【完結】夜風コーヒー ―前世で買ったエレキベースと―

夜風紅茶

序章 中学3年生編(2022年)

第1話:前世の記憶&一度も会話したことがないクラスメイトが我が家にやって来た

 わたし(可愛川かわいがわもえ)がエレキベースに興味を持ったきっかけ。

 中学一年生の春に英語の授業で聞かされた洋楽。

 その曲のエレキベースのかっこよさに心を奪われたからだった。


 それ以前のわたしは、アニメとゲームと漫画にしか興味が無いオタク女子だった。

 その曲のベースを弾いた動画をユーチューブで検索した。

 すると、偶然にもアニメキャラのコスプレをした、¨弾いてみた投稿者¨の動画を発見した。


――その時、わたしは¨前世の記憶¨を思い出した。

 わたしはメカメカしいその灰色のベースをかつて持っていた。

 けれど、持っているだけで弾くことはまったく出来なかった。


 自分が高校を卒業する前に病死したことも思い出した。

 家族と住んでいた昭和の頃に建てられた、ボロボロの賃貸のアパートも。

 だけどそれ以上はどうしても思い出せない。


 わたしはまた、《あの灰色のベースを現世で手に入れられたら》と思った。

 しかしそれはかなり険しい道だろう。

 あのベースを含めて何もかも、両親か妹が処分しただろうから。


 それでも誰かが手に入れた可能性があると思った。

 その日以来、同じあの色のベースがネットオークションに出品されているか。

 動画や画像が投稿されていないか毎日チェックした。


 それでも残念ながら発見することは出来なかった。

 わたしはひたすら同色のベースを弾いている、あの投稿者さんの動画を見続けた。

 そしてある日、学校から帰宅したわたしは母に、「エレキベースをはじめたい」とついに言ったけれど――


「エレキベース? ダメよ」


 首を縦に振ってくれない。

 その時のわたしは母の隣に立ちながら、調理風景を眺めていた。

 換気扇の音といい、その環境音が大きいので、両者とも少し大きな声で言った。


「え、何で?」と、わたしは尋ねた。

「近所迷惑にもなるけぇダメ」

「で、でも。調べたら、ベースアンプもヘッドホンをさせば静かだし……」


 わたしは、おろおろして言った。

 ジェスチャーもぎこちない。


「ダメ。それよりもはよ手を洗って来んさい。晩ご飯ももうすぐ出来るけぇ」

「……わかった」


 わたしは肩を落とすと、また前世の記憶を思い出した。

 状況が違うけれど、わたしみたいに中学生の頃。

 ギターを買えなかった¨おっさんの話¨を聞いたことがある。


 確かペンネームが、¨夜風紅茶よかぜこうちゃ¨という友達が一人も居ないクソザコのおっさんだ。

 大人になってから反動がすごく、ギターコレクターになってしまったきったねぇおっさんだ。

(※全世界のコレクターさんを批判しているわけではありません)


