいた吉野さんが、ストンとステージから飛び降り、僕の顔を覗き込んだ。

「確かに北川くんは病気持ちだけどさ、病弱なわけじゃないじゃん。しかも北川くん、バカじゃないじゃん。頭いいんでしょ? 志望学部から言って。『これをしたら危ない』とか『これは身体に負担がかかる』とか、自分でちゃんと判断出来るでしょ? 無理なことは他のマネージャーに頼めばいいじゃん。代わりに自分の出来ることをすれば、その頼み事だってチャラになるしさ。迷惑なわけないじゃん。むしろマネージャーなんだから、プレーヤーのお世話係でしょ。迷惑かけられる側じゃん」

『考えすぎ。遠慮しすぎ』と、僕に呆れた視線を向ける吉野さん。

〔北川くんは病気だけど、病弱なわけじゃない〕

 吉野さんの言葉にハッとした。

 確かに僕は、自分を弱い病人だと思っていた節がある。健康体の人と比べれば、出来ないことも多いけれど、何も出来ないわけじゃない。というか、出来ることだってたくさんあることを忘れていた様な気がする。いつもいつも病気を理由に諦めて逃げていた様な気がする。

「……僕、バスケ部に入りたい。小山くん、口利いてくれる?」

「もちろんでしょ!!」

 小山くんがニィと笑って僕の肩を抱いた。

 独断でバスケ部に入部して、後で親や担当医に叱られるかもな。

 でも、いいや。そんなのどうでもいいや。僕はバスケ部に入りたい。

「吉野もどう? バスケ部。北川と一緒にマネやらない?」

 小山くんが、吉野さんのことも部活に誘う。

「私はバイトがありますので、遠慮します」

 が、吉野さんはサックリ拒否。

「勤労少女ですこと。働くなんて、社会人になったら嫌ってほど出来るだろ。高校の部活なんて、今だけだぞー。青春は一瞬なんだぞー」

 それでも食い下がる小山くんを、

「……幸せなヤツ。ていうか、小山。アンタは体育見学組じゃないでしょうが。さっさと戻りなよ。いい加減先生に怒られるって」

 吉野さんが細い目をしながら『シッシッ』と手を前後にひらつかせて追い払う。

「~~~確かにー」

 焦った様子で小山くんはコートに戻って行った。

「他人に勧めるくせに吉野さん自身は入らないしね。バスケ部」

 小山くんが授業に戻り、僕の隣に座り直した吉野さんに話しかける。

「だって、部活はお金にならないけど、バイトはお給料が貰えるから。どうせ同じ時間を潰すならお金貰えないより貰えたほうが得じゃん。『時は金なり』っしょ」

 吉野さんにとってバイトが大事なのは分かったが、

「『時は金なり』ってそういう意味じゃないよ」

「知ってるよ。だけど私は1秒でも長く働いて、1円でも多くのお金が欲しい。だから『時は金なり』」

 そう言った吉野さんの表情は、始業式の日に蟻を踏み潰していた時と同じで、とても鋭く、やっぱり何かに怒っていた。

「何でそんなに稼ぎたいの?」

「……まぁ、色々あるんだよ。私にも」

 きっと吉野さんに怒りの理由を尋ねても、教えてくれないだろうと思いながらも聞いてみると、予想通りはぐらかされた。

 これ以上聞くと嫌われそうで、吉野さんに嫌われるのは嫌で、それ以上は掘り下げないことにした。

 だけど、始業式から吉野さんのことが気になって、

「バイト、何やってるの?」

 吉野さんが答えてくれそうな質問を投げかける。吉野さんのことを、もっと知りたい。

「ファミレス」

 吉野さんは、聞かれて差し支えのない質問にはアッサリ答えてくれる。

「どこの? 今度行くよ。吉野さんの制服姿、見てみたいし」

「絶対教えない。一生見せない。死んでも嫌。」

 が、やはり彼女は、自分の嫌なことに関しては清々しいほどの断固たる拒絶をする。なかなか手強い吉野さん。

 僕はどうしたら、彼女と仲良くなれるのだろう。

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