第35話 少しだけ甘い時間
朝食を終えて部屋に途中で、石塚がニヤケながら肩を寄せてくる。
「なあ黒沢、これ見てくれよお」
そう
二人とも水着姿だ。
「うへへ、俺、これ一生の宝にするんだ」
「あっ、それなら僕も! 見て下さいよこれ! 感謝感激です!!」
坂下も同じような写真を見せつけてくる。
どうやらクラゲ騒動で俺と七瀬さんがいない間に、写真撮影会があったようで。
他にもみんなで獲った写真なども保存されている。
こいつら二人がここまで喜んでくれているのなら、麗を連れて来て良かったと思うけど。
「今日はどうしようか黒沢?」
「そうだな、夕方まで自由時間だからな。俺はここでのんびりでもいいんだけどなあ」
「この辺りを散歩するのもありですねえ」
同じような会話が、周りからも聞こえる。
テニスをしようだとか、もう一度海に行こうだとか、色々な楽しみ方があるみたいだ。
「おはよう、
「ああ、華恋。おはよう」
同じく食事を終えた華恋と麗が、俺達を追い駆けてきた。
「麗とも相談したんだけどさあ、今日甘い物の食べ歩きをやろうよ。この辺にはいっぱいお店があるみたい」
「甘い物か。まあ、いいぞ。どうせやることもなくて暇だったんだ」
施設に残ってゆっくり小説の続きを書くのもありかなとは思ったけれど、ここは従っておこう。
一応華恋には、このイベントに参加してもらった恩だってあるんだ。
「ありがとう。じゃあ後で、ロビーで集合ね!」
小さな体を軽く跳ねさせながら、麗と一緒に俺達を追い越していく。
「ということだから俺はあっちに行くけど、お前らはどうする?」
「そ、そうだなあ……」
「そうですね。レイさんとご一緒できたら、嬉しくはありますねえ……」
「あ、あの、黒沢君!」
何だよ……今度は美影か?
「き、君は、あの、今日も焔崎さんと一緒にいるのかい?」
「ああ、そのつもりだけど。甘い物巡りをしようってたった今喋っていたとこだ」
「そうなのか? じゃあ、是非僕に案内をさせてもらえないだろか? 昔からよく来ているから、この辺の地理には詳しいんだ」
「いいけど、華恋本人にも聞かないとな。直接自分で喋ってみたらどうだ?」
「い、いや、できたら黒沢君の方から、一言伝えてもらえたら助かるのだが……」
何だか物腰が柔らかいな。
昨日までかなりぐいぐい、華恋のことを引っ張り回していたように見えたけどな。
「まあ、分かった。訊いとくよ」
「あ、あの黒沢、できたら俺達も頼む!」
「よ、よろしくお願いしますです!」
石塚も坂下も、祈るような眼差しだ。
「ところで黒沢君、焔崎さんは、ホムラグループの社長のお嬢さんなのかい?」
「ああ、みたいだな。両親やら親戚やらが社長や専務をやってるって聞いたことがあるぞ」
「そ、そうなんだね。君はどうやってそんな子と、知り合ったんだい?」
「それを説明するのは面倒くさいなあ。細かいことを言うなら、今日の話は無しにしてもいいぞ」
「ああ、ご、ごめん! よろしく頼むよ!!」
どうやらこれで、今日の予定は決まったみたいだけど。
結局、昨日とあまり変わり映えしない面子だな。
部屋で着換えと片づけを終えてから、フロントでチェックアウトの手続きを済ませて、手荷物を預けた。
そこに集合したのは、俺と華恋と麗、それに美影、石塚、坂下の六人だ。
七瀬さんは、今日はここにいない。
他の友達と話していたから、きっとそっちに行くのだろう。
出発をすると、美影は昨日にも増して弁舌を披露し、この辺の観光名所などを説明してくる。
一件目に入った店は、パンケーキ屋さんみたいだ。
「ここのオススメは、イチゴとアンズのふんわりパンケーキなんですよ。このお店の看板メニューです」
「じゃ、じゃあ、それにしようかな。あと紅茶で」
「はい、了解です。お~い、店員さん!」
華恋の横で甲斐甲斐しく世話を焼く美影。
華恋の方もだんだんと馴れてきたのか、普通の会話ができ始めている。
それにしても、華恋も麗も、いつも通りのいい食べっぷりだ。
俺の部屋で料理を振舞ってくれる時などは、いつだって炊飯器の中の米が空になる。
「なあ麗、お前それだけ食べてて、よくその身体を維持できてるな」
「それって、ともすればセクハラ発言よ。まあこれでも努力はしてるから」
努力ね……部屋にいる時は、かなりグダグダの姿しか見ていないが。
けど料理の他にも掃除や洗濯なんかは、きっちりとしてくれている。
お陰様で、自分では何もやることがないほどに。
なんだか、いわゆるヒモにでもなった気分だ。
「さすがはレイさん、そのスタイル、いつも見惚れます!」
「あら、ありがとう坂下君。そんなことを言ってくれて嬉しいから、ご褒美」
麗は隣に座る坂下にゆっくりと顔を近付けて……
『ふう…………っ』
「ひゃ、ひゃわわあああ!!!」
麗が耳元で息を吹きかけると、坂下の小柄な体が飛び上がる。
「あああああ、坂下お前、ズルいぞ!!!」
「ちゃはは、レイさん~………」
デレデレ顔の坂下のことを、石塚は心底羨ましそうだ。
それから二件目、三件目と店を回って行く。
御手洗団子に、牛乳がたっぷり入ったソフトクリーム、どれも美味い。
昼飯は抜きにして、スウィーツが腹を満たしてくれる。
このままだと、体全体が甘々になりそうだ。
ふとした時間に、俺と華恋とが、みんなの後ろを歩いていた。
「ねえ翔様、私全然、翔様と話せてないなあ」
「ああ、だな。お前結構人気者だからな。ちゃんとみんなと話せていて、凄いじゃないか」
華恋の周りにはずっと美影がいたり、他の面子からも話しかけられていじられていた。
だからここに来てからはほとんど、喋れていないんだ。
「うん、なんとかね。これでも頑張ったから。だから、ご褒美が欲しいな」
「ご褒美?」
「ん。ちょっと止まって。背を低くして」
言われるままに立ち止まり、そこで少し身を屈めた。
『ちゅっ!』
――! な、何!?
ほっぺたの片方がじんと熱い。
そこに、華恋の小さな唇が触れたから。
「お、お前、いきなり何をするんだよ!?」
「えへへ。今日はこれくらいね! やったあ!」
嬉しそうに顔を綻ばせる華恋。
おいおい、誰にも見られてないだろうな……
そうして何もなかったかのように、みんなの輪の中に戻って行く。
残された俺だけ、少し心臓の鼓動が速くなっていた。
一通りぐるりと回り終えて戻ると、出発の時間まではまだ少しある。
今度こそ、ゆっくり小説の続きを書こうと思い、施設のロビーにあるソファに陣取った。
過去の記憶を頼りに、意識をファンタジーの世界へと飛ばしていく。
「あの、黒沢君。ちょっといいかな」
声が聞こえたので、空想の世界への旅を打ち切って首を動かすと、そこに七瀬さんが一人で立っていた。
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