月の魔女と楽園の錬金術師/外伝〈シークレット・ガーデン〉
193@毎朝7時更新!
第1話 スタンピードの英雄
ざわめきに満ちた街の中心。オープンテラスのカフェで、八重坂朝陽は一人、テーブル席に深く腰掛けていた。
黒のタンクトップに、ラフに羽織った白いカーディガン。身体のラインに沿う黒のパンツが、彼女のスタイルの良さを際立たせている。深く被ったキャップに、大きなサングラス。せっかくの美しい顔立ちは、そのほとんどが隠されていた。
ふと、通りの向かいにある大型ビジョンに、見慣れた光景が映し出される。
『――以上、先週行われました月面都市完成式典のニュースでした。〈
アナウンサーの冷静な声が、街のノイズに混じって響く。画面には、荘厳な月面都市と、そこに集う各国の要人たち。そして、アドバイザーとしてその場にいた自分の姿も一瞬だけ映り込む。
(あれから、もう二週間も経つのか……)
人類が楽園とはじめて接触したのは、ダンジョンと呼ばれる異界に通じる
いまが西暦2053年なので、約二十一年前――西暦2032年のことだ。月面で見つかったダンジョンと思しき
月へ向かった探査機は目的地に到達することなく『
だが、事態が急転したのはその数日後のこと。失われたはずの探査機が、こともあろうにアメリカのホワイトハウスに忽然と姿を現したのだ。
そして、その機体の上には一人の女性が佇んでいた。
長い銀色の髪を風になびかせ、黄金の瞳を輝かせる、この世のものとは思えぬほど美しいメイドが――
それが、人類と楽園との記念すべき最初の接触となった。
『ダンジョンの出現から三十二年……いえ、もう三十三年ですか。まさか、ダンジョンに続き、月に街……いえ、
『楽園とは、一体どのような国なのでしょうか? 一説には、異星人ではないかという噂もあるようですが……』
『正直に言うと、わかりません。ですが、以前から〝月には魔女の暮らす国がある〟と噂になっていました。アメリカ政府は沈黙を保っていますが、恐らく二十年前には既に楽園と接触があったのではないかと――』
もっとも、テレビで自称専門家が口にしているように、その事実は長く秘匿されてきた。
楽園の存在が公になったのは、ほんの数ヶ月前のこと。世界六カ国のダンジョンからモンスターが地上へ溢れ出し、月が
「いま、この平和があるのは楽園のお陰だと言うのに、暢気なものね」
なにも知らず、憶測だけで好き勝手言っているテレビの話を聞いていると苛立ちが募る。
妹の足を治すために霊薬を求めてギルドの門を叩いた、あの日から。
がむしゃらにダンジョンに挑み続け、朝陽は十八歳という若さでAランクへと至った。
そして、出会ったのだ。
死を覚悟した、絶望の中で――誰も手を差し伸べてくれなかった厳しい現実の先で、自分たち姉妹を救ってくれた希望の光。それが、楽園であり――恩人。一生をかけて恩を返すと誓った〝楽園の主〟その人だった。
だからこそ、テレビの話を聞いていると、苛立ちを覚えるのだろう。
なにも知らない人間に恩人のことを好き勝手言われて、気分がよいはずもない。
「ねえ、あの人ってもしかして……」
「え、嘘。でも、言われてみると似てるかも……」
すぐ隣のテーブルから聞こえてきた女子高生のひそひそ話に、朝陽はびくりと肩を震わせた。まずい、気づかれたかもしれない。
こうなっては長居は無用だ。朝陽は慌ててテーブルに紙幣を置くと、足早にカフェを後にする。しかし、背後からは「やっぱりそうじゃない?」「声かけてみる?」といった声が追いかけてくる。
人だかりができるのは、ごめんだった。
いまから凡そ半年前――あのスタンピードを境に、朝陽の日常は一変した。
スタンピードの英雄。〈トワイライト〉に所属する企業探索者。月と地球を繋ぐ唯一の探索者として――
そんな大層な肩書きが、彼女の自由を静かに奪っていく。
楽園の庇護下にあるという事実が、朝陽を特別な存在にしてしまった。その結果が、これだ。
朝陽は人通りの少ない路地裏へと駆け込むと、一度だけ振り返り、誰も見ていないことを確認する。
