第3話 それぞれの優しさ

 ギルドでの話し合いの後、朝陽は仁に連れられて、ギルド前のファミレスに来ていた。「迷惑かけた詫びだ」という仁の奢りで、朝陽の前には季節限定の苺パフェが、そして仁の前には、そのいかつい見た目からは想像もつかない可愛らしい苺のプリン・ア・ラ・モードが置かれている。


「それで? 一色はなんで戻って来ないんだ」


 プリンをスプーンで掬いながら、仁が再び尋ねる。

 少し逡巡するも、観念した朝陽は月面都市の式典で起きた出来事を、当たり障りのない範囲で説明し始めた。十年前に亡くなった一色の姉がホムンクルスとして生まれ変わっていた、などという御伽噺のような真相は伏せて。


「……という訳で、楽園のメイドさんを亡くなったお姉さんと勘違いしちゃったみたいで。それで、失礼を働いたお詫びも兼ねて、向こうのギルドの起ち上げを手伝ってるの」

「あいつはバカなのか? 楽園のメイドを自分の姉と間違えるとか」


 心底呆れた、という顔で仁が言う。

 表向き、すべては一色の勘違いだったということになっている。

 朝陽も、その公式見解をなぞっただけだ。

 しかし、仁は納得がいかない様子で、じっと朝陽の目を見てきた。


「で? 実際のところは、どうなんだ?」

「え、ええと……」


 確信めいた質問に、朝陽は思わず言葉に詰まる。

 嘘や誤魔化しが下手な彼女の性格を、仁は見抜いていた。

 その様子を見て、仁はふっと息を吐くと「まあ、そういうことにしとくか」と、それ以上は追及しなかった。


「あいつが元気にやってるなら別にいいんだ。そっか、よかったな……」


 その声には、戦友を気遣う優しさが滲んでいた。

 一色が探索者になった理由・・を知っているからこそ、仁は素直に喜んでいるのだろう。

 そんな仁の優しさに、朝陽は少しだけ罪悪感を覚えた。


「それより、嬢ちゃん。俺の方から巻き込んでおいてなんだが、本当によかったのか?」


 話を切り替えるように、仁が依頼の件を尋ねてくる。

 ファミレスに場所を移したのは、最終的な意思確認と依頼の詳細を詰めるためだった。


「ええ、仁さんにはスタンピードの時の借りもあるしね」

「助けられたのは俺の方なんだがな……」


 呆れたように仁は頭を掻く。

 今回の依頼内容は、ダンジョン内の鉱山に巣食うモンスターの討伐。その鉱山からは、魔鋼の材料となる〝魔鉄〟が産出されるのだが、モンスターが居座っているせいで納品がストップしているらしい。魔鉄は探索者の装備だけでなく、工業製品や発電システムにも使われる重要な資源であるため、各方面からせっつかれ、ギルドも頭を抱えている状況だという。


「だが、嬢ちゃん向きの依頼じゃねえと思うんだよな」

「どうして?」

「現場は鉱山の中だ。派手な魔法やスキルは使えねえ。嬢ちゃんは魔法を併用して戦うタイプだろ? 俺みてえな、ただ殴るだけの脳筋とは違う。窮屈な場所じゃ、本領を発揮するのは難しいんじゃねえか?」


 仁の言う通りだった。

 朝陽の戦闘スタイルは、武器と魔法を併用するバランスタイプだ。

 魔法も炎熱系を得意としており、高威力・広範囲の攻撃が多く、狭い坑道での戦いは得意とは言えない。

 それでも、朝陽はにこりと笑って見せた。


「大丈夫。私は〈戦乙女ヴァルキリー〉の八重坂朝陽だよ」


 そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で、そっと呟く。


「このくらい出来ないと、いつまでも恩を返せないから……」



  ◆



 仁と別れて、都内にあるタワーマンションへと帰宅する。以前の家がいろいろとあって住めなくなったため、〈トワイライト〉が用意してくれたセキュリティのしっかりした高層階の一室が、いまの朝陽の住まいだった。