 今まで以上に軽音部のライブをわたしは真剣に見た。

 憧れると同時に、そのステージに自分が立つことはない。

 そんな現実に落ち込んだまま中学生最後の冬休みを迎えた。

 ストレスでいつもより食べすぎたら体重が三キロ増えた。


『ピンポーン』


――するとある日の午後、インターホンの音が家の中で鳴り響いた。

 お菓子の袋や空になったジュースのペットボトルだらけの自室から出た。

 わたしは足早に向かい、マイクのボタンを押してオンにすると、


『こんにちは。比治山ひじやまですが、もえさんは居ますか?』


 女の子の声でそう言った。

 その声はまるで、ガラスコップに入った冷たい水のような透明感だ。

 そのダウナー気質な声を聞いただけで声フェチのわたしは、心が癒された。


 わたしの心臓の鼓動がさらに早まった。

 手も震えているけれど、勇気を出した。

 マイクのオンスイッチを押した。


比治山ひじやまさん?」

『あ、可愛川かわいがわさん? ちょっとお話があるんだけど今、時間大丈夫?』

「……わ、わかりました。ですが、すみません。ちょっと待ってください。¨三時間¨ぐらいそこで待ってくれませんか?」

『いやどんだけ待たせるの。ちょっとどころじゃないよ。何でなの?』

「いえあの、家全体を掃除するのでぇ……」

『そんなに汚いの?』

「いえ、汚くはないんですが失礼かと……」

『いやいや、だったら掃除しなくていいから入れてくれるかな?』

「あぁ、それでしたら一時間ほどそこで待ってください」

『何かあるの?』

「いえ、寝巻き姿なんでぇ……」


 わたしは自分の灰色のパジャマ姿を見下ろし、顔を少し赤くした。


『あぁ、恥ずかしい? 別に気にしないよ?』

「いえ今、¨起きた¨ので」

『え、今、起きた?』

「は、はい」

『……もう十四時だけど……洗顔も歯磨きもまだ?』


 と、彼女が左腕につけた腕時計を見ながら、怪訝な表情をしているのを声だけでわかった。


「ま、まだですね」

『……あぁ、じゃあ待つよ。急がなくていいからね?』

「あ、いえ。ただいまそちらに向かいますので」

『いやどっち? 待つからいい――』


 わたしはやはり待たせるのは悪いと思った。

 マイクのスイッチをオフにしてしまい、彼女の言葉を遮ってしまった。

 スリッパの音をパタパタと鳴らせながら、早歩きで玄関へ向かった。


 モニター付きのインターホンではないので、彼女の顔を確認することは出来なかった。

 サンダルをはいて、玄関扉の鍵を開けようと手を伸ばすけれど、その手が止まった。

 本当にこんなわたしにどんなご用なんだろう?

 もう片方の手は胸に当て、心臓の音を感じた。


 ……ようやく決心すると開錠して、古い日本家屋の引き戸を開けた。 


「……おはよう」

「お、おはようございます」

「とりあえず、お顔洗って歯磨きしてね」


 わたしは、苦笑いをする彼女をまじまじと見た。

 綺麗な黒髪、服装、背中にあるギターのケース。

 本人には失礼だけど、まるで中学生になりたてな小柄な容姿。

 とても庇護欲をかきたてられるかわいさだ。


 その後、比治山ひじやまさんを我が家に入れた。

 彼女の言う通り、洗顔と歯磨き、着替えをした。

 さすがに何も出さないわけにはいかない。

 なので、わたしは台所でコーヒーを用意した。

 御盆に宮島焼のコーヒーカップを二客、角砂糖、お菓子をのせて。


 彼女が待っているリビングへ移動した。

 それをダイニングテーブルの上に置いた。

 わたしはまるで借りてきた猫みたいに、恐る恐る椅子の上に腰を下ろした。 


――わたしたちは、白い湯気が立ち昇るブラックコーヒーを一口飲んだ。

 比治山ひじやまさんはソーサーに静かに戻すと、真剣な眼差しで、


可愛川かわいがわさん、私と同じ高校に行くんだよね?」

「は、はい」と、わたしはうなずいた。

「それでさ、いきなりだけど一緒に¨バンド¨組もうよ。担当は¨ボーカル¨だよ」

「……え?」

「今から私がギター弾くから歌ってくれる?」

「……え?」

「いや、『え?』じゃなくてさ。歌ってくれる?」

「……え?」

「何で『え?』しか言わないの? 私、おかしなこと言ってる?」


 彼女は苦笑いすると、


「……えーと、だからね? 今から私がギターを弾きます」

「はい」

「それに合わせてですね」

「はい」

可愛川かわいがわさんに歌ってほしいです」

「はい」

「……いいですか?」

「……え?」

「……え?」


 と、彼女は身体をガクンとさせると、


「……いやホントに、とりあえず騙されたと思って歌ってくれない? それともまだ眠たい? 目の下にくまが出来てるよ?」

「……え……あ。と、とりあえずコーヒーのおかわりはいかがですか?」


 と、わたしは椅子から立ち上がり、台所へ向かおうとすると彼女が、


「いやだから……おかわりはいいって。歌ってくれない?」

「……う、歌えば良いんですね?」

「いや最初からそう言って……やっと伝わった」


 彼女にそう言われてわたしは、断れなかった。

 わたしがボーカルに? 比治山ひじやまさんとバンドを組む?

 とにかく理由を訊くよりも先に足が動いた。


 彼女は椅子から立ち上がった。

 床の上にひざをつくと、ギターが入ったケースを開ける。


 まるで雨の雫のようなデザイン。

 ¨赤いエレキギター¨を取り出した。

 銀色の金属パーツが、冬の日光に反射していた。


《……おぉ、¨タルボ¨だ。比治山ひじやまさんが愛用しているギター。懐かしいなぁ》


 と、わたしは思うと同時に、「ちなみに何の曲を?」と尋ねた。


「たぶん聞いたことあるよ。¨魔王魂まおうだましい¨さんの¨『シャイニングスター』¨」

「あ、あぁ。ユーチューブの動画編集でよく使われるBGMですね」

「そうそう。歌詞は憶えてる?」


 比治山ひじやまさんはそう答えた。

 彼女とわたしは中学三年間、ずっとクラスメイトだ。

 一度も会話したことがないけれど。

 彼女は軽音部の部員で、リードギターを担当していた。

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