第14話 不条理存在の孤独

 真っ暗な坂道、

 目の前に立つ自分自身のニセモノ。

 それは俺を見て、ニヤニヤと笑っていた。


「これで終わり、か……」

 俺は今から、消えるんだ。


 【ダレカさん】に【ナリカワリ】されれば消滅するウワサ。

 対して美良崎が消えたのは事件の数日後。

 ウワサとムジュンする。

 けどそれは、


 【ダレカさん】が出会う間も無く、美良崎は不登校になったからだ。

 だからこそ、

 さっき視認された直後、初めて美良崎は消滅した。


 そして今、

 俺は自分のニセモノに視認されている。

 瞬間──


 背後から響く風切り音。

 振り向けば、俺の背後に迫るハサミ。

 暗闇から放たれたそれは、正確に俺の心臓に向かう。

 だが、


「既に決定してるンだよ」

 俺は、その切っ先を振り払った。

 青木ヶ里まほろばの格好になった俺が。


「本当にこれでいいの? まほろがみぃくんに【ナリカワリ】なんて」

 傍らでは、俺の姿になったまほろが困惑したように寄り添う。

「ああ。お前が俺に、俺がお前に【ナリカワリ】することで二人は消滅する。それはつまり、ってことだよなァ、【テセウス】」

 俺は地面に落ちたハサミを踏み、坂の下の暗闇に話しかける。


「美良崎が消えた時はビビったが、その後の動画で死んだワケじゃねェって分かった。なら、後は『どうやって助けに行くか』だ。さあ、連れてってもらおうか俺たちを、美良崎の元に。それがお前の【ルール】なんだろ?」

 すると、


 ぱちぱち。

 木の上から拍手が聞こえた。


「流石はボクの彼氏だね」

 紫の長い髪を揺らし、枝から軽々と飛び降りる。

「自分の命をチップに、今回も【不条理存在】相手に一計を案じたワケだ」

「彼氏じゃねェ」


 呆れた視線をァル子さんへ向ける。

 コイツ、やっぱりまた瀕死の俺を高みの見物してたってワケかよ。

 言ってたもんなこの前、「ヒトの生き死にに違いを見出せない」って。


「んで、お前は何だ、ァル子さん。また【不条理存在】を懲らしめに来たのか?」

「いや? だってあの夜キミが言ったろう? 『一人でみんなを助ける』って」


 確かに、【ゼッコーアプリ】に殺されかけた日、俺は宣言した。

 だから今回は、一切助けないつもりなワケか。

 まあ、助けにならない干渉はしてたケドな。

 灯台での改ざんとか。


「ああ、そうだ。命は大切だってこと、お前に証明するためにな」

「相変わらず面白いことを言うよね、ミトル」


 するり。

 ァル子さんは俺の首元に手を触れ、笑いかける。

 三日月のように、彼女の口はイビツな形をとった。


「命を大切にしてないのはキミだって同じなのに」

「俺が? 俺は今だって、美良崎を助けようと──」

「違うだろ」


 ァル子さんは俺の顔を固定し、鋭い視線を突き刺す。

 まるで、罪人の審判だ。

 何もかも分かった上で、俺の口から言葉を引き出そうとするような。

 そんな圧迫感を滲ませた。

 でも──


「何と訊かれたって俺は否定する。俺は命を大切にしてるって──」

「自分の命はスグ捨てようとするのに?」

「え?」


 急に全ての音が遠ざかる。

 ァル子さんの罵倒も、セミの声も、波のさざめきも。

 唐突に提起された問題に、優先順位をつける回路が全てショートしてしまった。


「【ゼッコーアプリ】も【テセウス】も、勝つために命を捨てた。キミにとって自分の命は、ギャンブルのチップ。最後に総取りすれば問題無いとでも思ってるんじゃあないのか?」

「俺は……」


 言葉が出てこない。

 俺は、ァル子さんよりも自分の方が常識的だと思ってた。

 だからまさか、彼女から正論をぶつけられるなんて考えもしなかったんだ。


 そっか。

 これが美良崎の言ってたことか。

 確かに正論は、問題を解決するとは限らないな。


「ミトル、だから興味があるんだよ、ボクはキミに。だってキミの思考は【不条理存在ボク】に近い。あの夜、キミの言葉を理解できなかったのはそれが理由さ。キミは『優柔不断だ』と卑下しながら、命を懸ける行動には一切の迷いが無い。不条理なんだよ、キミは」

