けものフレンズ~また君の呼ぶ声が聞こえる
焦げたマシュマロ愛好家
#1 出会い
人間の記憶は曖昧だ。
昨日の朝飯ですら酷く習慣化された生活の中では正しく思い出せない。
ある話によると、人は初めて覚えた事を20分後には40%を忘れているらしい。
なのに何故、忘れられないのだろうか。
いや……あの事件を忘れてはならない事は理解している。
それに、あの日の後悔とトラウマを断ち切り、今を生き続ける正気を保つ為という最もらしい理由を自分自身に振りかざし、あの行動を正当化する事がどれ程恥ずべき行為かは理解している。
理解はしている……
そう、何度も頭の中で言葉を重ねる内に酷い吐き気と頭痛に襲われ、身体をボロボロの毛布の中でブルブルと震わせながら、床の横にあるサイドテーブルにあるペットボトルの水を手に取り、湧き上がる何かを押し込む様に水を流し込む。
「はぁ……はぁ……畜生」
薄暗いコンクリートの部屋に誰に向けてかも分からない用な悪態を吐きながら空のペットボトルを床に投げ付け、壁を背もたれにしてベッドに座る。
ここは、ジャパリパーク、アンインエリアの"元"管理センター。
切り立つ山の崖をくり抜いて作られた、周囲のジャングルを一望する事が出来るこの施設はパーク運営当時はアンインエリアの運営を一手に担うパークの重要施設だった。
連日、多数のゲストとアニマルガール達がここを訪れ、賑やかな時間を過ごしていた。
しかし、今ここに残るのは一人である。
壁に手を添えて立ち上がり、フラフラと歩みを進める。
あの事件に付随した事故のせいで俺はパークに取り残された。恐らく、この広大な島に残る唯一の"人類"だろう。
いや、純粋な"ヒト"である確証も日に日に薄れて来ている。いくらロックダウン状態の施設に閉じ籠っているとは言え、あの物質の影響を全く受けない筈がない。
それも、この長期間で髪色が変わる程度ならまだしも、未知の影響が出て来ても不思議では無い。
現に食事の量は減り、以前は比較的自信があった時間感覚が今は全く当てにならず、自分でも信じられない程長い間眠りに着くこともあった。
こんな状態でも何故か死ぬ事は出来ない。
死ぬのが怖い以上に、彼女達への申し訳なさが勝ってしまうのだ。
忌まわしき化け物、セルリアンをヒトの技術とアニマルガールの力を合わせる事で効率的に駆除をしようとした当時のパークで俺は彼女達にヒトの戦い方を教えていた。
彼女達は覚えが良く、俺が教えた事を自分の得意分野と合わせて磨き上げ、自分のものにしていた事をよく覚えている。
そして、俺を慕ってくれていた事も。
突如訪れた『例の異変』はその幸せな日常を悉く奪い去った。
いくら訓練されたヒトでも、いくら技術を身につけ、力が強い彼女達でも限界があった。
あの異変は、それを優に超えて居たのだ。
そして、彼女達はアニマルガールの中でも人一倍に正義感や思いやりの心が強かった。
それが、彼女達の弱点となってしまった。
俺は彼女達と共に戦う前に、事故に遭ってしまい、その時たまたま生き残った一人のアニマルガールに瀕死の状態である施設に運び込まれた。
その時には、既に防衛線から外れて居たその施設は、誰も居なかった事と彼女が涙を流しながらどうすればいいのかを何度も聞いて居たのを辛うじて覚えている。
彼女は仲間の中でも特に優しい子だった。
セルリアンハンターになってパーク中の戦うのが苦手の子達のヒーローになる。そんな健気な夢を俺に笑顔で語ってくれていた。
そんな彼女は助けを呼ぶ為に出たきり、帰ってこなかった。
俺はその怪我のせいでその場から動く事は出来なかった。
何とか動ける様になった時、真っ先に施設を飛び出し、彼女たちを探したが、見つからなかった。
俺が彼女達を殺した。
