第5話 俺とシャルだけの秘密契約②

 シャルに連れられてやってきたのは生徒指導室。


 部屋にはテーブルを挟むように椅子が二つ。あとは赤本が並ぶ本棚があるだけといった殺風景っぷりでいかにも「悪い生徒を詰めるための部屋です」といった雰囲気が漂っている。

 テーブル越しには、ピンと背筋を正してぷっくりと頬を膨らませたシャル。小柄な身長のせいでまったく威圧感はない。

 ただ、事態は深刻だ。ここは変に言い訳せずに潔く謝る方が得策かもしれない。


「先生。あの――」

「敦人はなんでバイトしてるの?」

「うっ……」


 謝ろうとした矢先、シャルが頬を膨らませたまま俺にジト目を向けてくる。

 正直こわいよりもかわいらしいが圧倒的に勝っていて、つい俺も頬が緩みそうに……いや、叱られてるんだからちゃんとしないと。


「ほら、言ってみよう! 怒らないから、ね? Let‵s try!」


 頬に溜めた空気をぷしゅーと抜いて、今度はニコッと笑顔を浮かべるシャル。

 でも、このパターンって大体ちゃんと怒られるのがお約束なんだよな……。


「えーと……ちゃんと将来のためにお金を貯めておかないといけないかなって……」

「ほー、なるほど。将来への備え……」

「ほ、ほら、やっぱりこのご時世なので自分で貯蓄するのは大事かと!」

「ん? でもこの間遊びに……」

「い、息抜きは必要ですしそれにあれはバイト先の仲間に誘われて!」


 むーんと唸ってシャルが黙り込む。しばらくしてシャルはコホン、と一回咳払いをしてから青く澄んだ瞳をまっすぐ俺へと向けてくる。


「……とりあえずそれは一旦置いといて」

「え、置いといていいんですか?」


 こってり絞られるつもりだったのに案外あっさりと引き下がってくれて拍子が抜けた。

 シャルは「うん」と呟いてから、なぜか頬を赤く染めて俺から視線を逸らす。


「あのね、敦人」

「はい」

「私からひとつだけ、お願いがあるんだけど――」


 この状況で何をお願いされることがあるんだと思って俺が「はぁ」と呆けた返事を返したその時、


「ごめんなさいですっっ! この間のこと、見逃してぇぇ――――っっっ!!」


 シャルの絶叫にも似た謝罪が狭い一室に響き渡った。


「んぁっ!?」


 思わず間抜けな声を上げた俺の手をぎゅっと握って、シャルはごんごんとテーブルにブロンズヘアの頭を打ちつける。


「未成年なのにお酒勧めてごめんなさい! 急にちゅーしてごめんなさい! あんなこわい場所に一人で遊びに行ったのも反省してます! だから許してぇっ!」

「え! え!?」

「だから誰にも言わないでぇっ!」


 青い瞳にじんわりと涙を溜めながら、まっすぐシャルが俺を見つめる。

 ……いや、なんだこの展開は!

 めちゃくちゃ怒られる覚悟でここへ来たのに、なんで俺の方が謝られてるんだ!?


「と、とりあえず顔上げてください!」


 赤べこみたいな動きで謝り倒していたシャルがぴたりと止まって「うぅ……」と小さく呻く。


「お、俺、別にネカフェでのこと誰かに言いふらしたりしないですよ……?」

「ほ、ほんと……?」

「その……き、キスされたのは流石にビックリしましたけど。あっ、あれですよね! そっちではキスは挨拶程度のものっていう文化みたいな!」

「いや、あ、あれは酔ってた勢いでつい……」

「あ、そうなんですね……」


 せっかくフォローしたのにまた気まずい空気が戻ってきた。


「あと謝りたいのはこっちも一緒で……その、む、胸……すみませんでした」


 胸という単語に反応してか、シャルの顔がカァーッと赤くなる。


「ま、まぁ、あれは事故だし! う、うん! ノーカウント!」

「で、ですよね! そうです! あれは事故! 不運な事故ってことで!」


 ハッハッハ。俺たちの快活な笑い声が狭い部屋の中に響く。

 ――が。


「事故どころじゃないよぉ!」「事故どころじゃないだろ……」


 同時にセルフツッコミしたあと、テーブルに突っ伏した。やっぱり笑って誤魔化すには無理がある。

 ……というか、一つだけ気になることがあるんだよな。


「あの、先生?」


 恐る恐る声をかけると、シャルはビクッと肩を震わせてから「は、はい!」と背筋を正す。


「でも、ネカフェがこわい場所って思ってるのに一人でネカフェにいたんですか? そもそもこわい場所じゃないですけど」


 純粋に疑問に思って尋ねると、シャルは腰に手を当ててなぜか得意げに胸を反らしてみせる。


「それはね……勉強のためだよ!」

「べ、勉強?」


 意味が分からず固まる俺に、シャルはこくんと一回頷く。


「みんなって放課後、どこで遊んでるのかな?」

「え? そうですね……この辺だったらカラオケとかボウリングとか?」


 また話が違う方向に転がり始めたな。

 シャルは「なるほど! そっかぁ」と何度か頷いて。


「私ね、あの日初めてダーツ投げたの! ううん、もっと言うとね……あの日が初めての夜遊びだった」


 ん? 今『初めて』って言ったか?


