ハポンたちの夕焼け

山猫家店主

第1話

俺は、スコールのように大量の車が行き交う、ロハス大通りに面した〈ヘリテージ・ホテル〉の玄関脇に佇み、煙草に火を点けた。目の前を通り過ぎる三輪バイクの巻き上げる土埃と自分の吐き出した煙が、すぐさま同化していく様子をぼんやりと眺めていた。


 依頼人がホテルに到着する予定時間は、随分と過ぎていた。まあ一般的なフィリピン人とは違い二、三時間と待たされる心配はないにしても、時間に正確なノリが運転している割には、少し遅すぎるとも感じていた。


 すぐ足元で煙草を踏み消しながらむこうの通りに目をやると、いつもと同じようにストリート・チルドレンたちが、ホテルから出てくる客を目当てに屯していた。なかなか出てこないカモを待ちくたびれたのだろうか、そのうちの一人が、こちらに向かってこようとした。


 年のころは六、七歳といった感じで、背中にはまだ産まれて間もないくらいの赤ん坊を背負わされていた。もちろんそれは自らの意思などではなく、通りの傍らで稼ぎを待っている親たちによって、そうさせられているに違いない。理由は至って簡単なことだ。それはこの国の事情に疎い外国人たちの憐みを、少しでも多く得る為の演出に他ならない。

「あっちにいってろ」

 タガログ語で、素っ気なく言い放つと、すぐにカモではないと判断したのか、暗いその表情をなんら変化させることなく引き下がった。日本でこの俺に容易く声をかけてくる者などいなかった。大柄なこの体躯のせいか、それとも敢えて、日本人ならひと目でカタギではないと判断できる服装をしていたからかもしれない。だが、ここでは、そういったハッタリなども一切が必要ではなく、また何の意味もなさない。


 日本とは違い簡単に銃が手に入るこの国では、脅しや威嚇などというものが全く通用しないからだ。わずかな金品を奪うために、簡単に引き金を引く。日本のようにいざ対峙してヤクザ者と知れば、後々の面倒が頭を駆け巡るのか、途端に引くような輩など存在しない。外国人と見ればただのカモでしかないからだ。


「アキ! 遅くなった、ゴメン」

 聞きなれたアクセントの日本語に顔を上げると、ノリの車からマリアが慌ただしくすべり降りてきた。


「遅かったな、客はどないしてん?」


「すぐおりてくるヨ。それよりタイヘンよ、タイヘン!」

 余程の出来事でもあったのか、何事にも大袈裟なフィリピン人の中にあって、めずらしく冷静な性格であるはずの彼女が、取り乱して続けた。


「アメリカですごいテロ、あったヨ。大きなビルにエアプレーンがぶつかっただって」

 額に浮かぶ汗も気にせず、身振り手振りで興奮状態のマリアのすぐ後ろで、初老の男が苦笑いしていた。


「いやあ、はじめまして、山田と申します。お待たせしてしまったようですね。申し訳ありません」

 その男もマリアと同じく、広い額に噴き出た大粒の汗をハンカチで拭いながら、軽く頭を下げてきた。


「どうも、秋吉といいます。こっちは暑いでしょう。詳しいことは中のクーラーが効いた場所でゆっくりと話しましょうか」


「いやあ、ほんと参りましたよ。なんかすごいことがあったようで」

 俺は背中で山田の声を遮り、そそくさとロビーへ入った。

 広々とした吹き抜けのロビーは、すぐ正面に受付のカウンターが設けられており、その向かって右側には、奥のラウンジへと繋がる通路が伸びている。


「ほな、先にチェックインを済まして下さい。俺はそこのソファーで待っときますわ。じゃあマリア、ついて行ったり」


 マリアの背中を押して、チェックインカウンターへと促した。二人は、テロの話を遮られたのが不満だったのか、少し浮かない表情でカウンターへと向かった。


『アメリカ同時多発テロ』が昨日起こったという情報は、すでにNHKの放送で知っている。早くもイスラムがどうとかの情報を流していたが、すでにここフィリピンでは、テロ組織の〈アブサヤフ〉が活発に活動しており、大型のショッピングセンターなどで、爆弾テロなどを繰り返していた。それゆえに今更、警備が厳重に強化されるとは思ってもいなかった。


