第17話 【ヒトリ交換日記】
「こんな時、才波を助けるには──」
真っ暗な公園。
か細い照明を頼りに辺りを見回す。
けど、
誰もいない。
俺はただ一人、【えにっき】を片手に立ち尽くすだけだ。
誰を探してるんだ、俺は。
【えにっき】の中、幼い線で描かれた才波を見つめる。
絵柄はシンプルで、表情は分からない。けど、
独りで閉じ込められてんだ。
心細いに決まってるよな。
こんな時、全てをひっくり返してくれるような──
そんな人が、俺の近くにいた気がする。
なのに、
俺は何も思い出せなかった。
記憶のヒモをたぐり寄せても、思い出すのはラブレターと伝説の木。
でも、それが何と関係あるんだ?
早く才波を助け出して、昨日のこと償いたいよな。
そのためにも、この【ヒトリ交換日記】について調べるんだ……!
俺は【えにっき】を脇に抱え、家路についた。
けれど、
モヤモヤは心の片隅に残ったまま。
俺は、誰のことを思い出せないんだ?
「何だ、このページ……?」
「どうしたの? みぃくん」
俺の独り言に首をかしげるまほろば。
ツインテールがかわいらしく揺れ、甘いニオイが香った。
真っ白なワンピースが爽やかで、夏を象徴するみたいな格好だ。
麦わら帽子を被り、手には釣り竿。
静かな海を背景に、かわいらしく堤防に佇んでいた。
にしても今日は涼しくて過ごしやすいな。
つきものが落ちたみたいに、空気が軽い。
七月なのに残暑と秋の中間みたいな空気感だ。
ずっとこうだったらいいんだけど……。
「どうしたのって言われてもな。いや、何て言うかさ……」
俺はまほろばの隣──
折りたたみ椅子に座りながら【えにっき】を読む。
これをまほろに伝えていいのか?
俺が気にしているのは【えにっき】の記述。
今日の欄に書かれた文章だった。
昨日の夜、確かに俺は試しに書き込んでみた。
内容は……何だったか忘れたけど。
とにかく、俺が書いたのは「昨日」の日記だ。
「ていぼうで釣り。パンツが見えた。黒だった」
でも俺、こんな文章書いてないよな?
この【えにっき】は肌身離さず持っていた。
なら一体、これを誰が書いたんだ?
そもそも、今日パンチラエピソードなんて経験してないし……ッ!
ってか、俺の天使で有名なまほろばが黒下着?
白じゃないのか?
天使が黒なんて着用したら堕天しちゃうだろ。
いやいや、まさかな……。
俺は【えにっき】を閉じ、まほろから隠す。
「みぃくん、動かないでね?」
突然、まほろばが俺の体に触れる。
釣り竿を傍らに置き、緊張した息遣いの彼女。
二人の距離はさくらんぼのようにピッタリくっついていた。
「どどど、どうした? 急に」
さっきの文章が【不条理存在】の一端なら、何かが起こる。
もしかして、この流れで急に脱ぎ始めるのか……?
どういう情緒?
俺の心身をじりじりと焦がす日差し。
もうワケ分かんねェ!
何かに突き動かされるみたいに、俺は思わず立ち上がった。
刹那──
青空の下、盛大に晒される黒下着。
「きゃっ!」
俺は思わず、顔を覆った。
いや、ゼッタイ覆うべきは顔じゃなかったわ。
「だから言ったのにぃ……」
まほろばは俺の黒下着を見つめ、顔を赤くしていた。
俺のズボンに引っかかった、釣り針を外しながら。
「俺がパンチラしてるーッ!」
【不条理存在】が叙述トリックすんな!
何で俺のパンチラを予知してんだ!
どこ行ったんだよ、「才波を食ったシリアスさ」は……!
「恥ずかしがらなくてもいいよ、みぃくん。まほろとお揃いだし、色は」
「黒下着は真実なんかい……ッ!」
「みぃくん、ウソだよそれ」
「……ッ! お前ゼッタイ後で確認するからな!」
くしゃみをしながら俺はズボンをはき直す。
何で今日に限ってちょっと肌寒いんだよ!
