第7話 蜘蛛の糸
「魔力っていうのは体中の至る所に存在する。いわば全ての細胞から発生してると考えていい。その1つ1つをある一点に集中させる。まずは利き腕、できれば指先がいいかな。そこに流し込むようにして動かすんだ。」
少年に言われた通り、ヴィレヤは全身から魔力の存在を感じ取った。そして魔力を慎重に動かし、右肩周りに集中させる。問題はそこからだ。一点に魔力を集中させる。これがどうしてもできないのである。魔力量の調整。一気の流し込みすぎて滞ってしまったり、逆に流し込む魔力が微量すぎたりで全く魔術が使えないのである。ヴィレヤの小枝のようにか細い腕に一定量の魔力量を流し込むと言うのは魔力操作の苦手な彼女にとって簡単な話ではなかった。
「少し失礼。」
少年はヴィレヤの右腕に糸を巻き付ける。そして血管周りを糸でほんの少しだけ圧縮する。
「基礎的な魔力操作ができない。これは恐らく先天的な話だ。努力でどうこうなるものじゃない。だから工夫しよう。当たり前だが誰しも血流の流れはあるはずだ。血流の流れ、血管に沿って魔力を流してみろ。それなら俺の糸である程度カバーできる。」
「・・・わかった。」
ヴィレヤは少年に言われた通り血管を沿い魔力を通す。
「待て。」
少年はヴィレヤの腕を締め上げる。
「何? 痛いんだけど。」
「少し焦り過ぎだ。深呼吸。」
ヴィレヤは大きく息を吸い、そして流れるままに息を吐いた。こわばりがちな筋肉から力が抜けた。再び魔力を通すと今度は自然と魔力が流れ出した。
「よしいいぞ。」
一度流れ出すと魔力は滞ることなく肘、手首、やがて人差し指に集まった。
「できた! できたよ! どうすればいい?」
「よし。じゃあこれから俺の言うことを真似しろ。魔術を扱う時まずは詠唱をするのが基本だ。詠唱はいわば儀式だ。自分がこれから使う魔術に対するイメージ、想像力を高めるため儀式だ。慣れてくれば無詠唱で使ってもいいが始めは名前だけでも詠唱するのが基本だ。その前の長ったるい箇所は省いていい。じゃあいくぞ。
「
ヴィレヤの詠唱と共に炎は顕現する。人差し指の先からろうそくのようなか細い炎が。
「よし。よくやった。これで炎はできた。じゃあ次は水だ!」
「・・・うん。やった・・・できた・・・次は水・・・。」
ヴィレヤは倒れこんだ。少年はすぐさま糸を使い炎を掻き消した。
「おい! 大丈夫か!」
「・・・うん。少し眩暈がして。もう大丈夫。」
「そうか。それならよかった。いきなり魔力を使い過ぎたな。まだ調整がうまくできていない。無駄な魔力消費が多かったのか。まあいい。これは大きな一歩だ。俺にとっても、君にとっても。今日はもうここまでにしよう。」
少年はそう言うとヴィレヤの部屋に垂らした糸を引く。
「待って。」
ヴィレヤは少年の糸を掴んだ。
「まだ大丈夫。次は水でしょ?」
カルドとかいう魔族は言っていた。"明日、月が空のてっぺんに昇ったその瞬間。俺はこいつへの拷問を開始する。"と。今が何時なのかわからない。いつあの魔族が現れるかわからない。だがそんなことはヴィレヤからしたらどうでもよかった。では何が気がかりか。それはオーレルのことだということはわかっていた。
ヴィレヤを助けに来たオーレルが、ヴィレヤという枷のせいでもし魔族に殺されたら? その心配がないことはヴィレヤにはわかっていた。彼女が見た目以上に冷酷だと言うことはヴィレヤにはわかっていた。そして自分を殺そうとしていたことも。いざという時は幾重もの死線を乗り越えてきたであろう魔術師として取るべき判断を迷わず取れるだろう。唯一の気がかり。それは憧憬でもあり、嫉妬でもあった。小さな屋根の下を抜け、夜空の下、夜通し星々を数える童心のような気持ちでもあった。
