第33話 色褪せた手紙

 メリスさんが、いなくなった――。


 その知らせを聞いたのは、翌日の夕方になってからだった。

 疲れ切った目元で微笑むクラリッサさんが、寄り添うように教えてくれた。


 ボクが帰ったあと、クラリッサさんはいつものように夕食を届けに行った。

 煮込んだ野菜シチューと食べやすいように細かくちぎったパンを、リビングのテーブルに置いたあと、寝室に目をやると……ベッドにいるはずのメリスさんが消えていた。

 クラリッサさんは呼びかけながら部屋中を探し回った。

 二階も、裏庭も、浴室も、あり得ないと思いつつ屋根も。

 それから個展に行くと、飾ってあったはずのハルトさんの絵画も、一枚を残して跡形もなく消えていた。

 家族総出で、夜明けまで探し回ったという。

 「警備隊に伝えよう」とクラリッサさんが言うと、親たちはみんな「もういい」と口を揃えた。


 「きっと、会いにいったんだと思う。もう、いいんだよ」


 探し疲れたというのに眠れず、クラリッサさんがもう一度空のベッドを見に行ったら……色褪せた手紙が置かれていた。

 それは、ボクがエルナに託されて、メリスさんに渡した手紙だった――。




 ――その知らせと一緒にクラリッサさんは、手紙を届けに来てくれた。


「ボクが、届けてしまったから……」

「いいえ、レオンさん。祖母は、父たちが言うように『会いにいった』んだと思います。ぜひ、レオンさんが持っていてください」


 色褪せた手紙が、再びボクの手元に戻ってきた……。

 クラリッサさんは会釈をすると、静かに肩を落とした華奢な背中を向けて立ち去った。

 もう少し、慎重にすればよかったのかな。

 先に手紙を読んでから、考えた方がよかったかもしれない。

 あともう一言、何か気の利いたことを言えたら、変わっていただろうか。

 それとも、これはエルナやメリスさんが望んだことなのか……ボクには分からない。

 遺された人のことを、どうしても考えてしまう。

 部屋に戻って、折り畳まれた黄ばんだ手紙を、ゆっくり広げた。

 乾いた紙に、滲んだインク。

 お世辞にも上手とはいえない文字が並ぶ。

 でも、ハルトさんが慣れない言語を覚えて、彼なりに伝えようと書いたものだから、微塵も笑おうとは思わない。

 最初から、文字を追いかけた――。




『僕のメリスへ

 フィエルナに来て、何十年という時間を君と過ごした。

 娘の結婚間近、孫と会える楽しみを捨て、君との余生を捨て、使命に向かう。

 君に何百回と、愛している、を伝えてきたつもりだ。

 だけど本当に、僕が思う【愛している】を言えたか分からない。

 叶うのなら君も連れて行きたかったけど、僕のせいで、独りぼっちにさせたくなかった。

 いつか話していた勇気の魔法を授けるため、僕は女神のもとに行く。

 孫たちに背負わせるのは気が引けるけど、僕のように頂上に残らなくていい。

 この世界の人々に、勇気を分け与えるのが子孫たちの使命だ。

 そして僕は、アルゼル山の頂上でずっと見守っている。

 君が家族に囲まれて、幸せに暮らせていることを祈る。

 もし寂しかったら、僕の絵を見て、君のために描いたから。

 メリス、君と出会えたことで、この上ないほど幸福に満たされている。

 前に進むきっかけを、君がくれたんだ。

 ありがとう、愛しているよメリス。

 


 

 会いたい。使命なんか放り出して、君と命を終わらせたい。

 君だけを永遠に【愛している】

 君のハルトより』



 乾いた手紙に、雫が数滴落ちた。

 ボクの手首にも透明な雫が落ちて、温かくなった。

 顔を上げると、鏡に傷だらけのボクが映る。

 目からつたう涙が、頬の擦り傷を撫でている。

 心臓をザクザクと突き刺された気分だ。

 痛みのない苦しみが体中をつきまとう。

 メリスさんが愛するハルトさんに「会いにいった」こと、少しだけ分かった気がする。

 どうか、エルナの願いが叶いますように――。

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