ちなみにBGMは、まほろの笑い声だ。
とにかく、【ヒトリ交換日記】の不条理性は理解できたな。
これは、未来のことが書かれた【えにっき】……!。
なら次、俺の身に起きるのは──
ページをめくると、今日の欄にはまた新たな文章が浮き出ていた。
「じこがあった。血がいっぱい出た」
ノートににじむインク。
それはドロドロ垂れ、サンダルの上にこぼれ落ちた。
黒々とした液体が地面に広がってく。
うえ……!
何だよこれ!
【えにっき】を閉じ、足の汚れを振り払う。
あれ?
さっきのシミは?
液体がしたたった場所には、何も溜まっていない。
でも、見間違いなんかじゃなかった。
さっき何かが垂れたんだ、俺の足に。
いや、そんなことよりも──
もし、これが現実になるなら……?
「みぃくん、こっちでも釣りしてみよ~! サンマ釣るよサンマ!」
「いや、サンマは秋の魚だろ!」
釣り具を片手に、手を振るまほろば。
無邪気な顔で笑ってら。俺の焦燥なんて知るよしも無いんだろな。
彼女はひょいひょいと、テトラポッドの上を進んでいく。
庭を駆ける子犬みてェ~。
いつの間に移動したんだ?
危ねェだろ、こんな場所で。
「……ッ!」
脳裏によぎる不安。
さっきの【えにっき】、まほろのケガを予知してるならマズい。
いいや、違ェよな。
俺はまほろばの後を追い、テトラポッドの上を跳ねるように移動する。
俺の方が【改変】してやるんだ、【えにっき】の予知を……!
瞬間──
体勢を崩すまほろば。
俺は彼女の体を受け止め、テトラポッドの隙間に着地した。
「大丈夫そうだな、まほろ」
「ありがとね、みぃくん。でも……」
まほろばが視線を向けたのは俺の足。
スネの辺りからは、真っ赤な血がドクドクと流れている。
「ああ、気にすんな。どうってことないよ、これくらい」
こんなケガなんて些細なことだ、
【えにっき】に食われた才波と比べたら。
俺はまほろを抱き止めながら、手を強く握った。
「これで手当てはバッチリ! 次は、危険な場所行かないようにするね」
包帯の上から、まほろは俺の足を撫でる。
貝殻で軽く切っただけなんだが、心配性だな。
でも、
そういうとこがコイツの魅力だよな。
今だって、コンビニ(個人商店)まで来てくれた。
楽しみにしてた釣りを、わざわざ切り上げてまで。
「これ、貸し一つってことで。また美味いメシでも作ってくれ」
店の前で座り込んだまま、俺は【えにっき】を読む。
「みぃくん、やっぱり変だよ今日。ずっとそのノート見てるし」
「いや、これはだな──」
まほろに心配かけたくねェンだけどな。
流石に、ずっとナイショにしとくワケにはいかないか。
俺は【ヒトリ交換日記】のことを洗いざらい話した。
「でもさ、みぃくん、『昨日書き込んだ』って言ったよね? どこにも無いよ、みぃくんの日記なんて。なんて書いたの?」
「それは……」
あれ?
なんて書いたんだっけ?
「書いた」という事実は覚えてる。なのに、
「何を書いたのか」は思い出せない。
食べた物を忘れる老人みたいに、頭からその部分の記憶がスッポリ抜けていた。
いや、読めば思い出すハズ。
【えにっき】を受け取り、直近の日記に目を通す。
けど──
「消えてる。俺が書いた文章が、丸々1ページ」
いや、だとしたら……。
あの疑問も解ける。
「この【えにっき】、左のページは必ず白紙になってるんだよな。それで、右のページには幼い線で描かれた日記。昨日、俺が書き込んだページも左側だった……」
俺は試しに、昨夜と同じページに文字をつづる。
内容は、「昨日の昼は月見バーガー食べた」とかでいいだろ。
けど、
文字が、消えてる……?