唯一生き残った俺がその罪の意識に頭を支配されるのに時間は掛からなかった。
俺は何とかテーブルに着き、ドサッと椅子に腰を下ろし、しばらく開けていないカーテンをしばらく見つめる。
外はもう昼か夜かもわからない。カーテンの向こうに広がるジャングルは、光と影の輪郭すら曖昧に滲んでいた。
ふと、テーブルの上に置いた端末に目が留まる。
パークマニュアル。旧式のもので今はもう通信機能も地図機能も使えるか怪しい。ただ、かつてのログデータだけは保存されていた。
その一つを、俺は無意識に再生していた。
『あははっ、見て見てぼうし! 私、ちゃんと取れてるでしょ!』
くぐもったスピーカーから流れる明るい声が、胸に突き刺さる。
「ダメだ……」
端末の電源を落とし、再び深く椅子に沈み込む。
この日常は、罰だ。死ねない俺に課された、果てしなく続く罰なのだ。
――コツン……。
小さな音が部屋の静寂を破った。
扉が叩かれている。まるで遠慮がちに、何かを確認するような……そんな音だった。
「……また幻聴か」
立ち上がる気力もないまま、頭を抱える。ここしばらく、こういった“現象”は珍しくない。幻覚。幻聴。幾度としてそれは俺の前に現れた。今やそれは、珍しい物では……
――コツン……コツン……。
「違う……?」
今のは、明確に――二度、叩いた。
音の重なりが、現実のものに思えた。幻聴ではない。少なくとも、そう“思わざるを得ない”。
震える手で椅子をどけ、立ち上がり、壁に吊るされた装備品ベルトを腰に装着する。
ベルトに装着されたホルスターには、辛うじて動作する筈の小型の信号弾と、ナイフ。どちらもパーク時代の名残で、もはや古びて使い物になるかも怪しい。それでも、まあ身を守るには十分だろう。
長い階段を降りて、扉に近づく。
冷えた金属の前で、俺は深く息を吸う。
このドアの先にいるのが、セルリアンだったとしても――いや、むしろそうである方が、心は楽かもしれない。
扉のロック機構に震える手を乗せて、ゆっくりとレバーを下げる。
赤い回転灯とくぐもった警告音と共に大きく重い扉がゆっくりと開く。
湿った風が吹き込んできた。
ジャングルの香り――濃密な緑と、腐葉土、そして錆びた鉄の匂い。それは久しく忘れていた「外の匂い」だった。
視界の先。崩れかけた道路、その中央に――
小さな影が立っていた。
最初、それが何か理解するのに数秒かかった。
灰色の外套。フードを深く被っており、顔は見えない。だが、二本の耳のような突起がぴんと立ち、胸元に提げたボロボロのバッジが、かつてのパークの残滓であることを証明していた。
「……誰だ」
俺の声に反応するように、その影は一歩、こちらへ踏み出す。
「ぼうしさん……ですよね」
その声は、微かに震えていた。
幼さを残しながらも、長い間言葉を押し殺してきたような張りつめた響き。
フードの奥から覗く瞳は、驚くほどまっすぐだった。
ボロボロの外套の下には、古びたセルリアンハンターの制服が見える。縫い目はほつれ、所々を自分で繕った跡がある。
「探しました……ずっと、ずっと……」
掠れた声で告げると、彼女はようやくフードを外した。
茶と白のまだらの髪が肩に広がり、細い顔立ちに似合わず耳がぴんと立っている。頬には泥の跡、腕には裂傷、息も荒い。
「……名前は?」
俺の問いに、少女はまるで胸に抱えてきた重荷を吐き出すように、はっきりと名を名乗った。
「私は……フェレットです。……お願いです、セルリアンハンターに戻って下さい!」
俺はその問いに答えること無く静かに、腰のナイフを引き抜き、間髪入れずに彼女に向けてその刃を投擲した。
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