第37話「ヒナと運命の遊園地デート〜後編」
俺はヒナに手を引かれてティーカップに乗り込んだ。アトラクションが始まると、ヒナは本気で勝ちにきているようで、ハンドルを全力で回した。なかなかの高速回転。これなら安心かもと俺は笑いながらも、ふと我に返る。
俺がルルから教わった全ての恋愛技術は、ヒナとの「恋愛成就」のためだったはずだと思っていた。なのに、今、俺は成就の最終条件のキスを避け、時間を稼ぐことを考えている。
——分かった。
きっとルルは、俺をヒナに引き渡すためにキスの仕方を教えてたんじゃない。
回転するカップの中で、俺の心がはっきりとそう叫んだ。練習のふりをして、俺に何度も本気のキスをさせ、俺の心がヒナより自分に向くように、最後の最後まで抵抗していたんだ。
なのに結局、俺はヒナよりルルを選べなかった。地球の日常、ヒナへの愛。それらを捨ててルルを選ぶことはできなかった。
でも、ルルにはどこにも行ってほしくないし、バジリコ三姉妹との繋がりも失いたくない――。その結果、ヒナとのキスを避けながらルルたちを遠ざけないという、あまりにもおかしなデートをしちまってるんだ。
そう思っていると、予想外の事態が起こった。
気付くとティーカップの外側、回転台のフチに、ラヴィーナが飛び乗っていた。彼女は血走った目で俺たちのカップを睨みつけ、全力でカップのハンドルを掴み、さらに激しく回転させ始めた。
「カナメ!速さが足りねえぞ!ロマンチックな会話をする暇を与えるな! ムードを物理で潰すんだ!」ラヴィーナが必死に叫ぶ。
「そうですわ!ムードは遠心力でキャンセル!全速前進ですわ!」マルティナは別のカップに飛び移り、その遠心力を利用して、俺たちのカップの回転をさらに不規則に加速させようとしている。
「もっとひねくれっす!カナメっち、激しく回せばキスなんて無理っす!」リリカはティーカップの台座の近くにしゃがみ込み、透明な台座を両手で押し込み、回転の摩擦をなくそうと必死だ。
「ちょっと!あなたたち、やりすぎよ!」ルルが慌てて駆け寄るが、三姉妹はキス回避のために、物理法則すら無視した加速を続けている。
ヒナもハンドルを回していたが、カップの回転は不規則でガクガクしている。
「あれ?カナメくん、すごい回るね!私たち、天才かも!」
そして次の瞬間、ガクッと限度を超える不規則な遠心力が働いた。
「きゃっ!」
ヒナはバランスを崩し、勢いよく俺の胸元に飛び込んできた。
「ご、ごめん!すごい勢いで回ってるから!」
俺の顔は、彼女の柔らかな髪に埋もれた。抱きしめ返すわけにはいかない。しかし、ヒナの温かい体温と、甘い匂い、柔らかさ、驚きによる心臓の鼓動が、俺の胸に一気に伝わってきた。これは、キス以上に親密で危険な接触だ。
三姉妹が、自分たちの作戦の失敗に気づき、動きを止めた。
「何してんだ、カナメ離れろ!」
ラヴィーナが、懸命に叫ぶ。
「しまったっす……!キスは回避したけど、抱擁を誘発してしまったっす!」リリカが絶望の声を上げた。
「これ、好感度、爆上げですわ!」マルティナは計算を放棄して異世界電卓を放り投げた。
俺は、ルルに助けを求めようと視線を送ったが、ルルは悲しそうに首を振り、「もう、私にできることはないわ」と俯いた。
アトラクションがゆっくりと停止するまで、ヒナは俺の胸に顔を埋めたままだった。その重みは、究極の幸せと罪悪感を同時に背負わせる、逃げ場のない温もりだった。
———
アトラクションを終えると、ヒナは少しフラつきながらも満面の笑顔だった。
「わー!めっちゃ目回ったけど楽しかった!変に揺れたけど、カナメくんが頑張ってくれたおかげだね!」
ヒナは俺の胸から離れ、顔を紅潮させながら無邪気に笑った。彼女の無邪気さが、俺の心に深く突き刺さる。
「ねえ、カナメくん」
日が傾き、遊園地のライトが点灯し始めた。ロマンチックなムードが、有無を言わさず俺たちを包み込む。
ヒナは、少し顔を紅潮させながら、俺の手をそっと握った。
「最後にさ、観覧車に乗らない?高いところから、この遊園地の夜景を見てみたいんだ」