「すみません。不躾ぶしつけかもですけど、先生って遊んだことないんですか? 友達とかと……」

「勉強でいっぱいいっぱいだったから……。それに実家がオレンジ農家でそのお手伝いもあったし……」


 遊ぶ暇もなかったのか。俺とは真逆の学生生活を送ってきたんだな……。


「でも、遊びを捨てて必死の勉強を重ねた結果、見事ALTの試験に合格! Yeah!」

「おおっ! よかったじゃないですか!」

「ちっがーう! めでたいだけじゃないのっ!」


 小踊りしていたシャルにパチパチと拍手を送ると怒られた。

 感情がジェットコースターの人だ……。


「私はみんなに勉強を教えられるよ? でも、気づいたの。私は――〝勉強以外〟のことを教えることはできないんだって」


 シャルがぎゅっと強く拳を握りしめる。


「私が尊敬するアメリカの先生たちはみんな勉強のことだけじゃなくて、いろんな遊びを知ってた! だから、生徒たちから尊敬されたんだって分かったの!」


 強い意志を持った瞳をまっすぐ俺へと向けて――


「私は、勉強だけじゃなくて公私ともに支えてあげられるような――誰かに夢を与えてあげられるような――そんな素敵な教師になりたいのっ!」


 恥ずかしげもなく夢を語るシャルは、まるで光の塊みたいに眩しかった。

 何の目標もなく、ただ怠惰な日々を送る俺の胸がきゅっと痛むくらいに。


「な、なるほど……」


 どう答えたらいいか分からず黙る俺と、遅れてぽっと頬を赤く染めるシャル。

 静寂の中で鳴る、テーブル端に置かれた時計の秒針が動く音。


「えっと、先生、そろそろ……」


 恐る恐る切り出すと、シャルは「これ?」と俺の財布を掲げる。

 頷いた俺にシャルは苦い表情を浮かべる。


「んー、このまま帰すのもなー。でも、校則違反してまでバイトしてお金を貯めないといけない事情もあるんだよね。あっ、何かお金を貯めて始めたいことがあるとか!?」


 うっ、なんて純粋な瞳で見つめてくるんだ……。

 正直やりたいことも何もないからなんとなくバイトしてるだけなんだけど……。


「ま、まぁ、そんな感じですかね」


 否定するわけにもいかず、俺は首肯した。

 しばらく「むーん」と悩ましい声を漏らしていたシャルだけど。


「よし! わかった! 許すっ!」

「え、いいんですか!?」

「うん。敦人にはナンパから助けてもらった恩もあるし……。そ、それに……」


 また頬をぽっと赤くしながら、シャルはちらっと俺を一瞥する。


「キス、とか……しちゃったし」


 昨日の記憶が戻ってきて、俺までかーっと体が熱くなってくる。

 せっかく忘れようとしてたのに、また鮮明に昨日の記憶が蘇ってしまった。

 ――何はともあれ、これで俺の平穏な高校生活の続行は決定した。

 一時はどうなるかと思ったけどなんとか耐えた。

 そう安心していた矢先。


「あ、でも一つだけ条件出していい!?」

「条件?」


 シャルは俺の手を握る力を強めて――


「私が素敵な教師になれるように、放課後〝遊び〟に連れてってよ!」


 さらっとした口調でそう言った。

 なるほど。俺とシャルが一緒に遊び………………え、遊び!?


「一緒に遊ぶってことですか!?」

「うん! 公私ともに生徒を支えてあげられるいい先生になるにはやっぱり遊びの勉強もしておかないと!」


 こんなの思い出したように言うレベルの条件じゃないだろ!

 というか先生と生徒で遊びに? どんな距離感で接すればいいんだ!


「ダメ、かなぁ……?」

「うっ」


 まるで子供が親におやつをねだるかのような上目遣い。

 見覚えあるぞ、この表情! ネカフェで別れ際に向けられた切なそうな顔と一緒だ。

 っていうか、学校の先生と遊ぶなんてどうしたらいいんだ。

 でも、バイトしていることを秘密にしてもらう借りもあるし――


「……じゃあ、少しだけなら」

「ほんと!? やった! やったあ!」


 結局、背に腹は代えられず俺は条件を飲んだ。

 困惑しかない俺に対し、両手を上げてキラキラとシャルが瞳を輝かせる。


「これからよろしくね、敦人っ!」

「……はい」


 ――バイトのことを秘密にしてもらう代わりに、シャルに遊びを教える。

 こうして、俺たちの間にそんな奇妙な契約は結ばれたのだった。

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