第8話「異界の追っ手」

ヒナへのカレー作戦が成功して、俺は幸せな気分で家に帰ってきた。


軽くシャワーを浴びて、夜ごはんは母親も一緒にカレーを食べさせようと圧力鍋を火にかけた時、俺の部屋の方からドタンバタン!と異音がした。


慌てて火を止め、部屋に戻る。


「……え?」


一瞬、自分の目を疑った。そこにいたのは、明らかに現実離れした格好の――たとえるなら、夜の渋谷にいるかいないかギリギリのラインを攻めた三人組の女。


けれど、目つきといい、立ち振る舞いといい、明らかにただのコスプレ好きじゃない。


「な、何してるんだよルル!?」


「……あー。ちょっと来ちゃったみたいね」


「来ちゃったじゃない!だれこの人たち⁉︎」


ルルはうんざりしたように溜息をついた。


「バジリコ三姉妹。“異世界スパイス密輸サイト”《PIЯI PIЯI》の回収部隊よ。要するに……取り立て屋さん」



「ルル。どういうことだよ!?スパイス密輸って……まさか、お前……」


「言ってなかったっけ? この前の《ラブ・ガラムマサラ》、サイト経由で手に入れたって」


「代金、ちゃんと払ったんだろ?」


「仮想異世界通貨で“後払いプラン”にしたのよ。しかも、初回お試し10g無料キャンペーンで……」


「そのあと請求が来たと?」


「ええ。金利込みで、“1億6千万ピリル”」


「そんな単位知らねぇよ!」


まず前に出たのは、金髪サングラスの長女。

黒いスパッツにピンヒール、腹部にはよく見ると【呪印】のようなタトゥーが浮かんでいた。

目つきは完全にヤクザ――いや、それ以上だ。見ただけで胃がキリキリする威圧感。


「返済の時だ。利子は一日0.3%。時空超えてでも取り立てに来るのが《PIЯI PIЯI》流だ。現金か、魂か、労働か――好きなのを選びな」


続いて現れたのは、黒髪ロングの次女。ゴスロリとチャイナを合体させたような謎服に、“次女”と書かれた腕章。手には巨大な電卓――いや、魔力カウンターのような機械が握られている。


「そうですわよ、買ったものはお金を払うのが常識なんですのよ。違いまして?」


そして最後に出てきた三女。見た目は小学生くらいのメイド姿だが、背負ってるのはまるでドラム缶のような巨大ポーションタンク。

「そうっす。常識っす。払えっす! でないと心臓回収っす!」


「ルル、どうすんだよこれ……!」


「……はぁ、やっぱ来たか。面倒なのに目をつけられたわね」

さすがの能天気ルルも一つため息をついた。


「とりあえず、カレーでおもてなしして、ご機嫌取って帰ってもらうしかないわね」


「いや、それで済むか⁉︎」


ルルが例のピンクの容疑を手に取って見せた。

「これ、あとちょっとだけ残ってるから」


「それしか……ないか」


俺は、三姉妹に言った。


「とりあえず、夕飯作ってる途中だったんで……カレーでも食べます?」


「ふふん、なんかいい香りがすると思ったらカレーだったんだな」

「お腹すいたし、食べながら返済プランの話、すればいいですわね」

「それいいっす!一石二鳥っす!」


俺は、三姉妹に食べさせるカレーを温めながらちょっと多めに《ラブ・ガラムマサラ》を振り入れた。


「お待たせしました。特製ラブカレーでございます」



そのカレーの匂いを嗅いだ瞬間——


「……なに、この、スパイス……」


長女の額の呪印がほんのり蒸気を放ち、次女の指先がビリビリと震え始めた。三女にいたっては、目を閉じて深呼吸している。


次女:「……やば。これ、ちょっと美味しそうかもです…」


長女:「ああ、確かにかなり美味そうではあるな。でも、ビタ一文まからないからな……」


三女:「うーん……この匂い、なんか、こう……胸の奥がキュンてするっす……!」


(キュン!?)


俺は急いで盛り付けた。ルルが小さくため息をつき呟く。

「本当はこんな作戦嫌なんだけどな……」


俺は三人分のカレーを差し出した。



「お待たせしました。“ラブ・カレー”でございます」


三姉妹は一瞬だけ顔を見合わせたあと、一口。


そして——


長女:「え……おいし……うそ、なにこれ……」


次女:「魔力の濃度が……高いです。違う、これは……恋の気配……?」


三女:「だめっす、あたし、これ、胸がドキドキしてっ、超好きっす!!」


 