書き終えた途端、文字はどんどん薄くなっていく。
温度で消えるペンみたいに、数秒で文章は消えて無くなった。
「みぃくん、面白いペン持ってるんだね」
「違う。使ったのは普通のペンだ」
でも、文字が消えたからって何も不条理じゃない。
ただのドッキリノートだ。
じゃあ次は、血文字はどうだ?
乾ききってない足の血痕で、さっきと同じ文を──
「ん? あのさまほろ、俺ってさっき何て書いた?」
「え? 『お昼は月見バーガー食べた』とか書いてたよね」
まほろはおイモのソフトクリームを食べながら言う。
「さっきから何でラインナップが秋なんだよ! って、え……?」
そんなこと書いたか?
昨日って昼ご飯食べてないよな?
そもそも俺、昨日って何したんだ?
いやいや、焦るなよ目狩ミトル。
少なくとも、才波のことはちゃんと覚えてるだろ?
俺は昨日、あの公園で誓った!
才波を絶対に助けるんだって。
今大事なのはそれだけだ。
するとまほろばは──
「ところで、みぃくんのクラスは文化祭何やるの?」
と、はにかんだ。
「は? 何言ってんだ、まほろ。今は七月。夏休みもまだなのに」
「みぃくんこそ。だって今、九月だよ……?」
足元を襲う浮遊感。
立っていた地面が崩れ落ちたような、
上下左右が分からなくなったような、
言いようの無い気持ち悪さが俺を襲った。
ぶわり。
どっと汗が噴き出し、おデコを伝い落ちる。
今が秋?
そんなワケない。
だって俺は昨日──
いや、昨日っていつだ?
何月何日のことだ?
才波が消えたのは何日前の話だ?
胸のお守りを握りしめ、俺は呼吸を落ち着ける。
そして、震える指でスマホを開いた。
九月二十五日。
表示されたのは、残暑も終わりを迎える頃の日付。
才波が失踪してから、二か月も経った日付だった。
この【えにっき】は、未来を予言するだけじゃない!
記された過去を喰らい、無かったことにする【不条理存在】……!
俺は、何を忘れてる?
何か、思い出すキッカケでもあれば……。
ふと、脳裏によぎったのは二ヶ月前──
七月に廊下で■■■■■と交わした、とある会話だった。
「何を書いてるんだい?」
■■■■■は、スマホを覗き込む。
「メモしてんだよ、最近のこと。忘れたらもったいないだろ?」
廊下を歩きながら、俺は■■■■■を見つめ返した。
そうだよ!
どうして忘れてたんだ!
俺はメモアプリを開き、ファイルを片っ端から開く。
すると──
「部屋の引き出し」というメモ。
そうと決まれば……!
俺は立ち上がり、服の埃をはらう。
「まほろ、手当てしてくれてありがとな。ちょっと俺、先に家帰るわ」
「え、どうしたのみぃくん?」
「ちょっと確認したいことがあってさ。せっかく遊びに誘ってくれたのに悪ぃな。この埋め合わせは、また別の日に──」
俺の腕に抱きつくまほろば。
「まほろ、まだ一緒にいたいな、みぃくんと」
上目遣いをしながら、まほろばはソフトクリーム片手にねだる。
幼子が甘える時のような、あどけない要求……!
俺は、こんなにも無垢な幼馴染の願いを、断ることができるのか?!
心で湧きあがる優柔不断マインド。
決断できね~!
「じゃあさ、俺の家来るか? 別に、俺の用事ってスグ終わることだしさ」
けれど、
まほろばは黙ったまま首を横に揺すった。
どうしたんだ、今日のまほろ。
確かにコイツは昔から甘えん坊……だった気がする。でも、
ここまでかたくななのは珍しいよな。
「うーん。ちなみにお前、今日はどれくらい一緒にいたいんだ?」
ホントのことを言えば、スグにでも帰りたいんだけどな。
メモのこと、今にも忘れちゃいそうだし。
でも、まほろも放っておけないし……。
「ちょっとなら付き合えるかもしれないからさ」
「ずっと」
「え?」
「ずっと一緒にいてほしい、ここに」
俺を見つめながら、ウットリとしたように言うまほろば。
不思議な瞳だ。
俺を見ているようでも、別の何かを見ているようでもある。
一体どうしちゃったんだよ、まほろ。
まさかこれも、【えにっき】の【改変】なのか?
