桜華の競艶(おうかのきょうえん)~蓮を巡る、乙女たちの秘密~

舞夢宜人

第1話 体育館の残響

 蝉の声が降り注ぐ、まぶしい7月上旬。私立桜華学園の体育館には、まだ熱気が残っていた。つい先日、男子バレー部は地方予選の決勝トーナメントで惜敗し、蓮たちの3年生は引退を迎えたばかりだ。汗と涙が染み込んだ体育館の床が、彼らの高校生活における一つの時代の終わりを静かに告げていた。


 文月蓮は、がっしりとした体格をベンチに預け、体育館の天井を仰いでいた。チームのエースアタッカーとして、最後の最後までボールを追いかけた。結果は悔しかったが、やりきったという清々しさも確かにあった。しかし、同時に、これまで生活の中心にあった部活動がなくなったことで、ぽっかりと穴が開いたような寂しさも感じていた。これからは、本格的に受験勉強へとシフトしていく日々が始まる。


「蓮、お疲れ様」


 控えめな声が、蓮の耳に届いた。顔を上げると、神無月もみじが、汗を拭いながら微笑んでいた。女子バレー部もまた、同じく地方予選で敗退し、引退を迎えたところだ。もみじは、いつも通り真っ直ぐな姿勢で、Cカップの胸元が薄いスポーツウェアの下でわずかに揺れている。その清楚な中に秘められた女性らしさに、蓮の視線は一瞬吸い寄せられた。蓮は、もみじのバストラインから腰、そしてすらりと伸びた脚のラインを無意識のうちに追っていた。彼女の身長170cmというすらりとした体型とCカップのバランスは、蓮にとって理想的だと感じていた。


「もみじも、お疲れ。最後までよく頑張ったな」


 蓮はそう言いながら、手元にあった新しいタオルを差し出した。もみじは小さく礼を言い、それを受け取ると、汗ばんだ額や首筋を丁寧に拭った。その仕草一つ一つが上品で、蓮は目を離すことができなかった。もみじは中学時代から蓮がクラス委員のパートナーとして指定し続けた相手だ。彼女の真面目さ、誠実さ、そしてクラスをまとめる手腕は、蓮が尊敬するに足るものだった。部活動でも、女子バレー部のアタッカーとして活躍する彼女の姿は、蓮にとって常に意識せざるを得ない存在だった。蓮は彼女の理想的なスタイルに密かに憧れてもいたが、幼馴染の向日葵への想いが強かったため、もみじはあくまで「高嶺の花」として彼の心の中に存在していた。


「ありがとう。蓮こそ。最後のスパイク、すごく格好良かったよ」


 もみじの言葉に、蓮は少し照れたように首筋をかいた。もみじの透き通るような声が、蓮の耳に心地よく響く。


「ありがとう。でも、これで本当に終わりだな……」


 蓮が寂しげに呟くと、もみじはそっと蓮の隣に腰を下ろした。二人の間には、心地よい沈黙が流れる。


「うん。でも、これからが勝負だよ。受験、一緒に頑張ろうね、クラス委員さん」


 もみじの瞳が蓮を真っ直ぐに見つめる。その視線に、蓮は励まされるような温かさを感じた。もみじにとって、蓮は貞操観念の強い自分でも安心して付き合える、数少ない異性だった。彼は他の男子のように馴れ馴れしくなく、常に適切な距離感を保ってくれる。それでいて、困っている時には必ず助けてくれた。自覚はないが、もみじもまた、蓮に特別な感情を抱き始めていた。蓮の隣には向日葵がいたが、もみじは蓮を基準にすることで、他の全ての交際申し込みを断ってきたのだ。もみじの一番好きな人に処女を捧げたいという志向は、彼女の無意識下で蓮への特別な思いを育んでいた。


 その時、ガラッと体育館の入口から明るい声が響いた。


「蓮ー!もみじー!いつまで体育館にいるんだよ!」


 葉月向日葵が、ボーイッシュなショートヘアを揺らしながら駆け寄ってきた。彼女の白いスポーツブラとショーツのセットが、薄手のTシャツの下でわずかに透けて見える。活発な彼女らしい姿だ。彼女の身長は160cmと蓮より低く、バストもBカップと控えめだ。蓮の好みからは少し外れるものの、小学校からの長い付き合いと、彼女の明るさに蓮は惹かれ続けていた。


「向日葵、翔太は?」


 蓮が尋ねると、向日葵は肩をすくめた。


「翔太なら、先にシャワー浴びに行ってるとこ。蓮も早く行こうよ!今日、みんなで打ち上げなんだから!」


 向日葵はそう言って、蓮の腕をぐいと掴んだ。その手は、小学校時代から変わらない、親密さを示すものだ。蓮は彼女のことが好きだが、中学に入ってからの「蓮とはただの幼馴染で彼氏とかではない」という向日葵の言葉を、数えきれないほど耳にしてきた。その度に、告白すればきっと玉砕するだろうという思いが蓮の心を覆い、彼は想いを伝えられずにいた。


「ああ、分かった。もみじも来るんだろ?」


 蓮はもみじに視線を向けた。もみじは少し困ったような表情を浮かべた。


「ごめん、私は今日はちょっと……」


 もみじは、打ち上げよりも、この静かな空間で蓮と話している方が心地よいと感じていた。それに、もし蓮が向日葵を好きなのであれば、自分は邪魔をしてはいけないという気持ちもあった。何より、彼女は一番好きな人に処女を捧げたいという強い志向を持っている。まだ自覚はないが、蓮への特別な感情が芽生え始めた今、安易に恋人関係に発展するような行動は避けたいと考えていた。


「えー!もみじも来なよ!楽しいよ?」


 向日葵がもみじの腕に絡みつく。


「本当にごめんね、また今度、改めて二人で会おうね」


 もみじは向日葵をなだめるように微笑んだ。


「そっかー、残念。じゃあ、蓮、行こっ!」


 向日葵は再び蓮の手を引っ張り、体育館の出口へと向かう。蓮は、名残惜しそうにもみじに一瞥をくれてから、向日葵に引きずられるように体育館を後にした。


 もみじは、二人の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。蓮の隣にいる向日葵。二人の親密な関係は、もみじの胸に、甘くも切ない痛みを残した。彼女はまだ自分の気持ちを明確に認識していなかったが、蓮への想いは確かに、彼女の心の奥で静かに育まれ始めていた。部活動の終わりは、彼ら三人の、そして周囲の人間関係に、新たな変化の兆しをもたらしていた。


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