第54話「浮気じゃないって言ってるだろ!」 ### **浮気したら、



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### **浮気したら、ハチの巣にしてあげる -if version-**


「ただいま」という声が、まるで遠い異国の言葉のようにリビングに響いた。酔いに揺れる夫、ケンジの足元で、何かがカサリと音を立てる。それが地獄の始まりとも知らずに。


「浮気じゃないって言ってるだろ!」


昨夜の電話口での彼の声が、私の脳内でリフレインする。キャバクラ、ヘルス、ソープランド。その言い訳、聞き飽きたわ。あんたが毎晩蜜を吸いに行くなら、こっちは本物の蜜地獄を用意してあげる。


窓も通気口も完璧に塞いだ密室。今、この家の主役は私でも、夫でもない。


解き放ったのは、選び抜かれたエリートたち。圧倒的なカリスマで君臨する「**スズメバチクイーンズ**」一千匹。彼女たちの目的はただ一つ、この縄張りを完全に支配すること。そして、その対抗馬として投入したのは、孤高の飛行能力を誇る「**鬼ヤンマレディース**」百騎。


「さあ、始めなさい。女の戦いを」


私は防護服越しにほくそ笑んだ。ケンジなんて、この女王たちの戦争の、ちょっと邪魔な障害物くらいになればいい。


「うおっ、なんだこりゃ!?」


リビングに足を踏み入れたケンジが、目の前の光景に絶句した。しかし、彼の驚きはすぐに別の感情に変わる。誰も、一匹として、彼に目もくれないのだ。


スズメバチクイーンズは、ケンジの頭上を巨大な編隊で旋回し、威嚇の羽音を響かせる。対する鬼ヤンマレディースは、壁際に陣取り、一騎当千の構えで敵を睨みつけている。空気は張り詰め、両者の間には目に見えない火花が散っていた。ケンジは完全に「**ガン無視**」されていた。彼は人間サイズの置物同然だった。


「お、おい…俺の家だぞ…」


ケンジが恐る恐る一歩踏み出した瞬間、均衡は破られた。


一匹の鬼ヤンマが、スズメバチの女王候補の一匹に音もなく接近し、その首を刈り取った。それを合図に、リビングは瞬く間に女たちの修羅場と化した。


それはもはや、虫の戦いではなかった。

スズメバチたちは連携し、さながら暴走族の集会のように「ブンブン!」と威嚇しながら突撃を繰り返す。対する鬼ヤンマたちは、黒い特攻服をまとった一匹狼のように、単騎で敵陣に切り込んでは一撃離脱を繰り返す。


「やめろ!俺のフィギュアが!」

ケンジの悲鳴も虚しく、棚から叩き落とされた限定版のフィギュアが女王たちの下敷きになる。テレビの液晶画面は、激突した鬼ヤンマのクラッシュテスト場と化した。


私は別室のモニターでそのカオスを眺めながら、最後の切り札を用意した。名付けて「**ハニートラップ作戦**」。


リモコンのスイッチを押すと、リビングの中央に設置した小皿に、とろりとした黄金色の液体が注がれ始めた。最高級のアカシア蜂蜜。女たちの戦いを誘惑し、混乱させる甘い罠。


「さあ、この蜜に狂いなさい!」


蜂蜜の甘い香りが部屋に充満した途端、あれほど激しく争っていた女王たちの動きがピタリと止まった。そして次の瞬間、彼女たちは一斉に蜂蜜の皿へと殺到した。敵も味方もない。ただ、甘美な蜜を独占するために。


皿の周りは、蜜にまみれ、羽を汚し、もがき苦しむ女王たちで地獄絵図と化した。戦いは新たなステージへと移行したのだ。蜜を巡る、より醜く、より直接的な奪い合いに。


しかし、予想外の事態が起きた。


その甘い香りに誘われたのは、虫たちだけではなかった。

「うおっ!この匂い…腹減ったな…」

戦いの蚊帳の外に置かれ、すっかり存在を忘れ去られていたケンジが、ふらふらと蜂蜜の皿に近づいていく。彼は、蜜に群がるハチたちを無造作に手で払いのけると、指で蜂蜜をすくい、ぺろりと舐めた。


「うん、うまい」


その瞬間、全てのハチとヤンマの敵意が、一点に集中した。

**――我らの蜜を奪う、あの男を許すな。**


「え?」


ケンジが顔を上げた時にはもう遅かった。スズメバチクイーンズも、鬼ヤンマレディースも、共通の敵「ケンジ」に向かって、一斉に襲いかかった。敵対していたはずの彼女たちが、利害の一致によって、最強の連合軍を結成した瞬間だった。


「ぎゃああああああああ!」


家中に響き渡る、情けない夫の絶叫。

モニターを見ながら、私は満足げに呟いた。


「あらあら。私のハニートラップ、ちゃんとあなたに効いたじゃない」


事故後、駆け付けた警察官が、腫れ上がった顔のケンジに尋ねた。

「一体、何があったんですか…?」


ケンジは、遠い目をして答えた。


「…女は、怖い」

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