「慣れないことして少し体がびっくりしちゃっただけ。それにこんな閉鎖的な場所に居続ける方がよっぽど眩暈がしてくる。」
「・・・ハハッ。それもそうだな。だが無理はするなよ。一応魔術師としてやってきたわけだ。限界ぐらいここからでもわかる。俺がもう無理そうだなと感じたら今日は止めだ。いいな?」
ヴィレヤと少年が魔術の練習に勤しんでいたその頃。外では日が暮れていた。冥刻ではないが、それは魔族の時間が来たということへの警鐘であった。
鉄靴の音が、無人の廊下に乾いた残響を響かせる。照明は蛍光灯ではなく、天井に埋め込まれた魔術式光源。周期的に明滅し、脈打つように青白い光を吐き出している。左右には等間隔に重厚な扉が並ぶ。呪術刻印が外面にびっしりと浮かんでおり、その下にはナンバリングと識別記号。「C-08」「E-12」「β-Specimen-3」。中に何がいるかは誰にもわからない。
そんな中突然。交信受が音を鳴らし、研究所の静寂を掻き消す。それに呼応するがごとく扉の内側から何かを叩く音、断末魔のような雄たけびが聞こえてくる。ザイルはそれらを全て無視し足早に近くの階段まで歩くと腰にかけていた交信受を取り出した。
「ヴィネスか。何の用だ?」
「おお、ザイルよ。よかった! 君が生きてて本当に安心したよ。君までやられたらもう俺らはお先真っ暗ってやつだよ。」
「・・・冗長に話すな。鬱陶しい。それで誰がやられた?」
「メルナだよ・・・。酒場で首だけ消し飛んでたってノイルが・・・。」
「そうか。メルナがやられたか。」
「ああ・・・。これって、絶対そうだよな・・・。魔女オーレルの仕業だよな?」
「間違いないだろう。先刻自警団の連中から報告があった。魔女オーレルがここに現れたとな。」
「は!? なんで! そんな大事なことを言わないんだ!」
激昂するヴィネスに対しザイルは呆れながらため息をつく。
「そう取り乱すな。メルナは首だけ消し飛んでいたと言ったな? 胴体は残っていたのか?」
「話を逸らすんじゃないよ! 全く。ああそうだよ。」
「逸らしてなどない。魔女オーレルは必ず、殺した相手の死体は残さないと聞いたことがある。現にカルドも直接リュスの死体を見たわけではないだろう。」
「確かに、そうだな。じゃあ何でメルナは、首だけ消し飛ばされて殺されていたんだ? 俺たちへの見せしめのつもりか?」
ヴィネスは唇を震わせながら言う。
「違う。いや、それもあるかもしれない。だが奴の真の目的は、俺たちを動揺させることだ。いくらあの天才とてこの街で俺たちを探し出すのは困難だろう。現に俺たちはあの方の力で人間への擬態能力を得てるわけだからな。だがそれは完璧なものではない。精神の乱れ、動揺は魔力に大きく影響する。何かしらの精神的ショックで魔族としての魔力が漏れる場合があるのだろう。現にリュスの馬鹿が結界に引っかかった訳だからな。つまり奴はメルナの死体を餌に俺たち1人1人の居場所を探知する気だろう。」
「たっ探知・・・!? それって。まずいんじゃ。」
「ああ。かなりまずい。俺は平気だがお前らがな。お前らはすぐ取り乱す。だから奴が来たことも言わなかった。とりあえずもうそれ以上取り乱すな。それから既に探知されている可能性もある。すぐにメンバー全員を研究所へ集めろ。」
「わかった。だが何故研究所へ?」
「例の実験体を使う。」
「は!? 例のって・・・。まさか? あっ・・・。」
ヴィネスは仰天しながらもすぐに感情を抑え、深呼吸をした。
「ああ。そのまさかだ。そうでもしないと奴には勝てん。」
「ちょっと待て。本気で言ってんのか? カルドが捕まえたっていう人質は?」
