第12話 おばあちゃん
徐々に岩肌が剥き出しになるアルゼル山。
風はどんどん強く吹き荒れ、容赦なくボクたちに当たってくる。
頬や鼻先が凍るような感覚に襲われる。
エルナさんは一歩前を進んで、背中とパンパンに膨らんだリュックしか見えない。
「エルナさん、風、大丈夫?」
「……」
答えてくれない。
もしかしたら、風の音で聞こえなかったのかも。
「エルナさん!」
大きな声で呼んでみた。
あ、うるさいって返ってきそう……つい身構えてしまう。
「聞こえてるって……なに」
思っていたより静かに返ってきた。
なんだか拍子抜けで、ボクは次に言いたかったことを一瞬だけ忘れそうになった。
「あ、えーと、そう! 体温とか大丈夫かなって、父さんから加護魔法を教えてもらったから――」
「平気、自分の身は自分で守れるから」
「うん……分かったよ」
ボクの心配は杞憂に終わる。
岩の段差を踏み越えた先に僅かな平地があった。
岩壁の下に穴があって、少し屈めば通れるみたい。
上には、小さな穴がいくつかある。
入り口の横には、丸みのある女神の石像が置かれていた。
「ここにもあるね」
「はぁーどんだけあるんだか」
エルナさんはブツブツと言いながら、女神像の前でしゃがんだ。
胸に手を添え、目を閉ざす。前にも同じことしていたけれど、一体何をしているんだろう。
「そこ、登山者用の休憩場所だから、先に入ってて」
ボクは頷いて、下の穴から岩壁の中に入ってみる。
真っ暗、天井の高さも空間の広さも読めないぐらいの闇だ。
首にかけた星空のように煌めく蒼いタリスマンが、本当の星々みたいにキラキラ光っている。
古びた本のぼんやりとした光が、岩の中をちょっとだけ照らしてくれる。
外の寒さが嘘みたいに消えて、ボクはほんの少し笑ってしまう。
岩の床隅に束の薪がある。
真ん中には煤が残っていた。
「あれ……」
薪のそばに、くしゃくしゃに丸められた紙が落ちている。
古びた本がカタカタと震え始めた。
ボクが本を開けると、あとは勝手にページがぱらぱらと音と立てて、動き出す。
『この世の孤独を、初めて思い知った。誰も、僕が使う言語を知らないなんて……ボディランゲージしたって、返ってくる言葉が分からない。山頂に一ヵ月引きこもっていた時よりも、ずっと孤独だった――』
もうこのまま山頂に戻ろうかと、考えたこともあった。
麓の人は、言葉が通じない僕を見ては怖がり、町は怪しんで受け入れてくれない。
唯一僕を避けなかったのは、麓の村に住む快活な女性だけだった。
言葉が通じなくても、幼児向けの教科書か何かを持ってきては、必死に伝えようとしてくれて、正直泣きそうに……いや、本当に涙がボロボロと出た。今も覚えている。
お礼がしたくて、持っていたスケッチブックで、彼女の似顔絵を描くことにした。
ジッとできない彼女を、僕はジッと見つめた――。
ページの余白に、炭で描いた絵が浮かび上がる。
サラサラと流れるような線が、どんどん形になっていく。
あっという間に、ハルトさんと快活な女性の笑い合う絵が、出来上がった。
幼い印象が残る丸い輪郭。どこかで見たような……。
「あーあぁ、だる……って、ちょっとレオン、火ぐらいつけろっての。あーさむ」
遅れて入ってきたエルナさんは、魔法の光で辺りを照らす。
エルナさんは不機嫌そうな表情を浮かべている。
「あっ」
背表紙を向け、絵と見比べた。
「やっぱり」
快活な女性と、エルナさんがそっくり。
似てないのは、表情くらいかな。
「なんか文句あんの?」
「う、ううん、似てるなぁと思って」
「はぁ?」
エルナさんにも見せてみると、すぐに目を大きくさせて頷いた。
「その絵、おばあちゃんが若い時の絵」
淡々と言うと、薪を並べる。
小さく呪文を唱え、指先から微かな火を出した。
パチパチと弾ける音が聞こえ始める。
煙は、上側にある小さな穴から外へ抜けていく。
「あったかぁ」
焚火の前に手を添えると、じんわりと身体が暖かくなる。
エルナさんは薪のそばに落ちているくしゃくしゃの紙に、手を伸ばす。
ボクも気になって覗いてみると、さっきの快活な女性の似顔絵が描かれていた。
紙の隅には、「失敗作」と書いてある。
「あー……家に飾ってあるやつと一緒だ」
「ここで練習してたのかな」
「多分ね。アタシのおばあちゃん、最近元気なくてさ……おじいちゃんが描いた絵ばかり見てんの。だから、『寂しい思いさせんな』って引き摺ってでも帰らせるつもり」
エルナさんの目的が少しずつ、分かってきた。
ボクはちょっぴり嬉しくなる。
「そうなんだ……」
「アンタは、試練を受けてどうすんの? 光が見えるからって、強制されるわけじゃないのに。ひ弱な魔力量だし、武器持ってないとか、もう色々終わってるじゃん」
「ひ、ひどい……だ、だって本に武力はいらないって」
エルナさんは眉間に皴を寄せて、ボクを思い切り睨んだ。
「はぁ? だからって武器なしはバカじゃないの!」
さすがに黙ることができなくて、少しだけ前のめりになる。
「バカって言うのやめてよ。ボクだって結構悩んだんだ」
「じゃあ間抜け」
どっちもひどい!
「間抜けもいやだ……」
「武力社会って、剣術と魔法が強ければ生きていけるわけ。武力がいらないってのは、知恵を使ってどう立ち回るかってこと」
「う……そ、そうなんだ」
これは、言い返せない。ボクは大人しく頷いて、焚火に当たる。
「ホント、タイミングよくアタシがいて良かったね。感謝しろ」
「それは……うん、ありがとう」
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