第3話
私が悲鳴を上げても、当然ながら近所迷惑にはならなかった。ただ、上杉くんだけはびっくりした顔をして、人差し指を差し出した。
「しぃー……この時間にうるさいよ」
「……っ」
思わず両手で口元を覆う。
「ごめんなさい。幽霊見える人って初めて出会ったから……」
そういえば、上杉くんは私が同じクラスの
上杉くんは私の謝罪を聞きながら、かなり困った顔でこちらを見ていた。
「いや、俺昔から幽霊見えるほうだから……あんまりよく見えるから、親戚の法事とかにも置いて行かれるレベルで」
「そうなんだ……」
世の中には霊感ある人がいるとは聞いていたけれど、まさかクラスメイトが霊感ある人とは思わなかったし、ましてや幽体離脱している私まで見えるとは思わなかった。
それにしても。なんでこんな夜中にベランダに出てたんだろう。
「どうしてベランダに出てたの? 部屋に帰ってベッドに横になってたほうが早く眠れると思うけど」
「寝れないし、寝たら勉強したことを忘れちゃうから」
「ええ……寝たほうがよく覚えられるってない?」
暗記とかは寝る直前に覚えて、さっさと寝て記憶を定着させるのが常套手段だって聞いてたけど。私がそう言うと、眠そうな顔で上杉くんは言った。
「俺はそこまで頭よくないから」
「うっそだあ……」
思わず呆れ返った声が出た。全国模試一桁の人が頭よくなかったら私はなんだ。ミジンコか。思わず喧嘩を売りたくなったものの、上杉くんはそもそも私をクラスメイトとも気付いてないのに、いきなり喧嘩を売られたって困るだろう。
そもそも。私は彼に寝てもらわないと夢をかじれない。おいしそうな匂いはずっと漂っているけれど、彼が夢を見てくれないことには味見することすらできないし、早く寝てくれないかなあともどかしくなる。
一方、私の様子を上杉くんは困った顔で眺めていた。
「俺、今まで幽霊を見えたことはあっても、話すのは初めてなんだけど。ここまで意思疎通ってできるもんなの?」
そんなこと言われても。私は明後日の方向を見る。
「知らない。他の幽霊の事情とかは。そもそも私のこと見えたことあるの、あなたが初めてだし」
「そっか。そりゃ霊感ある人間なんて、そんなにたくさんいないだろうしな。心霊特番とか本当にあった怖い話とか嘘ばっかりだし」
そうだったのか。霊感ある人からしてみればそう見えてたのか。
私は感心していた。それにしても。今日は月が綺麗な日なのに、月を見ずに駄弁っているのもなんだかあれだなあ。
「今日はブルームーンだけど、月見たかったの?」
「ぶるーむーんって?」
「あれ? 月関係なかったのか。今日は月に二回目の満月だから、月が綺麗だから見に来たのかなと思っていたけど、本当にベランダに出たかっただけだったんだね」
「そうだね……俺はただ、眠たかったから外に出てただけ。勉強も煮詰まってたし。君は勉強できるの?」
全国有数の頭のいい人の勉強なんか見切れないよ。私は首を振った。
「全然。私、あんまり頭よくないよ」
「ぶるーむーんとかは知ってたのに」
「それは結構普通に話題に出るから。勉強できるのは普通にすごいよ」
「そうかな。必要に迫られたからしてるだけなんだけどね」
全国上位になるのが必要に迫られるってなんだろう。国立大に行かないといけないとかかな。私はそう思いながら、空を見上げた。まだ月が出ているし、月が傾くまではしゃべっていようかな。そもそも上杉くんに寝てもらわないと夢をかじれない。
私は「早く寝てよ」と言うだけ言ってみたものの、上杉くんは首を振った。
「俺、不眠症気味だから」
「それって……病院に行ったほうがいい奴?」
「病院でも胃薬もらったけど、目が冴えちゃってあんまり意味がなかった。もっと効く薬をもらう前に保険に入らないと駄目だから、保険に入れるようになるまでは通えないんだ」
「そうなんだ……?」
「カフェイン摂り過ぎだと思うけど、取らないと勉強にならないからなあ」
