#3 決別
カチャ、カチャ……と、救急箱の瓶や器具が無造作に詰め戻される音が、薄暗い室内に乾いた調子で響く。
背を向ける俺の沈黙を、フェレットはしばらく見つめていたのだろう。
だが、やがて――小さな足音が一歩、また一歩と近づいてくる。
「……嫌です」
呟きのような声。それは確かな決意を宿していた。
「……これ以上話す事は無い。出て行け」
吐き捨てるように言った。
もう誰とも関わりたくない。過去を抉られるのは御免だ。
――ガシャン!
手元が狂い、救急箱の中身が床に散らばった。
転がった小瓶が壁に当たり、乾いた音を響かせる。
その音を合図にするように、背後から声が飛んできた。
「嫌です! 絶対に出ません!」
フェレットの声は、鋭さよりも必死さで震えていた。
いい加減にしろ……俺はもう疲れたんだ。
「これ以上、無意味な押し問答を続けるつもりなら力づくで追い出すぞ」
言い放った俺の背後で、足音が止む。
息を殺す気配があった――次に響いた声は、かすれていながらも真っ直ぐだった。
「……どうぞ」
振り返らなくてもわかる。
フェレットは本気で言っている。
「力づくでも何でも。……それでも、わたしはここを離れません」
救急箱を掴んでいた手に、思わず力が入った。
乾いた指先に血が滲む。
ふざけるな、と思う一方で――その声音には、恐怖も諦めもなかった。
「わたしは、新人です。未熟です。何度もセルリアンに殺されかけて、仲間に守られて……それでも生き残った」
「だからこそ、今度は守りたいんです。あなたみたいな人を」
胸の奥が軋む。
思わず振り返った。
そこには、涙と泥に汚れながらも一歩も退かずに立つフェレットの姿。
小さな体で、全身を震わせて。
だがその瞳は、まるで炎のように揺るがない。
「……っ!」
喉から、言葉にならない声が漏れる。
脳裏に、あの頃の仲間たちの顔が過った。
畜生……畜生……!
そんな誰に向けてかも分からない悪態ばかりが心の中で木霊する。
その度に胸の奥がきしみ、小さな怒号のように破裂しそうになる。俺は目を閉じ、息を吐いた。
目を閉じれば、あの灰色のあの日々が、まるで古いフィルムのようにゆっくりと巻き戻される。笑う顔、叫ぶ声、そして――崩れる砂のように零れ落ちていった仲間たちの影。
だが、目を閉じたままでも――目の前の存在だけは消えない。
フェレットの声が、部屋の空気を震わせる。震えるけれど、確かにそこにある。薄暗い中で揺れる瞳が、俺を見つめていた。
「……何を期待してるんだ。何になるっていうんだ。俺みたいな奴がいても、ただ足手まといになるだけだ」
言葉は棘だ。自分で放った棘を、自分で握り潰しているのが分かる。だが言わずにはいられなかった。あの日、俺がした決断の代償を、毎晩噛み締めて生きているからだ。
フェレットは小さく息を吸い、肩を震わせながらも前へと踏み出す。床に積もった埃が靴底に舞い上がる。
「足手まとい、なんて――」
「そんな言葉、わたしにとっては理由になりません」
彼女が口を開くたびに、声の端に剥き出しの痛みと、けれど確かな真っ直ぐさが混ざる。子どもっぽい押しの強さではなく、淡々とした信念。それがむしろ、俺には刺さる。
「……勝手にしろ」
彼女に背中を向けて隣の部屋へ歩き始める。
自分で言うのもなんだが、実にガキらしい。
だが、俺はとにかくその場から消えたかった。フェレットの事が嫌いなのではない。
俺自身がこれ以上彼女に合わせる顔が無いのだ。
彼女ならメインドアの開け方くらいわかるはずだ。そのうち諦めて帰るだろう。
そう考えるとほぼ同時に俺は彼女の方を振り向くことなくドアを閉じた。
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それからほぼ一日が経った時、微かにドア越しにメインドアが開く音が聞こえた。