 リビングのドアを開けると、キッチンから香ばしい匂いが漂ってきた。


「あら、お帰りなさい。もうすぐご飯だから、夕陽ちゃんを呼んできてくれるかい」


 エプロン姿の祖母が、優しい笑顔で振り返る。

 テーブルの上には、既に湯気の立つ料理が並べられていた。

 ファミレスでパフェをご馳走になったばかりだが、ここで「いらない」とは言えない。


「うん、もうお腹ぺこぺこ。夕陽を呼んでくるね」


 朝陽はそう言うと、廊下の突き当りにある妹の部屋へと向かった。

 ドアをノックして中に入ると、朝陽は机に向かって熱心にペンを走らせている妹に声を掛ける。


「夕陽、ご飯だよ」

「あ、お姉ちゃん、お帰り」


 振り返った夕陽の笑顔に、朝陽はほっと胸を撫で下ろす。

 姉とは対照的に、落ち着いた印象を与える黒髪ストレートの美少女。

 その理知的な瞳が、姉の姿をしっかりと捉えている。特に後ろ暗いことはないはずだが、なんとなく視線を逸らして、壁に掛けられた真新しい制服が朝陽の目に留まった。

 都内にある中学校の制服だ。

 淡い茶系の落ち着いた色合いのブレザーで、ネクタイも一緒にかけられている。


「新しい学校には、もう慣れた?」

「うん、友達も出来たし、上手くやれてるよ。その子、お姉ちゃんのファンらしくてね」

「あ、うん……そうなんだ……」


 なんとも言えない顔になる朝陽。ファンに取り囲まれそうになった昼間のことが頭を過ったのだろう。

 妹に声を掛けたあと、自分も荷物を部屋に置いて部屋着に着替える朝陽。そして、リビングに向かい、家族三人で食卓を囲む。

 食卓には、生姜焼きが食欲をそそる匂いと共に湯気を立てていた。

 それだけではない。栄養バランスを考え、ほうれん草の胡麻和えや豆腐とわかめのお味噌汁、炊きたてのご飯まで並んでいる。探索者として、あるいはそれを目指す者として、不規則な生活になりがちな孫たちの体を、祖母はいつもこうして気遣ってくれていた。


「お姉ちゃん、ダンジョンに潜るの?」


 食事の途中、夕陽がふと尋ねてきた。

 探索者がダンジョンに潜るのは当然のことだ。それが、仕事なのだから。

 どういう意味か分からずに朝陽が首を傾げていると、妹は呆れたように続ける。


「難しい顔してるから、また面倒事を引き受けたんじゃないかなって」


 図星だった。

 動揺する朝陽の様子を見て、夕陽はやっぱり、と小さく溜め息を吐く。


「探索者を続けることに反対はしないけど、無茶はしないでよね。……また、あの時みたいになったらって思うと、私……」


 夕陽の声が、心配そうに震える。

 フラッシュバックするかのように、朝陽の脳裏にあの時の記憶が過る。

 ダンジョンで遭遇した絶望の象徴とも呼べる怪物。為すすべもなく仲間たちが散っていく中で自分だけが生き延び、奇跡的に助けられた、あの日の記憶が――


「……大丈夫だよ。もう、あんな無茶はしないから」


 妹を安心させるように、朝陽は力強く頷いた。


「どんな厄介事を引き受けたのか知らないけど、企業探索者にギルドは依頼を強制できないって話だし、断ってもいいんだからね?」


 夕陽の言う通り、〈トワイライト〉に所属する企業探索者である朝陽に、ギルドは依頼を強制できない。依頼する場合でも、本来は所属先の企業に話を通す必要があり、これはクランについても同じだった。

 明文化されている訳ではないが、組織間の均衡を保つための暗黙のルールというものがある。


「アンタ、よくそんなこと知ってるわね……」

「言ったでしょ、探索者学校を目指してるって。四月には三年生になるし、今年は受験だから頑張らないと。お姉ちゃんも、ちょっとは勉強した方がいいと思うよ」


 悪戯っぽく笑う妹に、朝陽は何も言い返せなかった。

 そんな孫たちの会話を、祖母はただ優しく見守っていた。



  ◆



 夕食の後片付けと風呂を終え、シャワーの温かい湯を浴びながら、朝陽は思考に耽っていた。


(鉱山での戦闘……仁さんの言う通り、私のスキルとは相性が悪いかも)


 それでも、引き受けたことに後悔はない。

 人手不足に喘ぐギルドの窮状も、重要な資源である魔鉄の供給が滞っている現状も、無視はできない。そして何より、あの仁さんが頭を下げてまで頼ってきたのだ。断るという選択肢は、最初からなかった。

 それに、あの方――〈楽園の主〉こと〈黄昏の錬金術師〉様に認めてもらうためには、いまのままではダメだと朝陽は感じていた。このままでは恩を返すどころか、ただ守られているだけだ。せめて、頼ってもらえるくらいには強くなりたい。

 そんな決意を新たにしていると、ふと、ガラス戸の向こうにある脱衣所から妹の声がした。


「お姉ちゃん、新しいバスタオル、ここに置いとくね」

「あ、ありがとう」


 何気ない姉妹のやり取り。

 しかし、シャワーを止めた静寂の中、少しの間を置いて夕陽がぽつりと呟く声が聞こえた。


「……お姉ちゃん、無事に帰ってきてね」


 その声は、祈るように震えていた。朝陽は、何も答えない。

 ただ、流れ落ちる湯の中で、ぎゅっと強く拳を握りしめることしかできなかった。

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