第5話

 期末試験は、上杉くんが一生懸命教えてくれたおかげで、全て赤点は回避した。全然覚えられなかった化学だけでなく、他の科目も点数が伸びたのは意外だった。


「すごい。凛生そこまで成績よかったっけ?」

「いや、まあ……頭悪過ぎて勉強見てもらってたから、かな?」

「充分すごいじゃん」


 友達には感心され、私は「アハハ」と笑う。

 当然ながら、上杉くんは学年一位の成績を修め、周りからは黙られてしまった。彼の成績を手放しで褒めたのは遠山くんくらいで、山下さんはむしろ「ちゃんと眠れてる?」とまたしても心配しては、上杉くんにうっとうしがられていた。

 私はテストをファイルに詰め込み、早めに終わった学校を出たときだった。


「あなたが夢野凛生さん?」


 いきなり声をかけられて、私はぎょっとした。

 綺麗な女性は、夏にもかかわらず日焼け対策で日傘を差し、カーディガンにスラックスで日焼けを完全防備していた。暑くないんだろうかと思うものの、彼女からは冷感系スプレーの匂いがプンとする。多分対策済みなんだろうと思うことにした。

 その人はどこからどう見ても、灯さんだった。上杉くんの家のドロドロッぷりの元凶であり、上杉くんを家族にしたがっている人。

 でもなあ。幽霊のリオはともかく、生身の夢野凛生が彼女のことを知る訳ないし、どう反応すればいいんだろう。

 下校中の人が皆こぞって私と灯さんを見てくる。


「無茶苦茶綺麗な人がいる!」

「日焼け対策やばいな」

「しかし何歳だろう。年齢不詳っぷりすごい」

「誰かのお母さんにしては若いよね。お姉さん?」


 そりゃ事情を知らない人からしてみれば、年齢不詳の女性が校門近くに立っていたら普通に気になる。私は彼女に対してどうリアクションすべきか悩みながら答えた。


「あのう、どちら様ですか?」

「お世話になっております、上杉夏輝の母です」


 私は口の中で「うわあ」と声が出そうになったのを思いっきり飲み込んだ。身勝手な大人が身勝手なまんまやってきたのに、どうすればいいんだろう。

 私は目を細めた。


「……上杉くんのお母様にしては若いんですが」

「はい。まだ、ですが。もうすぐですから。あの子のお父様ともうすぐ再婚するんです」

「そうなんですか。それで、どうして私のことを調べたんですか?」

「はい、最近夏輝くんが仲良くしている子がいると伺って。てっきり幼馴染の女の子となにかしらあるのかと思いましたけど、彼女とはあくまで本当に友達のようでしたから。ですから、あなたにお願いがあります。詳しくはファミレスでお話ししませんか?」


 考える。

 正直、人目がつく場所にいた方がいいと思う。さすがに店員さんもよっぽど問題がない限りは声かけすらしてくれないだろうけれど、灯さんも変なことはしないと思う。

 私は「車とかは嫌です。歩きならば」と応じると、灯さんはクスクスと笑った。


「今時の子は本当にリテラシーがきっちりしていて、感心感心」


 彼女は本当に何歳なんだろうなと、ぼんやりと思った。


****


 あれだけ暑い夏でも、一枚壁があるとそこは空調が行き届いていて、お冷やも出してもらえる。


「よろしかったらおごりますけど」

「いえ、家に帰ったらご飯食べますからお気持ちだけ。コーヒー自腹で飲みます」

「そう」


 灯さんはコーヒーをふたり分注文してくれてから、やっと私を連れてきた意図を口にした。


「最近、夏輝くんの周りをずっと調査員がうろうろしているの」

「それは……」

「離婚調停の大詰めね。どちらのほうがより一層慰謝料をせしめられるかの情報戦をしているの」


 これ、絶対に高校生に聞かせる話じゃない。しかも当然のように上杉くんも知っている話だから、尚のこと嫌気が差した。


「その中で、最近夏輝くんが全然眠れてない状況が出てね、焦点はあの子の教育環境どちらがよくないかに移行しつつあるの」


 そんなのどっちもに決まっているでしょ。答えていいものかな。そもそも上杉くんいないところで言っていいものかなと思いながら、私はお冷やをゴクゴクと飲んだ。彼女といるとどうにも落ち着かない上に、苛立ってくるんだから、お冷やを飲んでないとやってられなかった。