メインドアの油切れの軋みが、コンクリの廊下を細く震わせた。
“帰ったか”――胸のどこかがザワザワする様な気持ちを抱えながらも、安心して鍵の掛かったドアノブに手をかける。
その時、外から物凄い衝撃音が森に響き渡る。
回転灯が回るより早く、俺は壁に吊るしてあるベルトを掴み、ドアを蹴り開けた。
廊下の先、吹きさらしの搬入口――メインドアは半開きで止まっていた。
外から吹き込む湿った風の中に、ザラリ……と砂利を踏み砕く音。
青色のシルエットが、ゆっくりと頭を持ち上げる。
――セルリアン。
大型の丸い本体と"三本"のワニ型クリップのような末端を糸で本体と繋いでいる。出入り口を塞ぐ意図を持って形成された様なソレの"全体"は初めて見るタイプだった。その時、何かが土煙の中で動くのを発見する。
「フェレット!!!」
地面に倒れ、小さく震える彼女に駆け寄り、肩を抱き抱える。状況から見て恐らくコイツに追いかけられ、
「ごめん……なさい……コレ……返そうとして、取ったら……急に……」
そう言って彼女は俺が彼女の方向へ投げたナイフを差し出す。
そう、俺はこの末端には見覚えがあったのだ。
ソレはフェレットと出会った時彼女の後ろに忍び寄っていたワニ口型のセルリアン、それに向かって俺はナイフを投擲したのだ。その時、そのワニ口型セルリアンは木に打ち付けられる様な形で突き刺さり溶けるように昇華して居たのを覚えている。まさか、あの時のヤツが大型の手足だとは夢にも思わなかった。
ずる賢いヤツめ、このナイフを誰かが引き抜きに来るのを待っていたのだろう。
その時、奴はアンカーのようにガッチリと固定したその末端をピンと張り、身体を持ち上げたかと思うと、巨大なハンマーの様に自身の本体をコンクリート製の床に叩き付け、轟音と施設全体を震わせるほどの衝撃と共に俺達の手前の床にクレーターを作る。
冷や汗が静かに額を伝う。ヤツは恐らく輝きに溢れているフェレットを探している。今は、意識を失いかけており、その輝きが曖昧になっている為直接攻撃されて居ないのだろうが、見つかるのは時間の問題だろう。
そして、このサイズ感とパワーを今の俺がどうにか出来るのだろうか。
いや、追い払うだけで良いのなら1度だけチャンスはある。
震える手で腰に刺してあるフレアガンの位置を確かめる。
刹那、奴は再び大きく自分自身を持ち上げて足の下に大きな隙間を作る。
「そこだッ!」
その言葉と共にフレアガンを引き抜き、引き金を引くとバシュゥウウ……という音ともにオレンジ色の火球がセルリアンの足元を通り抜けて行く。
セルリアンの視線が火球を追う──ほんの一瞬の隙。
俺はフェレットの身体を抱え、廊下の角まで滑り込むと彼女の背を壁に寄りかからせ、片手で肩を掴みながらもう片手で頭を支える。
「大丈夫か!?しっかりしろ!」
「ごめんなさい……ぼうしさん……私……」
その横、通路の入口で――糸で吊られた三つ爪の“末端”がギチギチと張力を増し、青い本体が外の信号弾に近づいて行っている。
もうじき信号弾は燃え尽きるか、セルリアンのゲル状の身体によって消火されてしまうだろう。そうなれば……もう、打つ手は無い。
(追い払うだけでいい。潰す必要はない。通路構造を使え)
息を整えながら、俺はフェレットの肩をもう一度壁に押しつけ、耳元へ囁く。
「ラーチには、会いたかったと伝えてくれ」
その言葉と共に俺はフェレットから受け取ったナイフを逆手持ちしながらヤツに向かって一気に駆け出す。
ヤツがコチラを向く前に、何とかしてここから締め出す!
しかしその瞬間、奴の目玉が一瞬にして180°回転し、ギョロリとコチラを凝視すると同時に2本のワニ口がまるでスピアガンの様にコチラへと凄まじいスピードで放たれる。
避けられないッ!!
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