 おそらく山田たちの到着が遅れたのはそれが原因と思われるが、日本を離れて三年ほどの間に、危険を感じる能力が少し低下しているようにも思えた。


 案の定、チェックインを済ませた山田たちは開口一番でテロの影響によって警備がいつも以上に厳重で、空港を出るまでにかなり待たされたのだとぼやいた。


「あの、ところで秋吉さんは関西のかたですか?」

 テロの話を一通り言い終えて満足したのか、山田は煙草に火を点けながら漸く話を変えた。


「ええ、大阪ですわ。山田さんは――」

「鳥取です」

「倉吉……市なんや、ね」

 先に届けられていた資料に目を通しながら、どの辺りだったかと少し考えてみたものの、やはりピンとくることはなく、俺も煙草を取り出した。


「田舎なんですがね、あの辺りにも結構たくさんの〈フィリピンパブ〉があるんですわ」

 コイツも案の定、相当なフィリピン中毒らしく、すぐに無防備でニヤついた表情を見せてきた。


「へえ、そうなんですか」

田舎にフィリピンパブが沢山ある事など、よくよく承知している。


都会に日本人の若い女性が出て行ってしまい、その代わりにフィリピン人やロシア人などがホステスとして接待する〈外国人パブ〉が大阪近辺の田舎にも、俺が日本にいるときからすでに乱立していたからだ。


「あの、それで秋吉さんもやっぱり……」

 山田は俺の隣に座るマリアに、チラっと視線をやってから探るような眼つきで、そう尋ねてきた。

「ええ、そうですよ。俺も山田さんと同じクチですわ」


 フィリピン中毒の連中というものは、常に自分と同じ中毒患者を求める傾向にある。俺はそういった習性を逆手に取り、敢えてマリアとの仲を見せつける事で、客に安心感を与えるよう努めた。


「そうですか、やっぱり!」

 案の定、山田は親近感を一気に強めたようだ。初対面の若造である俺に対して、自分がいかにしてフィリピン人女性と知り合い、惹かれ、想いを寄せているのか、とうとうと語り始めた。


「ほな、なおさら、ちゃんとせんとあかんね」

 いつまでも終わりそうにない山田の話を遮るようにそう呟いた。


「あ、はい……」

 そのひと言で途端に山田のトーンは下がった。


どんなに恋い焦がれようとフィリピンパブでの疑似恋愛には期限というものがある。彼女たちの滞在ビザの期限は、最長で六か月しかないからだ。


 その後にまた来日できるかどうかは、滞在中の成績次第、つまり売り上げで決まる。それゆえに彼女たちの接客にも自然と力が入る。


 日本人女性のように、いざ働き始めた店のシステムが気に入らないからとか、単に嫌な客が多いから――などといった安易な理由ですぐにその店を辞めて、次の店に移るという具合にはいかない。


「で、このエリーっちゅうのに、なんぼくらい渡したんですか?」

 俺は少しずつ、やんわりと本題へ入った。


「はあ、まあ彼女が帰国してから、大体なんですが百万ほど……」

 なんとも歯切れの悪い返答だった。おそらくこの分だと二、三百はイカれているのかもしれない。


「やっぱりアレですか? 家族の病院代や商売をするから――なんて理由でですか?」


「え? まあその、大体そんな感じです。いや、いいんです! 金は大した問題じゃあなくてですね。私はただ……」


 おおよそ彼女たちの手口は決まっている。ビザの滞在期間が終わり、帰国してからも次の来日の予定が決まっていない者は、あの手この手を使い元の客たちから金を送金してもらって生活していく。


 そういったカモにされるのは、総じてこの山田のようにフィリピンに対しての知識がほとんどなく、またこの国に来た経験すらない連中だった。


「ああ、結婚のことですか?」

「はい……そうです」

 山田は少し恥ずかしそうに俯いた。


 彼女たちの金を引っ張る手口は様々であるが、一番タチの悪いのが、結婚を餌にしてのものだ。


彼のような初老の客はもちろんの事、日本では到底結婚できそうにもない男をその気にさせる。もちろん中には本気の恋愛を経て、親子ほど年の離れた二人が、めでたく結ばれる場合も少なからずあるのも事実だ。


 だが、俺の知る限りではそのほとんどが、結婚において何等かの計算が含まれている、というのも真実だ。


 彼女たちフィリピン人女性にとって、日本人の伴侶を得ると言うことは、堂々と大手を振って日本で働けるという証でもある。


 彼女たちが日本でホステスとして働きに来ても、期限付きというだけではなく、そもそも得る収入自体が少ない。来日できるビザの種類は唯一〈興行ビザ〉と呼ばれるもので、このビザは本来なら外国人の芸能関係者に許可されるものである。


 そのため形式上、現地芸能事務所などに所属しなくてはならないし、また日本側にも俺たちのようなスジ者を中心とするプロモーターと称して輩が待ち構えており、その両方から彼女たちの給料をピンハネしてゆく。


