第10話:学園へ

 その日からシャーロスは研究室に逃げ込むのをやめ、勉学に励んだ。

しかし一日の終わりに必ずやってきて、今日あった出来事や学んだことを話して帰って行くようになった。

その時に必ずレベッカの健康をチェックし、ケガが無いか光のない目で問いかけてくるのだ。


「姉さん、今日は大丈夫?何もなかった?僕以外、ここに来なかった?」

「え、えぇ…。そんなに心配しなくても大丈夫よ」


 正直レベッカはそのシャーロスの目が怖くて仕方ない。何がどうなったらそうなるのだ。

スラムでの出来事がシャーロスのトラウマになっているなんて事は容易に推測できる。

しかしもうあれから六年が経っているのだ。改善されてもいい筈なのに、年々悪化している。


レベッカは気づかない。日を重ねる事にレベッカの優しさに触れ、更に意思が固くなり続けている事に。






「くれぐれも行動を慎みなさいよ。常に見られていると思って。変な事はしないで頂戴ね」

「はい、お母さま」


 レベッカは十五歳になり、ついに学園に通える歳になった。

貴族はその学園で交流を重ね、色々な家を繋がりを持てるような機会が設けられている。

必ず通わなければならないというワケではないが、基本的にその学園でしか学べない事が多い為、大半は行く事になるのだ。


 レベッカは行く気が無かったのだが、世間体を気にした両親に手続きを進められていたのである。

全寮制でないのだけが救いだ。大事な研究のデータは隠し金庫にしか置いておきたくないため、あそこを長期間留守にすることだけはしたくない。

歳を重ねる事にシャーロスがセキュリティーを進化させているせいでもう姉弟しか入れなくなってしまっている。

その為余程の事が無ければ大丈夫ではあるのだけれど。


「姉さん、絶対に危ない事はしないでね。門限過ぎたら今度こそ閉じ込めるから」

「めんどくさい事ばかり言うんじゃないわよ。たかが学校でしょう?」

「僕はめんどくさくない!」


 シャーロスの事を軽くあしらい、用意させていた馬車に乗り込む。

レベッカが乗ったことを確認すると、馬車は勢いよく走り出した。後ろの小窓からシャーロスが寂し気にこちらを見つめているのが見える。

あまりに悲しそうな顔をするので、言い過ぎただろうか、とレベッカは少し反省した。


いつ見ても馬車からの景色は良いものだ。ただ座っているだけで良いなんて、これが貴族の特権だろうか。





 学園は屋敷からそう遠くはない。三十分もすれば着く距離だ。

御者にお礼を言ってから学園に足を踏み入れる。思っていたよりも大きく豪華な建物がそこに聳え立っていた。

公爵家や王族が通うともなればこれくらいはしなくてはいけないのだろう。

そんな事に金を使うのなら税金を減らせ、とも思うが、次世代のリーダーを教育する場なのだ。文句など言えたものでは無い。


 どうやらクラス制で、教員が教室に足を運ぶ様式のようだ。クラスを受け持つ担任もいるらしい。

多くの生徒が移動するのは非効率的だからなのだろうか、なんてレベッカは推測してみるが、確かめる術はないので考えるだけでやめておいた。


 レベッカは1-A。二階にある一番端っこのクラスだ。

クラスメイトは完全ランダムで選ばれているようで、繋がりのある家の者もいれば全く別の区域の者もいる。

レベッカは特に話したい人もいなかったので、席について本を読む。静かな場所で読むのも良いが、多少の雑音がある場所で読むのも中々乙なものだ。


 しかし誰かが入ってきたことによって主に女性の声が雑音の範囲を軽く超えた。

黄色い悲鳴は甲高く、一言で言えばうるさい。これでは本すらまともに読めない。

何処か別の場所で時間を潰そうか、と本を片手に立ち上がるレベッカ。

そんなレベッカに一つの影が落ちた。誰かが傍に来たのだ。


公爵令嬢であるレベッカの周りには近寄りがたいはずなのだが、怖いもの知らずなのだろうか。

その間抜けな面を拝んでやろうか、と鋭い目つきのまま顔を上げるレベッカ。

しかしそこには懐かしい顔があった。


「久しいな、レベッカ」

「ルーヴァン!こうして会うのはいつぶりかしら…。随分と身長が伸びたんじゃない?」

「そういうお前は、あまり変わってないか?」


 言うようになったじゃない、と笑うレベッカ。レベッカがあまりお世辞を好まない事を知っていたルーヴァンだからこその皮肉がお気に召したのだ。


 お互い文通はしていたが、こうして顔を突き合わせたのは約六年ぶりだ。

その原因は主にレベッカの外出嫌いにあるのだが、そんな事仲良くなればすぐにわかる。

それがレベッカらしい。とルーヴァンはおおらかに笑うだけだ。


「そういえばお前、まだ婚約が決まっていないと聞いたが?」

「あぁ…。母様が熱心に探してるみたいだけど、シャーロスが片っ端から却下していくの」


 もとより結婚する気が無いからいいのだけど、と笑うレベッカ。

傍から見ればかなりおかしい状況なのだ。年頃の女の子に婚約話が来ないわけがないわけがない。

それをすべて断っているのを見るに面白い弟なのだな、とルーヴァンは楽しそうだ。


「噂の弟君か。随分と可愛らしい性格なのだな」

「保護者並みに口を出してくるのよ?」

「兄弟とはそういうものだ」



 仲良さげに話し出す二人に周りはひそひそと噂を始める。

隣国の王子はこの国の公爵令嬢の婚約者なのか?あの気難しい王子が楽しそうだ…。

ルーヴァンが睨みを聞かせれば声は収まるが、好機の目を向けられるのは変わらない。


 しかしそんな中、突然大声を上げた者が一人いた。


「レヴィ~!!やっと見つけたよ!」

「ウィル!」


 レベッカからしたら十五年ぶりの再会だが、ウィルモットはそうではない。レベッカの比にならない程の時を過ごし、今やっと見つけ出したのだ。

ウィルモットは嬉しさのあまり、レベッカを抱き上げその場でくるりと回った。

前より見た目は幼くなっているが、力は成人男性よりもある。レベッカを持ち上げるのなんてウィルモットからすれば容易な事だ。


「まさかこんな所にいるなんて、探すのに苦労したよ」

「なら別に今じゃなくても良かったじゃない」

「いーや。レヴィと学園生活を送りたかったから、今じゃないとダメだ」


 レベッカを優しく床に降ろすウィルモット。宝物を見るようなその瞳は傍から見ていた女生徒が思わず顔を赤らめる程優しさで溢れていた。

相変わらずね、とそっぽを向くレベッカ。しかしそれが照れ隠しだという事は分かり切っている。


「…レベッカの知り合いか?」


 耐えきれなかったルーヴァンが二人の間に入るように一歩前に出る。

レベッカに問いかけたつもりだったのだが、喜々として答えたのはウィルモットだった。


「レベッカ様の専属騎士になるべくココへ来たんです。これからよろしくお願いいたしますね、王子様?」

「…ほう、今年の特待生は剣術に長けていると聞いたが、まさかこんな奴だとはな」


 お互いがお互いを探り合うように睨み合った後、手を差し出して握手をする。

こいつも中々厄介そうな奴だな、とウィルモットとルーヴァンの心の声は奇しくも全く同じだ。

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