そうしみじみと言うので、私は「うん……?」と考え込んでしまった。
なんだかところどころ、聞き捨てならない言葉が入っていたような。とりあえず私は観念して、ベランダの縁に座った。幽体離脱してなかったらこんなところに腰掛けるなんておそろしいことできないけれど、ぷかぷか浮かんでいるよりも座っているほうがトークする気があるように見える。
「私ねえ、日が出る前に帰らないと駄目だから。それまでに君が寝てくれたらいいけれど、眠れないんだったら話くらいは聞くよ」
「え……話し相手になってくれるの?」
「うん。私も君が寝てくれないと困るし」
まさか「私、実は夢魔なんです」「私、あなたの夢をかじりたいのでかじらせてください」「ところであなたの夢おいしそうなんですけど付き合いませんか?」なんて爆弾発言を次々ぶん投げることはできなかった。それはあまりにも上杉くんが可哀想だ。
なによりも。上杉くんは私がしばらく居座る宣言をした途端に、心底嬉しそうな顔をして笑ったんだ。その笑顔と同時に、おいしそうだと思った胡椒とローズマリーとりんごの匂いが強く際立ってきた。
お腹がキュルルと鳴る。
「ありがとう」
そう素直にお礼を言われると、途端に気まずくなって視線を逸らしてしまった。
まさか言えなかった。「あなたの夢はおいしそう」だなんて。上杉くんの夢をかじらないと私は元の人間に戻れないなんて、言える訳がなかった。
****
結局空が白むまでしゃべっていたものの、とうとう上杉くんは眠ってくれなかった。
まずい。私死んじゃう。まずい。私は慌ててベランダから立ち上がった。
「か、帰る……!」
「あ……あの、なんて呼べばいい?」
「ええ?」
もうこの間かじった人でいっかと思って、覚えたそこそこ夢のおいしかった人を頭の中でピックアップしていたら、唐突に上杉くんに声をかけられてしまった。
「また来てくれる?」
「……いいよ」
どっちみち、上杉くんが眠ってくれて、夢をかじらせてくれないと私は元に戻れない。だから彼の家に通うのは決めていたことだけれど。
まさか話し相手をご所望だと思っていなかったから、私は少し困ってしまった。
上杉くん、私のこと本当にクラスメイトだと気付いてもいない素振りだしなあ。私はとりあえず「リオ」と言った。私の名前はちょっと変わっているから、これだけだったらクラスメイトの夢野凛生だと気付かないだろう。
「そっか。リオか。リオ。またな」
「うん」
私は急いでピックアップしていた夢をかじると、引っ張られるがままに肉体に戻っていた。
上杉くんの夢の匂いを知ってしまった今じゃ、おいしかったはずの夢が妙に生臭く感じてしまう。私はようやく戻れた自室の天井を睨みながら、大きく溜息をついた。
「……おいしそうだったなあ」
人の夢をおいしそうまずそういい匂い生臭いと判別する日が来るなんて思ってもみなかった。でも、彼の夢の匂いは、お腹がどうしても鳴ってしまうのだ。
でも……。
結局本当に一睡もしなかったけど、上杉くん大丈夫なんだろうか。
「勉強だけで、コーヒーだけで、空が白むまで起きてられるものかな?」
そりゃ私だって、友達とずっとアプリで夢中でしゃべっていて、夜が明けてしまって互いに眠い目を擦りながら登校して爆笑していたことはある。でも、上杉くんは眠いのに眠れないみたいなことを言っていたような。
……幸いというべきか、上杉くんはあの幽体離脱した私を、クラスメイトと気付いてないようだったし。眠いんだから、なにか差し入れでもあげればいいんじゃないかな。
そう思った私は、スマホで眠たくなるものについて検索をはじめることにした。さりげなく差し入れすれば、上杉くんも眠ってくれるかもしれない。そうしたら私だって彼の夢をかじれるんだから。
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