そして、軽く膝を曲げると、次の瞬間、アスファルトを力強く蹴った。
常人離れした跳躍力で、彼女の身体はふわりと宙を舞う。まるで重力など存在しないかのようにビルの壁を数度蹴り、あっという間に十階建てのビルの屋上へと着地していた。
◆
どうにか追手をまき、日本探索者協会――通称ギルドの支部に着いた頃には、すっかり気疲れしてしまっていた。気を取り直して中へ入ると、近未来的なデザインの広々としたエントランスが広がる。そこはいつも通り、多くの探索者たちの熱気に満ちていた。
中央に浮かぶ半透明の大型モニターには、色分けされた依頼リストが立体的に表示され、探索者たちは自身の携帯端末〈マギアギア〉を操作しながら情報を確認している。ギルドでは、日常的な光景だった。
真っ直ぐにモニターの前に向かい、依頼を眺めていた朝陽の耳に不快な声が届く。
「なあ、嬢ちゃん。一人なんだろう? なら、俺たちと一緒に行こうぜ」
「そうだぜ。見ての通り、俺たちは腕利きの探索者だ。パーティーに入れてやってもいい」
視線を向ければ、いかにもガラの悪そうな男たちが、一人の少女に絡んでいるのが見えた。
目立つ桜色の髪をしたセーラー服の少女は、男たちを鋭く睨みつけていた。
「結構です。間に合ってますから」
「そうつれないこと言うなって。治癒師なんだろ? お前みたいな稀少なスキル持ちが、一人でいる方が危ねえんだぜ」
男たちの下卑た笑い声。
少女は怯んだ様子こそ見せないが、その表情には困惑の色が浮かんでいる。
(まったく、いつになっても、ああいうバカはいなくならないわね)
ここでは、よくある光景だ。
誰も助けに入ろうとしないのは、このくらい自力で対処できなければ、この先やっていけないと分かっているからだ。
これは言ってみれば、通過儀礼のようなものだった。
しかし、気づけば朝陽は無意識に男たちと少女の間に割って入っていた。
「――その子、困ってるみたいだけど?」
朝陽が声をかけると、男たちはこちらを一瞥し、鼻で笑った。
「あぁ? なんだ、お前。すっこんでな。怪我したくなかったら」
「そうだぜ。それとも、お前も混ぜて欲しいのか?」
男の一人が、ニヤニヤと笑いながら朝陽の方へ歩み寄ってくる。
そして、馴れ馴れしくその肩に手を伸ばした。
「なんなら嬢ちゃんも一緒に――」
その言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
パチッ、と。
男の指先と、朝陽の肩が触れる寸前、空間に小さな火花が舞った。
男の手が、見えない壁に弾かれたかのように後ずさる。
「……ッ!?」
何が起きたのか理解できず、目を見開く男たち。
その視線の先で朝陽はゆっくりと、かけていたサングラスを外し、深く被っていたキャップを取った。
サイドテールに結われた、陽光を弾く明るい髪がふわりと揺れる。
そして、隠されていた美しい顔が完全に露わになった瞬間、男たちの顔から血の気が引いた。
「て、てめぇ……その顔は、まさか……」
「ヴァ、
一人が、かすれた悲鳴を上げる。その言葉が、合図だった。
男たちは我先にと踵を返し、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
あっという間に静けさを取り戻したギルドの片隅で、朝陽は小さく溜め息をついた。
後書き
作者の193です。この作品は、私が2023年10月14日から連載している『月の魔女と楽園の錬金術師』という作品の外伝です。本編をお読みの方ならお分かりになるかと思いますが、空白の二年間を描いたストーリーとなっています。
主人公は八重坂朝陽。準主人公として、妹の夕陽も登場します。本編の投稿が優先となるので、場合によっては休載を挟むこともあるかと思いますが、完結まで頑張って投稿していくので応援して頂けると嬉しいです。
なお、初日は一挙七話の公開となりますが、それ以降は毎朝7時に一話ずつ投稿していく予定です。
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