三女がスプーンでガシガシ食べながら、こちらを見て叫んだ。


「このカレー作った人と……こ、恋しても……いいっすか!?いや、っていうかもう、好きっす!!」


次女が続く。


「いいえ、私の方が先に好きになったし、年齢的にもこのカレーの方にピッタリですのよ。あなたは諦めなさいね」


「はぁ!?なに言ってんのよアンタたち!」


長女がスプーンを曲げる勢いで立ち上がった。


「そんな感情、不要!任務を忘れてるわよ。……けど……くそ、なんでこんな気持ちになるのよ……」


スプーンをそっと置き、彼女は俺を見つめた。


「……ねえ。名前、なんて言うの?」


「カ、カナメだけど……?」


そして、顔を見る見る赤らめた。


「……ま、まあ……悪くないわね」


次女:「ちょっとちょっと!長女様まで!?もう、だったら先に言ってくださいよー!」


長女:「……この男、悪くないと思ってたのは実は私が先よ」


三女:「違うっす!最初に恋って言ったのあたしっすー!!」


部屋の中で、異界から来たはずの刺客三人が修羅場を始めた。


俺はそっとルルに耳打ちする。


「……これ、勝った?」


「……いや。ごまかして早く帰ってもらおう。すぐ正気に戻るから」


「ええぇぇぇぇぇえっ!?」



長女が赤らめた頬のまま、提案してきた。


長女「私のこと、選んでくれたら……、お金、チャラにしても……いいよ」


次女が怒りを爆発させる。


次女:「お姉様!それは汚い手ですわ!いいですわ、私の給料全部差し出します!だから彼は私のものですのよ!!」


すると、テーブルの向こうで、スプーンを落とした三女が立ち上がった。


三女:「ふ、二人ともズルいっす!!」


涙目で顔を赤くしながら叫ぶ。


三女:「私だって……! 初めて、男の人にトキメいたんすよ!? このカレーの味と一緒に、心まで溶かされたんすよ!?!?」


次女が睨み返す。


次女:「あなたにはまだ早いですわ! 恋も、任務も、何もかも!」


三女:「関係ないっす!気持ちが本物なら、それでいいじゃないっすか!」


長女が立ち上がる。静かに、だが怖いほど冷静に。


長女:「……ふん。ならば証明してみなさい。彼に見合う女だと」


三女と次女に向かって冷たい視線を向ける。


長女:「カレーの味もわからない小娘達が、私に勝てると思ってるの?」


次女と三女がビリッと緊張する。


三女:「そ、それは、つまり……」


次女:「わ、私たちで……勝負、ですの?」


長女がカナメを見て、にっこりと微笑む。


長女:「決めるのは、彼。もちろん、拒否は認めません」


「ちょ、ちょっと待って!」


俺は慌てて両手を挙げた。

どうにかしなきゃいけない。でも、どうにもならない。


……となれば、もう先延ばし作戦しかない。


「大事な問題だから、少し……ゆっくり考えさせて欲しいんだ。10日後、もう一度来てくれないか?」


三姉妹が一斉に沈黙する。


そして――


長女:「……10日ね。いいわ。待ってあげる」


次女:「では、10日間で彼を射止めてみせますわ」


三女:「……10日って、10時間くらいに縮まったりしないっすかね」


ルル:「この人は、ちょっと慎重派なんで、辛抱強く待ってくださいねー」


三人は、目を見合わせて渋々頷いた。


三人「ごちそうさまでした!」


三人が、それぞれ、得意のセクシーポーズで俺にアピールして、口々に「10日後よろしく」とか「好き」とか、「信じてる」とか言って去って行った。


(……はあ。どうすりゃいいんだよ、これ……)


そのとき――


「ねえカナメ?」


背後から母さんの声がした。


「……さっきから、誰としゃべってたの?」


ギクリと固まる。


振り返ると、母さんがエプロン姿のまま、眉をひそめて俺を見ていた。


「誰って……い、いや、その、えっと……」


ルルの方をちらりと見る。もちろん母には見えていない。


「劇の練習?」


「……はあ?」


母さんは呆れたようにため息をついた。


「あんた、高校生にもなって何の劇やるの?借金したカレー屋さんの役?」


「そ、そうそう。見に来てとか言わないから気にしないで……」


「ごちそうさまでしたー!」


母さんがふとカレーの鍋を見て言った。

テーブルには俺の分の一皿しか残ってない。


「……あんた、一人で全部食べたの? あの量。私にくれるんじゃなかったの?……どんだけカレー好きなのよ」


「ち、違うんだって! これは、母さんの分、残りは友達に持って行った」


「ふーん、いつのまに?でもありがと」


「それじゃ、カナメの初めての料理いただこうかな」


パクリ。母親がカレーを食べると……


「えぇ!!いい香りだとは思ってたけど、まさかこんなに美味しいなんて……カナメ……あんた……」


俺は自慢げに頷いた。


「カッコ良くなったねぇ……。私の子じゃないみたい。なんだか……」



「もう、勘弁してくれよー!!!!!」

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