第31話 セファルド家

 夜空のように蒼いタリスマンを首にかけて、鏡に映るボクに頷いた。

 我ながら気弱な感じは否めないけど、前より顎は引けるし、背筋も自然と伸びている。

 なにより、前はボク自身をこんなに真っ直ぐ、見られることなんて無かった。


「うん……よしっ」


 セリーネさんに会いに行こう。

 ボクが試練を受けている間、セリーネさんは学校に来なくなったらしい。

 ユリウスとリディアはそう言っていた。

 エルマリス家の令嬢で一人娘だし、さすがに酷い扱いなんて受けてないだろうけど、心配だ。

 部屋を出て、短い通路を通り抜ければリビングとキッチン。さらに外へと繋ぐ扉の前に行き、ゆっくり開けた。

 一瞬、目の前が白い景色に覆われた。

 すぐに色が落ち着いて、ヴァルディアの景色が飛び込んでくる。

 低いレンガの塀に腰かけるユリウスとリディア。


「おはよう兄ちゃん、準備できた?」

「おはようございますレオンさん」


 ユリウスは木の剣を手に、しっかりと地面を踏みしめる。

 リディアは両手をお腹で組み、そっと立ち上がる。

 

「うん大丈夫。二人とも、学校は良かったの?」


 ボクはまだ休学中だからいいけど、二人はいわゆるサボりだ。

 お互い目を合わせたあと、ボクに笑顔を向けた。


「オレたちもセリーネさんが心配だから、行くよ!」


 相変わらず頼もしい自慢の弟とガールフレンドのリディアに、ボクは微笑み返した。


「武力社会のお偉い人は、栄華地区だっけ。ボク初めてなんだ。ユリウスとリディアは?」

「行くことないよ、あんな場所」

「私は、父の仕事の関係で何度か行きました。でも、あんまりかなぁ」


 二人の言葉だけでよく伝わってくる。

 栄華地区は余程のことがない限り立ち寄りたくない場所だということ。

 その中でエルマリス家とセファルド家は町どころか、王都にまで影響力のある一族だ。

 商会区とは反対側にある栄華地区には、そんな名家の人たちが暮らしている。

 学校を通り越してさらに進むと、道が広がり、白一色の塀が見えてきた。

 商会区にはいない、槍を片手に門番をしている警備兵が立っていた。

 警備兵は、ボクの首にかけたタリスマンをぎろっと睨んだ。

 それからボクたちの顔を、鋭く眺める。


「君たち、そのタリスマンは――」

「おぉレオン様」


 警備兵の声を遮り、門の向こうから真っ黒な礼服を着たおじいさんがボクを呼んだ。

 一瞬誰だったか、ぼんやりしてしまった。


「あっ、セリーネさんの……えーと、そう、ノーマンさん」


 多分、執事の人だったと思う。

 町に魔物の襲撃が来る前に、セリーネさんと一緒にいたはず。


「まさか私のことを覚えてくださっていたとは、光栄でございます。さぁどうぞこちらへ」


 警備兵はノーマンさんの反応を見ると、何も言わなくなった。

 初めて栄華地区に、竦む足を踏み入れた。

 白い塀の内側は、宝石や黄金があるわけでもないのに、煌びやかな雰囲気が漂う。

 全ての家が門を構え、柄の長いプラチナの斧や、細かい彫刻が施された剣を壁に飾っている。

 武力社会の関係者が、ボクたちを異色のように見てはヒソヒソと話をしている。

 

「うわ、でっかい家ばかり」


 ユリウスの素直な感想に、ボクは黙って頷いた。


「試練を終えられ、無事に戻られたこと、セリーネ様も喜びましょう」

「あの、セリーネさんが学校に来てないって聞いたんですけど……大丈夫なんですか?」

「えぇご心配をおかけして申し訳ございません。セリーネ様はレオン様が無事に試練を終えることを願い、ヴァルディアの――」


 ノーマンさんは立ち止まり、一歩後ろに下がる。


「これはこれはノーマン殿、わざわざ連れて来て頂けるとは思いませんでしたな」


 小馬鹿にしたような口調の男が目の前に現れた。

 男の少し後ろには、商会区の入り口で見かけたおじさんがいて、ボクに指をさした。

  

「あいつですよ。あのタリスマン、間違いない」


 ボクはタリスマンを握りしめて、男たちを睨んだ。

 隣でユリウスが、木の剣をミシミシと強く握りしめる。

 

