第6話 管理された世界

 俺はアルマの指示で、狼の襲来に備えて焚き火を増やしていた。


 すっかり暗くなった森のなか、空気がひやりと湿っている。すでに何度も焚いた焚き火の近くには焦げた石が転がり、微かに煤の匂いが漂っていた。日中に集めておいた木材や、周囲の枝葉を使って、俺は新たに焚き火を組む。配置はアルマが考えた通り、拠点の周囲を半円形に囲むように。


「この辺に置けば、奴らが一方向からは近づきにくくなるはず」とアルマは言った。


 ただの焚き火ではない。ただ灯すだけでなく、獣の導線を制限し、俺たちの視界を確保する──これが、アルマの考えた戦術だった。狼たちの本能を利用し、火を避けて迂回させる。その誘導先に俺たちが待ち構え、反撃に転じるという算段だ。


 やがて、枝や葉を追加した火が柔らかく燃え広がり、辺りを橙色に照らした。ゆらゆらと揺れる焔の中で、俺はアルマに聞く。


「杭付きの柵とか作らなくていいのか?」


 俺がそう尋ねると、彼女は少し困った顔をして笑った。


「……やつらもそこまで馬鹿じゃないし、木材も多分足りないよ? しかも、この森、地面が柔らかいから杭もすぐ抜けそう」


 説得力はある。確かに、今の戦力と手持ちの素材でできる最善策は、これなのかもしれない。


なぜだか、アルマとは共通の敵に、立ち向かっている連帯感からか、今であったばっかりな気がしない、と無関係なことをおもってしまった。


 設営がひと段落し、焚き火のそばに腰を下ろす。肌寒さを焔が和らげてくれる。しばらく黙っていたが、ふと思いついた疑問を口にした。


「この世界の文明って、どの程度なんだ? 家や街の造り、道の舗装、糞尿の処理とか、生活の基本的な部分ってどうなってる?」


 俺の質問に、アルマはしばらく考えてから答えた。


「文明って聞かれても、うまく言えないけど……家は石造りや木の建物が多い。街は、石を積み重ねて外壁が作られてるよ。道は……土の道。石畳の道もあるけど、基本は踏み固められた土のままだよ」


「じゃあ、糞尿の処理は?」


「下水道に流す。決まりでそうなってるから。逆に、外に捨てたりしたら罰せられる」


 中世ヨーロッパくらいの文明……いや、違和感がある。下水道が整備され、排泄物の処理にまで厳しい規則がある? 


「なんでそんなに衛生管理が進んでるんだ?」


「昔ね、疫病がすごく流行ったんだって。死んだ人も多かった。だから、それをきっかけに処理規則が決められたらしい。破れば罰金や、ひどいと斬首されるって」


 どうやら、人類が過去の教訓から学んだ結果らしい。ある意味、理にかなっている。


「じゃあ、王様や貴族はいるのか?」


「なにそれ?」


 意外そうに首を傾げるアルマ。


「国の代表とか、土地を治めて税を集めるような存在は?」


「……うーん、そういうのはいない。土地を“管理”してるやつはいるけど、それ以外の人たちには身分の差とかないよ」


 その「管理するやつ」という言い方に、アルマの口調がわずかに棘を含んでいた。顔を曇らせる彼女の様子に、何か良くない思い出があるのだと察する。


「その、“管理する”ってどういうことだ?」


「人々の生活を、まるで家畜のように制御してるんだよ。年頃の男女を一緒に住まわせて子供を作らせて、妊娠すればふたりを引き離し、子供が生まれれば、母親から引き離して子供は施設で育てられる。育ったら、適材適所の仕事を割り振られる。希望なんてない。人の尊厳を無視した仕組み」


「なんだそれ……まるで人間を“生産”してるみたいじゃないか」


 怒りを抑えきれず、思わず声が荒くなった。


「必要以上の財も持てない。住居も一人ひとつ、個室。罪を犯したり逃げ出そうとすれば、罰を受ける」


「……完全に人間を管理するためだけの体制だな。それって……」


 胸の奥で、何かが引っかかった。


「それって、俺の探している“分体”そのものの行動パターンじゃないか……」


 アルマが静かに頷く。


「その“管理者”って、どんな奴なんだ? 人間か?」


「……多分、違う」


「やっぱりか」


「そいつを暗殺しようとした人たちはたくさんいた。でも、誰も成功してない。剣も矢も、毒も効かなかった。人間じゃないよ、多分……」


「……そいつが、俺の探している分体の一人だ」


 口にしたとたん、胸の奥が冷たくなるような感覚。アルマは表情を固くしながら、ぽつりとつぶやいた。


「紡は……」


「……」


「紡の目的は、その分体を倒すことだけ?」


「ああ。俺の“神”から与えられた使命が、それなんだ」


「その支配から、人々を助けようとは思わないの?」


「……それは、俺の使命を果たせば、結果的にそうなるだろう」


「“結果的に”じゃダメだよ。それじゃ、目的のために犠牲が出てもかまわないってことになる」


「……確かに、そう言われれば、そうかもしれないな」


 言い返せなかった。俺の“使命”は、分体を倒すこと。それ以上のことは考えていなかった。


「紡は……一人で戦うつもり?」


「この世界に来たばかりで、まだそこまで考えてなかった。けど……」


 アルマは少し悩んだように、間を置く。


「紡に、会わせたい人がいる」


 その瞬間、森の奥から風が揺れた。草が、枝が、焚き火の炎が震える。


 ──気配。


「来た……!」


 アルマの手が剣の柄に伸びた。俺も剣と盾を手に取る。


 狼が、来る。


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