 最終的に彼女たちの手元には月にして六、七万円ほどしか残らない計算だ。それでもフィリピンで働くよりは何十倍もの稼ぎとなるのだから、必死になるのもなんら不思議ではない。


 ましてや結婚してしまえば、普通の日本人女性と変わらぬほど稼いだその金が、全額自分のものとなるのだから、日本人との結婚に目の色を変えるのも仕方がないといえば、仕方がないと言えるだろう。

 

「ところで、彼女――エリーとは肉体関係ってありましたん?」

 俺は率直に尋ねた。もちろん無いであろう、と思いながら……。


「ええ、まあ、あのぉそのぉ……何回かはありました」

 山田はマリアのほうを少し気にしながら、年甲斐もなく恥ずかしそうに答えた。


これには少し驚いたものの、続いて質問した。

「ほな、彼女に子供がいてるかどうか、解りますよね?」

「え?」

 山田はハッとしたような表情で顔をあげた。


 子供がいるジャパユキは多い。やはり、〈母は強し〉というのは万国共通のことなのか、仮にも見知らぬ国へと半年間も出稼ぎに来るのだから、単に遊び感覚などで来ている者などはいない。


 彼女たちの不安や心配を封じ込め、その薄い背中を後押しするのは、いつの時代であっても子供のためであり、またあるいは家族のため、なのである。


 実際に俺も日本にいる頃、彼女たちの管理をしている中で、子供や家族の写真を眺めては、ひっそりと涙する彼女たちを幾度となく見てきた。


「重要なポイントですわ。子供がおるのか、おらんのかってのは」


「あの、それでしたら……います。五歳になる男の子だと言ってましたけど……」

 俺はひと呼吸置いて煙草に火を点けたあと、隣に座っているマリアにも目を向けた。やはり彼女の顔も少し曇っていた。


「それで、その子供は誰の子やと言うてました?」

 煙をゆっくり吐きながら山田の目をじっと観察した。


「え? あの、それに関しては正直に別れた旦那の子だと言ってましたが……」


「ああ……」

 マリアが日本語のような溜息をもらした。


咄嗟に、タガログ語なり、英語なりが出てこなかったところをみると、大体の答えは予想していたのかもしれない。

 山田が何がまずいのか解らない、といった困惑した表情で、俺とマリアを交互に見返した。


「山田さん、ちょっと調べるまでもないかも……しれんね」

 煙草を灰皿に揉み消しながら続けた。


「確かに、身元調査が俺らの仕事やから……やれと言うんならやりますが、ええ結果にならん可能性のほうが高いですけど、それでも、ええんですか?」


 そう言っておきながらも自分のほうからキャンセルになるかも知れない台詞を言う業者など、珍しいものだとも感じて、少し笑いそうにもなった。


「子供がいたら、何かまずいのでしょうか?」

 山田はまた額に汗を浮かべて、身を乗り出した。


「いや、子供やのうて、離婚っちゅうのがね。いわゆる未婚の母やったら問題ないんですけどね……。山田さんの彼女もやっぱりカトリックなんでしょ?」


「ええ、いっつもロザリオを持ってましたから、おそらくそのはずです。はい、間違いありません」

 一瞬、考えるようではあったが、口調ははっきりとしていた。


「基本はですね、この国では離婚ってもの自体を認めてませんねん。それにですね。仮にできたとしても、えらい時間と金が必要になりますんやわ」


「え……」

 可哀想に山田は、絶句したまま固まってしまった。


 おそらく今回の仕事である〈身元調査〉のほうはキャンセルになるか、たとえ仮に請け負ったとしても、彼女が本当に結婚しているか、否かの簡易調査となるので、大幅に見積金額を訂正しなくてはならない。


 まあ俺としては、もうひとつのオプションである〈夜のガイド〉のほうが大いに楽しめるし、傷心した日本人を救うという意味でも、有意義であると感じている。


「まあ山田さん、とりあえず部屋に行って、ゆっくりと休んでから考えはったらどうですか?」

 俺はホテルのカードキーを手渡し、ゆっくりと立ち上がった。


「秋吉さん……」

 山田は少し涙目になりながらも縋るように顔を上げた。


「〈アキ〉でよろしいわ。みんなそう呼びまっさかい。まあ、元気だしてくんなはれ。夜んなったら迎えに来ますから、〈ええトコ〉でもいきましょ!」


「すいません。アキさん。私、右も左もわからないんで、よろしくお願いします」

 山田は急に不安に襲われたらしい。いよいよ泣き出しそうな表情で、深々と薄くなった頭を下げた。


「まかせとってください」

 俺は少し大袈裟に、親指を立てた。


「エエトコね」

 マリアがすぐ横で無表情にそう呟いたのを軽く無視して、踵を返した。 


       

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