 そして灯さんは続ける。


「そこで最近調査員が、夏輝くんと仲のいい子がいるから、体調について証言を取れないかという話になったの……残念ながら優秀な調査員をもってしても、最近はなにかと問題があるからと校内の調査は難しいからね。だから調査員に引っかかったあなたが必要になった」

「……言ってもいいですけど、それは上杉くんのお父様にとっても、お母様にとっても、いい証言にはならないと思いますよ。そもそもの問題、これは上杉くん本人に証言させるべき問題であって、同級生を捕まえるべき話ではないと思いますが」

「ええ、そうね。あなたが苛立つ気持ちもわかるわ。あの人たち、本当に夏輝くんのことどうでもいいから」

「あなたはどうなんですか? 私視点では、上杉くんの家の問題にあなたも加担しているように見えるんですが」


 だんだんこちらも苛立ってきて、口調がどうしても荒くなってくる。それに対して、灯さんは全然こちらの苛立ちに反応を示さない。この人の職業はなにかまでは知らないけれど、相当面の皮が厚い人なんだと思わずにはいられない。


「……そうね。私はあの人のこと、大切に思っている。家庭内別居してからの付き合いだけれど、あの人といられて幸せを感じている」

「その気持ち、どうして上杉くんにかけてあげられないんですか?」

「あの子を尊重しようとすればするほど、あのこを自立させたくなったの。それと同時に、帰る場所になりたくて」

「だから」


 私は思わず、バンッとテーブルを叩いた。周りは一斉に私たちのほうに視線を集中させるものの、私は無視する。もしかするとこの件でお父様側お母様側双方の調査員が見ているのかもしれないけれど、そんなものもう知るかと思った。

 私は声を上げる。


「どうして、上杉くんがしんどい、上杉くんがつらいって気持ちを汲み取ってくれないんですか? 言っても無駄だって判断したら、誰だって口は重くなります。両親にだってそうなんです。どうしてあなたになら心を開いてもらえるって思えるんですか。そこが私にはちっとも理解できません」

「あの子……あなたにはちゃんとお話しできたの?」

「誰も守ってくれなかったから、自分は誰かを守れる法律家になりたいって言ってました。私はそんな上杉くんを応援したいです……気分害してすみません。失礼します」


 有事の際には現金を持てって教えを守っていてよかった。私は自分のコーヒー代を現金で支払って、そのままファミレスを後にした。

 まだ蝉は鳴いてない。アスファルトの下で蒸し焼きになってしまうかもしれないのに、それでもなお出てこないんだ。私は夏の陽射しに目を細めながら、家路を急ぐ。


「……上杉くんの気持ちをちょっとは考えてよ」


 離婚劇で息子の不眠症すら、どちらが有利になるかの道具にするのか。あの人たちもう親ですらない。モンスターだ。そのモンスターに双方どちらからもチクチクされた結果が、上杉くんの不眠症だろう。

 でも……私はあの人たちに対して怒ってはいても、捲し立てることができない。

 私だって元々は、上杉くんを利用するために近付いたんだ。彼らに憤れば憤るほど、私の首は真綿でぎゅっと絞めつけられていく。

 彼の夢をかじりたいって気持ちだけで近付いた私は、彼の不眠症を裁判の道具にしようとしている両親と、なにがどう違うのか教えてほしい。

 この気持ちは、きっと口にしたら駄目な奴なんだ。

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