いや、分かんない問題は全部保留だ!
とにかく、
家に帰ってメモを読む……!
そうすれば、何かが変わりそうな、そんな「予感」がする。
「今日はごめん……!」
まほろを引き剥がし、商店の前の坂を駆け上がった。
でも、悪いことしちゃったよな……。
俺は坂の途中で止まり、まほろのいた駐車場を振り返る。
けれど、
そこには誰もいなかった。
アスファルトの上、
落ちたソフトクリームだけがまほろばの痕跡。
ソフトクリームはドロドロと融け、薄汚れた模様を地面に作っていた。
一体、何だって言うんだよ。
俺は足早に家に帰り、自分の部屋まで駆け上がる。
引き出しの中にあったのは一冊のノート。
それは、俺と■■■■■との日々をつづった、一人称視点の文章だった。
「帰ってきたね、ミトル」
ァル子さんはニヤニヤと笑いながら、俺を見つめる。
上手にあんよができた赤ちゃんを眺めるように、
一人でおつかいができた子どもを出迎えるように。
ベッドの上、ァル子さんはいつもの不敵な笑みを浮かべこちらを見つめていた。
「ァル子さん……!」
俺はどうして忘れてたんだ?
こんなにもブキミで憎らしくてユニークな隣人を。
「感動の再開は後にしてくれ、ミトル。とにかく今は時間が無い」
ぱちん。
彼女が指を鳴らすと、部屋の四隅から真っ黒などろどろが溢れ始めた。
夜の闇がこぼれたみたいな、暗黒の具現化が。
「単刀直入に言うと、■■■を名乗る■■■■■■■■を■■てはいけないよ?」
けれど、ァル子さんの言葉は上手く聞こえない
肝心な単語は水音のようなものにかき消された。
何かによって【検閲・削除】されたように、
「どうやら、展望台でキミを助けた時、ボクの方が【改変】されちゃったみたいだね。キミとの繋がりが弱くなってるみたいだ」
「【改変】って、【テセウス】はそんな力を持ってるってことか?」
「それは■■よ。キミが■■べきは──」
溶け出した闇は次第に俺の体を飲み込んでいく。
足。
腰。
胸。
そして、首元まで来た時──
ァル子さんは俺を抱き寄せ、耳元でささやいた。
「今のボクが二ヶ月も【改変】するのは大変でね。きっと次に会う時が最期だ」
「何だよそれ……! 俺はお前のこと、今でも信じらんねェヤバ女だと思ってるケドなァ! この前、展望台で俺たちを助けてくれた時、もしかしたら仲良くなれるかもって期待したんだ! なのに、こんな中途半端なとこで──」
けれど、
ァル子さんは俺の口を人差し指で塞ぐ。
そして、黙ったまま俺のことを優しく見つめた。
恋する乙女みたいな、切なげな表情で。
何で今、その表情なんだよ。
初めて会った時の、人形みたいな顔ならもっと気が楽だったのに。
「ミトル、キミが信じるべきは、キミの中で一番古い記憶だ。いいね?」
どういう意味だ?
いや、今は答えを出すのは保留だ。
「分かったぜ、ァル子さん。その先に、お前を助ける道があるんだな?」
「それでこそボクの彼氏だ、ミトル」
余裕無く笑うァル子さん。
いやいや、いつも言ってるけどな……。
「彼氏じゃねェ!」
そう返した時、
俺は独り学校の廊下に立っていた。
今までのことをスマホにメモしてた、あの日の廊下だ。
けど、
もう隣にァル子さんはいなかった。
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