七.表の当主と影の当主(1)
あずさは食事を終えると、障子を開けて廊下に出た。
そこは庭に面した縁側になっており、丁寧に整えられた日本庭園が望めた。青々とした立派な松の木に、白砂の枯山水が美しい。
あずさの育った楠宮家も本家なのでそこそこ広かったが、祈羽杜家の武家屋敷の足元にも及ばない。ざっと庭を見渡したところ広大な敷地内に建物がいくつもありそうで、中学の修学旅行に行った京都の寺院よりも広そうだ。
ときおり烏が何羽かやってきては飛び立っていくのは、烏が多い地域だからなのか、あるいは祈羽杜家が八咫烏の血筋だからなのか。
烏は害鳥と見なされることもあるが、あずさは烏を特段怖いとは思わなかった。特にここにいる烏たちはみな魂の色が穏やかだ。
(お父さんたち、まだわたしを探しているのかな……生贄として)
仕事用に与えられていたスマホを自室に置いてきていなかったら、いまごろ両親や妹からのメッセージが殺到していたかもしれない。
気になるのは父たちだけではない。
《無角の鬼面》と呼ばれた鬼面の男はあずさたちを逃がす足止めしてくれたようだったが、彼は無事だろうか。自我のある高位の式鬼のようだったし、彼が怪我をしたり消滅したりしていたらと思うと心が痛む。
悶々と過ごしていると日が陰ってきた。ついには空が茜色に染まり、日が落ちる。
障子を閉めて部屋に戻り、電気を付けてしばらくした頃、遠慮がちな足音を響かせて倫世がやってきた。
「あずさ様。当主がまいりました」
あずさの背筋を緊張が走る。ついに祈羽杜家の当主に会えるのだ。
当代の祈羽杜家の当主はあずさも噂くらいは知っている。強力な式鬼を何体も従えた結界術のエキスパートで、その実力は他の御三家の者も舌を巻くほどだそうだ。
(そんなにすごい人に助けられるなんて……でも、どうしてあの場所がわかったんだろう)
倫世が廊下で平伏する中、やってきたのは二人の男だった。
一人目は、黒いスーツ姿の男だ。年齢は二十代後半くらいだろうか。髪型と背格好でわかる。昨夜、SUVを運転していた男だ。柔和に整った顔立ちをしており、人の懐に滑り込んでくるような親しみやすさが感じられる。
もう一人は角のない白い鬼面を被った金髪に和装の男。《無角の鬼面》と呼ばれていた男だ。
「いやあ、お待たせしてすみません。ちょーっと事情がありまして、こんな時間になってしまいました」
倫世が障子を閉めるのを待たず、スーツ姿の男がそう切り出した。
「どうも、はじめまして。祈羽杜家七十二代目当主、祈羽杜
えっ、とあずさは思わず声をあげた。
まさか、既に当主と会っていたとは思わなかった。しかも偉大な当主で凄腕の退魔師に車の運転をさせたばかりか、あずさは後部座席でのんきに寝入ってしまった。たちまちにいたたまれない気持ちになって縮こまる。
「楠宮あずさです。あの、昨日はご当主様だとは知らずご無礼を……」
「そうかしこまらんでください。あと環で結構です。環くんでも環さんでもお好きなように呼んでください。昨夜は大変でしたねえ。元気になられて本当によかった」
環が明るく笑いかけてくる。
あずさを不安にさせまいとしてくれているのだろう。どこかへらへらとした笑い方も軽薄を装っているように見えた。祈羽家の当主というとお堅いイメージがあったが、一気に好感度が上がった。
「助けていただきありがとうございました。何から何までお世話になってしまって、なんとお礼を申し上げたらいいか……」
「どうか気にしないでください。こっちも正義感や慈善事業で助けたわけじゃないんで、あんまりありがたられると良心が痛みます」
「……何か事情があったというわけですか?」
「そういうことです。まあここらへんは、真の当主に詳しく説明させますね」
真の当主。どういう意味だろう。
あずさが目をぱちくりさせていると、環の隣で静かに座していた座していた《無角の白鬼面》が鬼面に手を掛けた。上へずらすように仮面が外されると、長めの金髪が一房、額に落ちた。
とたんに男のまとう空気ががらりと変わる。
(えっ、人間?)
鬼面を被っていたときは確かに式鬼だと感じていたのに、いまは人間に見える。
父が彼を《無角の白鬼面》と呼んでいたから、有名な退魔師の式鬼に違いないという思い込みもあったかもしれない。
なのに、一方で鬼に似た空気も確かに感じるのだ。
矛盾した感覚に戸惑っていると、男がじっと目を向けてきた。切れ長で眦がきつめの眼差しは色素が薄く、強い意志の宿っていながらも感情を読ませない。彫りの深い顔立ちは怜悧に整っており、息を呑むほど美しい。文字どおりの、人ならざるような色香があった。
「祈羽杜
「安心してください、本当に人間ですので。こう見えてもこの人、百鬼調伏局が認定した七星に選ばれたくらい凄腕の退魔師なんですよ」
「百鬼調伏……え?」
聞き覚えのない組織名にあずさは目をぱちくりする。
「あー、若い人は知りませんかね。陰陽寮が解散になった後に出来た組織で、退魔師協会の前身みたいなものなんですが。まあそんなこんなで込み入った事情がありまして、千暁様の存在は祈羽杜家でも上層部のごく一部しか知らされていません。なので、普段はこうして特殊な鬼面を被って僕の式鬼を装っているんです。このことは他言無用にお願いしますね」
環が補足で説明を加えると、千暁と名乗ったばかりの彼は隣の当主に冷ややかな眼差しを向けた。
「環。最初から余計な情報を与えすぎではないか。物には順序というものがあるだろう」
「世の中タイパですよ? 無駄に時間かけてちゃ若者はついてきてくれませんて」
「たいぱとはなんだ? 俺の知らぬ新語を使うときは先に説明しろ。不愉快だ」
「あーはいはい、タイパとはタイムパフォーマンスの略で――」
環が律儀に現代用語を説明するのを待ってから、あずさは切り出した。
「あの、それで祈羽杜家の退魔師様がわたしなんかにどうして……」
「ああすみませんね。実はですね、以前から楠宮家にはある疑惑があったんです」
「疑惑?」
ちらりと隣の千暁を一瞥してから、環は続けた。
「当主、つまり正統な後継者が成人するたびに、身内の退魔師が謎の失踪を遂げていたので。後継者決定と何か関係があるんじゃないか、と……あずささんはご存じではなかったですよね」
「……すみません。まったく」
「生贄本人に知らせる必要はないからな」
「千暁様、言い方!」
「楠宮あずさ。親族、たとえば叔父や叔母などに、父親が十八歳を迎えた頃から行方不明の者や、死んだとされている者はいないか?」
「……確か、父の妹が亡くなっています。わたしが生まれるより前に」
てっきり任務で命を落としたものだと思い込んでいたが、十八歳の儀式で式鬼の生贄になったのかもしれない。昨夜の体験を思い出し、あずさの肌が粟立った。
やはりそうか、と千暁が気の毒そうな眼差しを向ける。
「多くの家系が才のある者が生まれず苦悩する中、より強い能力を継承させようとする気持ちは理解している。だがそのために血族を犠牲にしていいはずはない。それで楠宮家の継承者と思われる楠宮沙緒里を見張っていたのだが……思わぬ掘り出し物を見つけたものだ」
「掘り出し物?」
「おまえだ」
千暁が鋭い眼差しを向けてくる。その両眼に捉えられただけであずさは身がすくむ思いがした。
「おまえは、俺が気の遠くなるほど長い間探していた《
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