「そんなの……」

 俺はツバを飲み込み、ァル子さんの手を振り払った。


「そんなの保留だ! 考えたって仕方ないだろ! とにかく、俺は目の前で誰かが死ぬのを見たくないんだよ!」

「キミは確かにヒトの死を恐怖している。その実、自分は死ぬワケが無いとでも思ってるんじゃないのかい? 発想の飛躍だったら謝るけれどね、キミはゲームでもプレイするように人生を過ごしている。だからボクは、キミと関わろうと思ったんだよ」

 ァル子さんはフフンと鼻を鳴らす、

 親愛を込めるみたいに。


 いつからだ……?

 一歩引いた目線で人生を歩み始めたのは。

 下唇を噛み、目を伏せた。


 遠い昔の記憶。

 無謀な決断がキッカケで、俺は友達を傷つけたんだ。

 だから、俺はもう誰も傷つけないためにも、慎重にならなきゃいけないんだ。


「命は大切──だからこそ、命を賭けないと俺の罪はすすがれないんだよ」

 刹那──


 暗闇で何かがきらめき、ァル子さん目がけて放たれた。

 何本もの、ハサミ……ッ!

 ナイフのような切っ先が、真っすぐに彼女の胸を目がけて飛来する。

 そしてそれは、


 深々と体に突き刺さった、立ちはだかった俺の体に。


「ミトル? やはり理解できないね、キミは。ボクはキミと敵対するためにここにいるんだよ? なのに、どうしてキミは『命の価値』なんかに必死になる?」

「第一に、お前が絶世の美少女だからだ」

 口の中の血を吐き捨て、口元を拭う。


「第二に、生物は死んだら終わりだからだ。お前は『死んでも遺る物がある。だから生き死になんて構わない』って言ったけどな。大きく違うことが一つある」

「ほう?」

「死ねば、誰かを観測することも、誰かに観測されることもできない。永遠の孤独なんだ。確かにお前はイヤなヤツさ。でも俺は、お前が孤独になることを望まない」


 孤独。

 その言葉を聞いて、ァル子さんの肩が少し揺れた。

 やっぱり、お前……。


「孤独? ボクが? そんなものを恐れているとでも思うのかい? ボクはこの世を思うままにできる【不条理存在】。ナンセンスな心配だよ」

「でも、お前にも一つ思い通りにできないことがある」

「言ってごらん」

 ァル子さんは髪を揺らし、挑戦的に笑う。


 けれどその余裕は、今まで見たいな底なしじゃない。

 学校の先輩が後輩にかける言葉みたいに、どこか等身大に感じられた。


「それこそが『孤独』だ」

「……ッ!」

「お前は俺以外の誰からも【観測】されてない。それが孤独じゃないなら何だ?」


「詭弁だね。それは【観測】の有無を論じただけで、孤独の証明じゃない」

「なら、お前はどうして言った? 『居場所を捨てるのが気に入らない』なんて。美良崎の件に介入したのは、お前が誰よりも孤独を感じてたからじゃないのか?」

 その問いにァル子さんは──


 怒るでもない。惑うでもない。

 ただ、静かに笑っている。

 歩き出した子どもを見守るみたいに。

 けれど、


 結局俺の問いにァル子さんは答えなかった。

 が突然始まったから。


 ぼどぼど。

 崩れ落ちる俺の体。

 それは【テセウスのオマジナイ】による消失の前兆だった。


「おやおや? ボクへの攻撃に失敗したからね。どうやら【テセウス】は、諦めてキミたちを自分の領域に連れ帰るみたいだ。ま、当然か。ボクの目の前だと干渉されるかもしれないからね」

 ァル子さんは呆れたように肩をすくめる。

 そこには、いつもの余裕が戻っていた。


「じゃあミトル、健闘を祈るよ」

 ひらひらと手を振るァル子さん。

 次の瞬間──


 ぷつん。

 モニターの画面が切り替わるみたいに、俺は別の空間に立ちつくしていた。

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