俺は息を飲んだ。ついに来たロマンスの最終兵器。そして、運命の終着点。ルルが最も警戒し、俺が最も恐れていた、二人きりの密室空間。
「...うん。行こう。最後に、最高の思い出を作ろう」
観覧車の乗り場へと歩き始めた俺たちを、ルルは、悲しみの極致を浮かべた顔で静かに見つめていた。その瞳は、もう何も言わないと決めた、師匠の顔をしていた。三姉妹も遠くでルルの指示を受け、諦めたように立ち尽くしている。
ゴンドラに乗り込み、扉が閉まると、外の喧騒が遠ざかった。目の前には、ヒナの顔だけ。
ゴンドラがゆっくりと上昇を始めた。
「すごい...綺麗だね、カナメくん」
ヒナは夜景に見とれながら、幸せそうに微笑む。その横顔は、今日一日の喜びで満ちていた。俺は、ヒナの愛に応えればルルと永遠に会えなくなり、応えなければヒナとルル両方を失うという、逃げ場のない現実を反芻していた。
観覧車が、ゆっくりと最高点に達した。眼下に広がる街の光が、まるで宝石のように輝いている。ムードは最高潮に達し、俺は決断を下す瞬間が来たことを悟った。
その時、ヒナが顔を俺に近づけてきた。
「カナメくん、私、カナメ君と出会えて本当に良かったって思ってる。私、本当にカナメくんのことが...」
嬉しすぎる言葉。そして……キスが、来る。これで、全てが終わる……。
その瞬間、ゴンドラの密室空間に、聞き覚えのある声が響いた。
「ちょっと待ったぁ!」
声に続いて、三姉妹がゴンドラの壁をすり抜けて飛び出してきた。ラヴィーナは真っ赤な顔で俺の腕を掴み、リリカは半泣きでヒナを睨みつけ、マルティナは冷静に「この進展は契約終了に直結しますわ」と警告してきた。
ヒナは、この騒動に気づいていない。ヒナから見ると、俺が急に目線を変えてキョロキョロとしながら、腕を上げたようにしか見えないだろう。
「やめて!あなた達、カナメくんの恋を邪魔するつもり!?」
ルルが、三姉妹に続いてゴンドラに入ってきた。その瞳は怒りと焦燥で潤んでいた。
「だってよ!」ラヴィーナが吠える。「ヒナとキスしたら終わりだろ!?私もお前も、もうカナメに会えなくなるんだぞ!そんなの、そんなの...耐えられるわけないじゃんか!」
「私だって耐えられないよ...!」
ルルは堪えていた涙をこぼしながら、声を張り上げた。
「でも...私はラブマスター。カナメくんの恋を導くのが私の使命なの!カナメくんが本当に選んだ人を、私が守らなくてどうするの!」
三姉妹はルルの涙と本音に、愕然とし、言葉を失った。
ルルは、泣き顔のまま、ゴンドラの窓の外の夜景を、震える声で見つめた。
「...ごめん。私だって、本当はこんなのイヤなのに。カナメくんと...ずっと一緒にいたいのに」
俺は、ルルと三姉妹がゴンドラの密室空間で繰り広げる、愛の崩壊のドラマから目を離すことなどできなかった。
ヒナは、俺の様子を見て驚いていた。
「カナメくん...だ、大丈夫?何か見えてるの?...私、怖いよ」
ヒナはキスをするのをやめ、不安に満ちた目で俺を見つめた。
俺は、ルルたちの愛の衝突と、ヒナの不安を前に、最後の、そして最も残酷な選択を迫られた。
ルルか。
ヒナか。
俺は、ルルとヒナの顔を交互に見た。
ルルが俺の顔を見て、涙目で微笑んだ。
「(カナメ君、お幸せに……)」
サングラスを外したその瞳は愛と切なさと優しさに満ちて、これまでの思い出を全て思い出させた。
「大丈夫だよ、ヒナちゃん……」
これ以上、ヒナを待たせるわけにはいかない。ルルの懸命な最後の指導に応えるように、俺は涙を堪えてそう口にしたが、それが良かったのかどうかは正直分かっていなかった。
「そう?ならいいけど……」
そして、ゴンドラが夜景を背景に、ゆっくりと下降を始めた時。
ヒナの顔が、もう一度近付いてきた。
地上の光は、まるで二人の祝福の星のようにキラキラと瞬いている。けれど、その光の中で静かに揺らめく影――ルルの涙の残像だけが、俺の胸を締めつけて離れなかった。
いずれにせよ運命は、もう後戻りできない最終段階へと突入していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます