自分博物館
キサン
博物館
「クソッ! ホント迷いやがったな?! オレのバカ!!」
渡部は意図して声を大きくしながら、自分に対しておどけて悪態をついた。
何度も登ったM県のS山だったから、油断してしまった。
多少景色に違和感を覚えても、特に気にしなかったのだ。
いつも通っている登山道じゃないな。
何というか、道が、狭い? 気がする。
そう思い始めた時には、既に迷っていたのだろう。
気にせず歩を進めたのは、殆ど強がりだった。
だが、違和感はどんどん大きくなっていく。
それでも立ち止まって位置を確認しようとしなかったのは、良く来る山で迷うなどというミスを自分が犯したと認めたくなかったからだ。
早い話がプライドだ。
迷ってる事を認めるなど、ましてや来た道を引き返すなど、絶対に許せなかった。
多少違うルートを歩ていても、何時か見知った登山道に出る。
そう自分に言い聞かせて歩き続けた。
やがて日が少し傾く頃には、完全に自分の居場所が分からなくなっていた。
細いながらも続いていた道ですら、いつの間にか雑草の下に隠れてしまっていた。
遭難。
まさかの二文字が頭を過る。
「落ち着け。こういう時は焦っちゃいけない。山で迷った時は下りではなく登りを行くんだ。下りは沢や谷なんかに行き当たる事が多いが、登りは最後は山頂に辿り着く。そこからなら登山道を見つけるのも容易なはずだ。」
正しいかのか自分でも分からない朧げな登山知識で自分を鼓舞する。
ここは道を無視して登りっぽい所を無理やり進むのが良いんじゃないか?
少し藪になっている斜面を徐に登り始める。
こういう時は一旦立ち止まって気を落ち着かせ、状況を確認してから次の行動を決定する。
という、普通の判断すら出来ないほど、彼は焦っていた。
案の定、直ぐに茂みの中で立ち往生する事になった。
草は腰までの高さになり、雑多に生えた木で少し先も見通せない。
日は既に見えず、辺りは闇に包まれようとしていた。
拙い。
かなり拙い。
ここへ来て漸く少しの冷静さを取り戻した渡部は、自分の迂闊さを呪った。
一旦引き返すのが賢明だ。しかしこの暗さではどちらに引き返せば良いのかすら判断が付かない。思えばここまでコンパスも地図も見ていない。
兎に角一旦休もう。
そう思って目に付いた大きな木の下に移動した時だった。
何か、白いものを視界が捕らえた。
なんだ?
明らかに、何か異質なものがある。
今いる所から少し上がった所。白い、四角い物体だ。
渡部は疲れて痛む足を混迷に動かし、その白いものに近づいた。
「看板?」
そう、それは看板だった。
白い金属製の柱に白い金属製の板がついている。
白は塗装だろう。
未だ汚れも殆ど無く、最近据えられたものだと思われる。
そこには赤い矢印とともに、こう書かれていた。
「甲田三郎博物館」
「なんだこりゃ?」
渡部は疲れも忘れて看板に見入った。
博物館? こんな山の中に?
いや、それどころじゃない。俺は迷った末にこの看板を見つけたんだ。
正規の登山道からは離れた場所だろう。
こんな所に博物館なんてあるはずない。
だが、目を凝らしてみると看板の下は綺麗に整地されており、そこから細い道が藪の中に伸びている。赤い矢印はその道の方を指していた。
「さて、どうするか・・・・・。どうせ現在位置は分からないしな。万が一本当に博物館が有ったら、そこから助かるかもしれない。」
渡部はその道を辿ってみる事にした。
辺りはすっかり暗くなり、ほとんど何も見えなくなていたが、時に這うように身を下げて確認し、どうにか道から外れずにいた。
有難くも不思議だったのは、その道には下草の一本も生えていなかったことだ。
確実に人の手が入っている。そうでなければこの状態を保つ事は無理だ。
その事が渡部に希望を抱かせる。
だが同時に、なぜこんな人里離れた山中に? という疑問は拭えなかった。
「あれは・・・、照明?」
どのぐらい歩いたろうか。渡部の目に微かな光が映った。
人工的な灯り、電気照明だとはっきり分かる光だった。
本当にあるのか? 博物館だって?
そして、不意に視界が開けた。
渡部は、不思議な気持ちでそれを見つめていた。
狐に摘ままれる、というのはこういうのを言うのかもしれない。
目の前に現れたのは、四角い白い建物だった。
高さは2階建てより一寸低く、幅は4、5メートルといったところか。
壁の色は何処までも白く、中央に黒い扉が付いている。
傍らには、さっき見た者と同じような白い看板が立っていた。
甲田三郎・自分博物館
年中無休
開館時間 6:00~24:00
入館無料
「本当に博物館、なのか。自分博物館?」
どう考えてもあり得ない話だ。
だが、目の前には建物がある。
それに・・・・・、
「甲田・・・三郎・・・、何処かで聞いたことある気が、しないでもないんだが。」
渡部は恐る恐る扉に近づく。
それは、音も無く開いた。
どうせ選択肢はそうないんだ。
意を決して、彼は中に入った。
空いた時と同じく、扉は音も無くしまった。
「いらっしゃいませ。ようこそ甲田三郎・自分博物館へ」
落ち着いた雰囲気の男性の声が流れる。
「私は当館の館長であり、案内役でもある甲田三郎と申します。姿を見せぬ非礼を、お許しください。これは自動音声です。建物内に設置されたセンサーが、貴方の動きを感知し、AIによって制御された案内プログラムに基づいて適切なアナウンスが行われます。」
「ほお、自動音声か。」
「本博物館は私、甲田三郎についての展示、映像作品の上映を行っております。館内は展示内容ごとに区切られております。一方通行であり、一度通り抜けた部屋へ戻る事は出来ませんので、御了承ください。」
「トイレとかあるのかな・・・・」
「尚お手洗いは各部屋毎に設置されております。」
「あるのか。良かった。」
「当館は敷地内すべて禁煙、喫煙室は御座いません。また館内は飲食禁止。展示物、映像作品につきましては撮影・録音の類は一切禁止となっております。」
そこまで告げた所で、入口の反対側の壁が、やはり音も無く開いた。
さっきまで壁にしか見えなかったが、どうやら巧妙に隠された扉であるらしい。
「それでは最初の部屋へお進みください。」
ガイドの音声に促されて、渡部はそのエリアへ足を踏み入れた。
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