「なんでございましょう、彼らはセリーネ様の大切なご学友でして」

「ただの使用人は黙っていろ。お前たち、昨日はよくも水浸しにしてくれたな……」

「先に手を出したのはそっちじゃん!」

「ユリウス待って、ケンカしにきたわけじゃないから」


 こんなところでボクたちが先に動いたら、警備兵を呼ばれて終わりだ。

 ユリウスの気持ちは痛いくらい分かるけど、今じゃない。

 不満げな弟に小さく「ごめん」と伝えてから、ボクはノーマンさんより前に出る。


「タリスマンはエルマリス家のものですよね。どうしてエドリアンさんがこれを狙っているんですか?」

「エドリアン様とセリーネ様は生まれた時から婚約を交わしている仲だ。それをいきなり見ず知らずの……大した武力もないくせに」


 男は大股でボクの目の前に、圧迫するように寄ってきた。

 歯を剥き出しにして、ボクを見下ろす。

 うぅ、結構怖いけど……怯むわけにはいかない。

 ボクはセリーネさんに会いに来たんだ。タリスマンだって奪わせない。


「なんだその目は、今すぐタリスマンを渡すのなら、昨日の事は忘れよう。さぁ少年、タリスマンを」


 男は渡せと手の平を向けてくる。

 絶対渡さないと、首を振った瞬間、拳が横から大きく振り動いた。

 ボクの頬に熱が走り、景色が揺らぐ。

 

「レオン様!」


 ぐらつく視界の中、ノーマンさんがボクを横から支えてくれた。

 鈍い痛みが、頬を中心に広がっていく。

 触れて確かめてみると、切れるような痛みも走った。

 血が、べったりとボクの指先に……。


「兄ちゃん!」

「ユリウス、ダメ!」


 リディアがなんとかユリウスの手を掴んで、気持ちを抑えている。

 リディアは分かっている。武力社会の人にどんな理由であれ攻撃的な姿勢を見せるのは、非常に不利だってことを。


「この程度でよろける奴などに……セリーネ様もずいぶんと変わった趣味をお持ちですな、ノーマン殿」

「これは、暴力でございましょう! 武力社会の地位に立つ者として恥ずべき行為です!」

「黙れ。これは躾だ。セリーネ様をたぶらかした不届き者にセファルド家が直々に躾をしてやろうと言ってるのだ! ノーマン殿、もし邪魔をするようならば、王都に申告せねばなりませんな」

「貴方たちは、何という……」

 

 ノーマンさんも、分かっているからこそ、これ以上動けない。

 殴り返してやりたい。

 腹の底から煮えたぎる感情に、ボクの手は震えている。

 ここで殴ってしまえば、ボクだけじゃなくユリウスやリディア、父さんたちにも迷惑をかけてしまう。

 なんとか隙を見て、この場をすり抜けるチャンスが来れば……。


「ごめんリディア」


 木の剣が、男の鼻先を叩きつけた。

 鼻は一瞬にして真っ赤に染まり、鼻血が噴き出す。

 ボクの前にユリウスが立ち塞り、平静な表情のまま、額に青筋を浮かべている。


「ユリウス……」

「このガキっ! よくも我々セファルド家に手を出したな! これで貴様らはもう――」

「だからなんだよ。セファルド家? 知らないよそんなの……オレ、大切な人が痛い目遭ってるのに、見過ごせるほど大人じゃないから。ていうか、あんたらじゃオレの相手にもならないよ」


 木の剣を肩に乗せ、ユリウスは挑発する。


「武力社会の名家を名乗ってるなら、武力で戦え」

「クソガキがぁ!」


 男は懐からショートソードを抜いた。

 その男の隣にいたはずのおじさんは、いつの間にかいなくなっていた。

 多分……逃げたのかな。

 それよりユリウスだ。後先考えずに手を出すなんて……そりゃユリウスの剣術なら、町の警備隊ぐらい簡単に倒せるかもしれないけれど、危険過ぎる。

 なんていうか向こう見ずだ。

 エルナにちょっと似ているような……。


「そこまでだ!」


 ぞろぞろと警備隊がやってきた。

 その後ろから、白基調の服を着た、端正な顔立ちをした男が現れた。

 あの時、図書館で会ったハンサムな人。

 セリーネさんの婚約者、エドリアンさんだ。

 男はショートソードを慌てて隠し、エドリアンさんに跪く。


「栄華地区のど真ん中で一体何の騒ぎだ? クラウス」

「え、エドリアン様……いえ、この少年たちがいきなり襲ってきたのです」


 爽やかな雰囲気が漂うエドリアンさんは、毅然とした態度で首を振った。


「言い逃れはできないよ、クラウス。話は全てオットーから聞いた。勝手にセファルドの名を盾にしたうえ、セリーネの大切な人に暴力を働いた。このことについては父上とじっくり、話し合おう。連れて行ってくれ」

「ぐぐぐ、あの腰巾着めぇ」


 警備隊に両脇を抱えられ、クラウスさんは鼻血を垂らしながら連れていかれた。

 オットーっていう人が、多分さっきのおじさんだろう。

 良かった、違う意味で事が大きくなっているけど、ボクは胸を撫で下ろした。

 

「兄ちゃん大丈夫だった?」

「どうなるかと思ったけど、ユリウスのおかげでなんとか大丈夫そう。でも、無茶しないでね」

「レオンさんの言う通り。本当に心配したんだから……ユリウスが強いのは分かってるけど、無茶はやめてね」

「えぇー、兄ちゃんとリディアが嫌な思いしたんだ、黙ってられないよ。というか、ちょっとぐらい褒めてよね」


 ユリウスは唇を尖らせると、そっぽを向いてしまう。

 ふふ、と微笑んだリディアに頭を撫でられたユリウスは、満足そうに笑っていた――。

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