文学的冒頭で話しかけてくる隣の黒瀬さん

橋塲 窮奇

第1話 殺人者・黒瀬綾歌

「私ね、人を殺したの」


 席に着いた瞬間に、隣の席に座る少女がこともなげにそう口にした。

 何を言っているのだろうか。それが俺――赤崎宗斗あかさきしゅうとの率直な感想だった。

 人を殺したなんて突拍子もない告白をしたのは、黒瀬綾歌くろせあやかだ。

 彼女はいつも、何かしらの本を読んでいる。俺よりも早く登校して、誰と話す訳でもなく読書に耽っている。そんな風に文学的障壁を築いているせいで、クラスメイトも話しかけようとはしない。

 艶めいた漆黒の長髪は、和人形を思わせる。俺は彼女を、孤高の黒百合と心の中で形容している。綺麗だけど近づきがたい。

 だが、俺は隣の席だから否が応でも彼女と接する機会が多くなってしまう。


「それって、本当に人を殺したの?」


「ええ。間違いなく、この手で殺したわ」


 彼女の瞳には少なくとも、罪悪感だとか不安だとか、そういう感情はなかった。

 人殺しをしておいてこんな平然としている人間など、異常者でしかない。


「そういうのって、早めに警察に言うべきだと思うよ。少なくとも、俺に告白するべき事じゃないと思うんだけど」


「自首? そんな大袈裟な人殺しじゃないわよ」


 大袈裟じゃない人殺しとは一体何だろうか。人間一人の命を奪った事を、黒瀬さんは大した事じゃないと認識している訳だ。猶更、異常者だ。今すぐにでも110番にかけるべきなのではないか。今にも俺を殺そうとするんじゃなかろうか。


「じゃあ、誰を殺したのさ? 黒瀬さんの命の価値基準がどんなものか知らないけど、家族とかは大袈裟な殺人だと思うんだけど」


「私を倫理観のない人間だと思っているの?」


「違うの?」


「悲しいわ、ぐすん。殺すわよ、ぐすん」


「怖っ。さりげなく殺そうとする時点で倫理観が推し量れるよ」


 黒瀬さんは嘘泣きを止めて、こほん、と咳払いをする。


「私が殺したのは、見知らぬ人よ。顔も見た事ないし、声も名前も聞いた事がないわ」


「うん? それで人を殺せるものなの? デスノートですら顔と名前を知らないと殺せないってのに」


「そんな名前を書いた程度でする殺人なんて、実感なくて気持ち良くないわ」


 綺麗な顔をして、平然とそんな事を言う黒瀬さんに途轍もない恐怖を覚える。

 早く司法は彼女を裁くべきだと思う。傍聴席で是非とも見てみたいものだ。


「じゃあ、どうやってその見知らぬ人を殺したのさ?」


「簡単よ。こう、かちっとね。機関銃で撃ち殺したの。ばばーん、っとね」


 何とも楽しそうに黒瀬さんは、見知らぬ人とやらを銃殺した答えた。

 顔も見てないのに、どうやって銃殺したのだろうか。対面しないと弾丸を撃ち込めないはずだ。それとも目隠しをして機関銃を乱射したのだろうか。だとしたら一体、どんな状況に黒瀬さんはいたんだ。


「実際に銃を握ったの? 立派な銃刀法違反じゃないか。早く自首した方がいいよ」


「誰も実際に銃を撃ったとは言ってないわ。赤崎くんは本当に早とちりね」


「だって、銃を撃ったって――」


「別に実物じゃなくても銃なんて、いくらでも撃てるでしょう? ほら、こう人差し指でかちっ、とね」


 さっきから黒瀬さんは「かちっ」という擬音で説明している。どうにも違和感を覚える。彼女の手の動きを見ると、机を軽く叩くように人差し指を動かしていた。

 そうまるで――


「……なるほど、そういう事か」


「あら、何か分かったのかしら?」


 悪戯に微笑みながら、黒瀬さんは小首を傾げる。

 まったく、


「黒瀬さん、君はパソコンゲームで人を殺したんだね? 画面越しの、見知らぬ人を機関銃で撃ち殺した……違う?」


 数秒の静寂。そして――黒瀬さんの口元は、綻んだ。


「流石赤崎くんね。分かってくれてすごく嬉しいわ」


 俗にFPSなんて呼ばれているゲーム。その多くが銃器で撃ち合い、殺し合う類のものばかり。確かに、広義的にはそれも立派な「人殺し」に当たるだろう。

 名前を書くよりもずっと気持ちのいい殺人。確かに、その通りとも言えるだろう。


「…………黒瀬さん、FPS始めたんだね」


「あなたが何度もおすすめするものだから、試しに遊んでみたけど……結構楽しかったわ。右手一つで画面の向こう側の人をバンバン殺せるのって、新鮮ね」


「他にもエリアを奪ったり守ったりするモードもあるから、今日一緒にやろうか」


「そんなモードもあるの⁉ やばい、早く家に帰りたくなってきたわ」


 黒瀬さんは瞳を煌めかせながら、そわそわしだす。これは早速、依存症の兆しが見えてきたな。中学生の頃の自分を思い出す。

 しかし、いつも凛とした、悠然とした顔をしている黒瀬さんがこんな子供らしい表情をしているのを見ると――正直、可愛いと思えてしまう。


「じゃあ、後でフレンドコード渡すから家に帰ったらやろう」


「分かったわ。……~~♪」


 鼻歌を歌いながら、黒瀬さんは一時限目の現代文の教科書を机から出す。

 彼女は楽しみにしているのだ。放課後に、人を殺す事を。

 ――そして、俺も黒瀬さんと一緒に人を殺す事を楽しみにしている。

 

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