「ああ。もちろんそいつも使う。だがそいつだけでは心もとない。相手は魔女オーレルだ。人質の有無だけでは俺たちが束になっても勝てはしないだろう。それに奴のことだ。もし自分が追い詰められようものなら人質すら見捨てるだけの冷酷さは持ち合わせているだろう。自分が殺された後、人質がどうなるかはわかっているだろうからな。」
「・・・確かにな。だが、それを博士は許してくれるのか?」
「さあな。だがこのままじゃ全員あの世逝きだ。勿論、博士も含めてな。カルドの奴も馬鹿な事してくれたものだ。まあ、もし本当にあのオーレルを殺せたら。世界は大きく揺れ動くぞ。」
〈警告──フロアB-2にて局所的な熱反応を検知〉
〈煙成分の反応あり。自動防火システムを起動します〉
突如研究所に警報が鳴り響く。それに呼応するように断末魔のような叫びはより大きなものになっていく。
「どうした!? 大丈夫かザイル?」
「ああ大丈夫だ。火災探知用の魔道具が少し反応しただけだ。ここじゃよくあることだ。」
「そうか。それはよかったよ。俺はあまり研究所の方へ行かないからなー。・・・それにしても博士に話を通すのはいつも君だよね。一応リーダーは俺なんだよー? 少しは俺にもそういうこと手伝わせてくれないのかい?」
「別に構わんが。お前の知能で俺と博士の話についてこれるというのならな。」
「あーまたそういうこと言う。本当に君って奴は。まあいいや。他のメンバーにも伝えておくよ。じゃあまた研究所で。」
「ああ。お互い生きて居たらな。」
フロアB-2。それは研究所の中でも比較的小さく、警備も緩いフロアだった。ここに収容された実験体も危険度は低く理性の残された個体がほとんどだ。と言ってもこの研究所で理性の残ったまともな個体などほとんど存在などしていなかった。その為フロアB-2に収容されている実験体は1人だけであった。
余談となるがカルドがヴィレヤを警備の緩いフロアB-2に収容したのは彼自身が研究所の奥に収容された凶暴な実験体に対して恐怖を抱いていたからだろう。
そんなフロアB-2にて火器の検出。大事ではないだろう。看守の男は小さなナイフだけ所持し現場へと向かう。魔族ではない。この街に住む犯罪組織の男だ。オーレルの予想通り、この街の住民は皆魔族に懐柔されていた。
火器が検出されたというフロアB-2に男はついた。もちろん火元などありはしなかった。ただし奇妙なことに床が水浸しになっていることに男は気づいた。
「なんだぁこれは?」
男が考え込んでいると突然天井にわずかに空いた吸気口から糸が飛び出す。糸は男の肩から腕に巻き付く。
「んだこりゃあ?」
男は所持していたナイフで糸を切り裂く。
「やはり、吸気口を通しての細い糸では駄目か。糸だけなら。」
少年はそう言うと再び糸を伸ばした。吸気口から飛び出した糸は男の足に絡みつく。
「ちっ。鬱陶しいな。おい実験体! こんなことしてただで済むと思うなよ? それともあれか? また遊んでほしいのか? 卑しい餓鬼だぜ。こんなことしなくてもいくらでも遊んでやるよ。」
男が言う。少年は気にも留めず糸を男の足に巻き付ける。そして少しだけ、糸を引っ張り上げた。糸が千切れないわずかな力だ。それでも水浸しの床の上だ。男は見事に足を滑らせ尻もちをついた。
「よし。」
糸を巻かれ動きを封じられた足では起き上がることはできなかった。男はすぐにナイフで糸を切ろうとする。だが転んだ表紙にナイフを手放してしまっていた。床に落ちたナイフを少年はすぐさま糸で拾い上げ男の喉元に突き立てた。
「また遊んでくれるって言ったよね? やったあ! 嬉しいよ! でも今度は俺が乱暴する番だ。俺はあんたら程スキンシップが好きじゃないんでこの糸で遊ばせてもらうよ。ルールは簡単。今すぐ俺のいる部屋のキーを開けろ。開けなければこのナイフでお前の喉を裂く。もちろん一思いにはやらないよ。少しづつ、じわじわと。お前がキーを開けなきゃお前の勝ち。開けたら俺の勝ちね。」
