第一章 模倣犯のゲーム
第1話 怪人『伽羅』
「面白いことが始まりそうだ」などと、まるで世界の終末でも予言するかのように宣ったご主人様、瓶覗操。その言葉通り、俺の平穏な日常は紅茶の湯気と共に儚く消え去った。
きっかけは、テレビのニュースだった。
リビングのバカでかいスクリーンに映し出されたのは、神妙な顔つきのアナウンサーと、『相次ぐ謎の模倣事件』という物騒なテロップ。
「……数年前に発生し、迷宮入りとなった著名な芸術家の密室自殺事件。その現場状況を完璧に模倣したと見られる事件が、都内で連続発生しています。被害者はいずれも、元の事件とは無関係と見られる一般市民。そして、全ての現場には、『
「伽羅、ねぇ。ずいぶんと雅な名前をつけたもんだな」
ポテチをかじりながら俺が呟くと、車椅子の上のご主人様が、ピクリと眉を動かした。
「繰、そのポテトチップス、製造されたのは3日前の午前10時から11時の間だな。ジャガイモの水分含有量が微妙に高い。味のキレが悪いぞ」
「……もう何も食えねぇよ、この家じゃ」
俺の嘆きなどどこ吹く風。操はテレビ画面を食い入るように見つめている。その目は、獲物を見つけた猫のように爛々と輝いていた。
やれやれ、面倒なことになりそうだ。俺がそう思った矢先、屋敷のインターホンが鳴った。執事のじいさんが丁寧な足取りで応対に向かい、やがて一人の男を連れてリビングへ戻ってきた。
歳の頃は二十代半ば。隙のない高級スーツに身を包み、いかにも「デキる男」といった雰囲気を振りまいている。しかし、その目には隠しきれない焦りと、他人を見下すような傲慢さが浮かんでいた。
「君が、瓶覗 操さんか。話は聞いている。警視庁捜査一課の
男――潤朱は、操の車椅子を一瞥し、あからさまに値踏みするような視線を送った。
「ふん。こんな子供に頼らねばならんとは、警察も落ちたものだな。まあいい、少し知恵を借りるだけだ。安楽椅子探偵とやらのお手並拝見といこうか」
そして、その矛先は俺にも向く。
「そこの君が、噂の『手足』くんかね? まるでパシリだな」
「どーも、パシリです」
誰がパシリだ、このエリート気取りが。今すぐそのツーブロックをわさびマヨネーズで和えてやりたい。
潤朱の無礼な態度にも、操は全く動じない。涼しい顔で紅茶を一口すすると、細い指でちょいちょいと彼を手招きした。
「潤朱、刑事さん。あなた、昨夜は徹夜でしたね。安物のコーヒーをがぶ飲みし、ネクタイの結び目には、あなたが気づいてすらいない0.5ミリほどのほつれがある。それで『科学捜査の鬼』を名乗るのは、少し滑稽ではありませんか?」
「なっ……!?」
潤朱の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。図星だったらしい。ざまあみろ。
「……口の減らない小娘だ。いいだろう、これが資料だ!」
彼は乱暴にアタッシュケースから書類の束を取り出し、テーブルの上に叩きつけた。
「これは一件目の現場写真。被害者は研究室で。完璧な密室だった。そして二件目。今度は個人図書館だ。これもまた、内側から鍵と目張りがされた密室。窓は嵌め殺し。科学的に見て、外部からの侵入は不可能だ」
潤朱が自信満々に説明する。
「問題は、現場に残されたこのメッセージだ。『壁はただの壁にあらず、空気は形を変え、影は意思を持つ』。ふざけたポエムだよ。我々はこれを、犯人の自己顕示欲の表れと見ている。トリックなどない。これは、被害者と面識のある人物による、巧妙に偽装された自殺幇助、あるいは……」
「違いますね」
操の凛とした声が、潤朱の言葉を遮った。
「それは、ただのあなたの願望でしょう? 『科学で解明できない謎などあってはならない』という、信仰にも似た思い込み。そのメッセージは、挑発であり、同時にヒントでもある。犯人はあなたたち警察を嘲笑い、そして私に挑戦状を叩きつけている」
「なにを……!」
「『伽羅』は、言っているのですよ。『君たち凡人には解けないだろうが、彼女になら解けるはずだ』とね」
操は、まるで全てを見通しているかのように、静かに微笑んだ。その自信に満ちた態度に、潤朱は言葉を失い、悔しげに唇を噛む。彼は結局、反論の一言も言えぬまま、「……勝手にするがいい!」と捨て台詞を残して、嵐のように去っていった。
静まり返ったリビングで、操はテーブルの上の事件資料に、そっと指を滑らせた。
そして、ゆっくりと膝の上の小瓶に視線を落とす。中のガラス片が、何かを待つように静かに光っているように見えた。
やがて彼女は顔を上げ、俺に命じた。その目は、紛れもなく「ゲームの始まり」を告げていた。
「繰。最初の現場に行くぞ。もちろん、行くのはお前だけだが」
「はいはい、わかってますよ。で、何を調べればいいんで?」
「まず、一件目の研究室。壁の材質を調べろ。特に、被害者の倒れていた場所から半径三メートル以内の壁を、指の腹で丁寧に触り、微細な材質の変化がないか確認しろ」
「はあ」
「次に床。落ちている埃を種類別に採取。どんな些細なものでも見逃すな。それから、照明。部屋の全ての光源の種類と角度、その光が壁や床に当たった際の反射率を……」
「待て待て待て! それ、俺一人でやんの!? 鑑識の仕事だろ!」
俺の絶叫に、操は悪戯っぽく片目をつむった。
「君は私の『手足』だろう? 鑑識の十倍は優秀な、私の、ね」
ああ、クソ。やっぱりこのご主人様は、正真正銘の悪魔だ。
俺は重い足取りで玄関に向かいながら、まだ見ぬ犯人『伽羅』に、心の中で悪態をついた。
面倒なゲームを始めてくれたもんだぜ、まったく。
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