少年は壁越しに男に向かって言う。
「まっ待てよ。この足じゃ扉までいけねえ。まずは放してくれ。」
「あーそう? 命かかってんだよ。自分で頑張れば? まあ俺は優しいからね。特別に扉前まで案内してやるよ!」
少年は糸を引いた。そして乱雑に男を自身の部屋の扉の前まで引きずった。
「クソガキが。てめえ。」
男は顔を真っ赤にし、拳を握りしめる。
「早くしなよ? マジで切るけど。」
「チッ。」
カチッ、と小さな金属音だけが鳴った。扉が開き少年が中から出てくる。表情は中性的で、瞳は銀灰。髪は短めで、濃い銀髪や煤けた茶髪。身長はやや低め。全体は濃い灰色と墨黒の中間程の囚人服ベースだが、ジャケット風に改造済。上着は左袖だけ残し、右腕は露出。肘から先の肌は黒く変色しており側面に黄色い線が走る。
「俺の勝ちだね。」
少年が言う。
「お前、何をした? 火災報知器鳴らしたのもお前だろ?」
「ご名答。まあ正確には俺1人ってわけじゃないけど。」
少年はそう言うと自身の隣の部屋、ヴィレヤの部屋の扉の施錠を解除し開いた。ふらついた足取りでヴィレヤは外へと出る。
「俺は博士の実験で魔術を使えなくなった。だから彼女に頼んだんだ。彼女が魔術で火を起こす。俺はこの薄汚い囚人服の袖を千切ってバラバラに引き裂く。素手じゃ厳しいから糸の力でな。引き裂いた繊維を糸に絡める。吸気口から糸を通した。糸に絡まった繊維に彼女が出した火は見事に着火。まあそれじゃすぐに消えちまうし糸も熱で切れちまうが。俺が欲しかったのは煙だ。俺はまた糸を伸ばし一度切れ落ちた糸と繊維を回収。そこからは煙が出てくからな。それを吸気口を通して廊下、火災報知器の真下まで運んだってわけさ。」
「・・・じゃあこの水は何だ?」
「それも彼女の魔術で作り出したものだ。千切った服の繊維をさっきと同じように糸に絡めて水を吸わせる。んで一気に絞り出したってだけだ。んじゃ俺らはこれから脱獄するんで。変に騒ぎ起こさないでくれるなら殺さないであげるけど?」
男は少年の言葉に返答せず、ただその場で頷いた。
「よし。じゃあ行こうか。」
少年がヴィレヤの方を向く。ヴィレヤは糸に吊るされたナイフを手に取っていた。そして次の瞬間男の喉元を裂いた。声にもならない呻きをあげて倒れる男。ヴィレヤはその男の背をめった刺しにして殺した。
ヴィレヤは初めて人を殺した。だが不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ達成感すらあった。それは暴力に耐えるしかなかった自分自身に対する反逆と決別のつもりだったのだろうか。
「・・・何をしている?」
「私、ここに来たばかりで。あなたのこともこの男のことも全然知らない。でもこれだけはわかる。この男はあなたを一方的に傷つけてきた。きっとあなただけじゃない。今までもこれからも、大勢の誰かを傷つける。それが許せなかった。だから殺した。それだけ。」
ヴィレヤはそう言うとその場でふらつき倒れそうになる。少年は急いでヴィレヤを抱きかかえる。
「・・・流石に魔力を使い過ぎたか? いやでも、そんな無茶をしてる感じは全くなかった・・・。隠していたのか? 俺に無茶してるのを悟られないよう。」
少年の言葉にヴィレヤは小さく頷いた。
「こいつは大した奴だ。お前名前は何て言う?」
「・・・私はヴィレヤ。あなたは?」
「俺はエルドだ。絶対ここを脱出するぞ。ヴィレヤ!」
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