手折られた花へ

@sanma_love

第1話

惰性で画面をスクロールしていた手を止め、寝返りを打つ。


画面上の時計を見るともう夜の九時だった。

特に何もしていないのにSNSを見ているとあっという間に時間が過ぎてしまう。制服のままベッドに寝っ転がっているのでプリーツが崩れちゃうなあ、とは頭の片隅で思うものの、どうにもめんどうでこれ以上は動けない。


もう少しダラダラするつもりで寝返りを打つと、なんだか目に映る景色に違和感を感じた。


漫画が積み上がったぐちゃぐちゃの机も、いつものクリーム色の壁も見える。だがフィルター越しに見ているかのように視界が全体的にうっすらと青みがかって見えるのだ。


もしかして目がおかしい?二カ月前の視力検査では特に問題はなかったはずなのに。そう思い視線を上にあげると見知らぬ女と目が合った。


十二単というのだろうか、歴史の教科書で見た幾重にも重なった着物を身に纏い黒色の髪の毛はラプンツェルのように足元まで伸ばしていて、一言で言えば時代錯誤な服装をしている。


その女はだらんと両手を下げ微動だにせずこちらを見ていた。ただただ見続けていた。


この状況でアクションを起こそうとしない幽霊にキャパオーバーしそうになりつつ、大きすぎる混乱とわずかな興味から頭から足へと目を向けた。


その女には足が無かった。

頭から腰辺りまでは普通の人間のように確かにあるのに、足だけは輪郭がぼやけていてつま先の方なんかは煙のように渦巻いている。


幽霊だから当たり前か、いや幽霊自体当り前じゃないしこんなの初めて見るしセオリーなんて知らないし、

そんなどうでもいいことが一気に頭の中に出てくる。こんなことを考えていないと本当に気を保っていられなくなりそうだった。


「貴方、わたくしを覚えていないのですか。」


目をまん丸くして幽霊は言った。

カラコンをつけているみたいな大きな瞳。普段なら羨ましいと思うところだが今ばかりは不気味さしか感じない。


真っ黒い、というよりどす黒いという言葉の方が似合う澱んだ瞳はあたしを見ているようで焦点が合っていないようにも見える。生きた人間にはない何かがある。


覚えているわけが無い。だって顔を合わせたのは今が初めてなんだから。

そう言いたいのに怖くてできない。体が石になったみたいだ。


「私は貴方を忘れたことなんて無いのに。」


腰が抜けて動けないあたしにすっと近づき右手をあたしの顔に添えながら言う。鼻と鼻がくっつきそうなほど寄ってきたせいでさっきの濁った目が一層近くにあって寒気がする。

頬に添えられた手は氷みたいに冷たくて血色なんてものはなく、生白い。


それまでは映画を見ているみたいな感覚でどこか現実味がなかったが頬を伝う冷たさに一気に「本当に自分の身に起きていることなんだ」という実感がわいてきた。


「や、やめて!」


咄嗟にその手を振りほどこうと暴れたが一向に相手にぶつかる感覚がない。あたしの腕は幽霊女の体を突っきったのだ。

空を切った腕に重心を取られてバランスを崩し情けなくベッドから床に転がり落ちるあたしを冷ややかな目で幽霊は見ていた。


「絶対に離れませんわ。私のことをすべて思い出すまでは。」


呪いのような言葉を吐きながら霧のように幽霊は消えてしまい、そうして部屋にはあたしだけが残された。

いつもの自分の部屋だけど妙に静かに思えて怖くて、そのまま起きている気にはなれず早めに寝ることにした。

寝付くまでの間の時間は今までで一番長かったように思える。


その日、夢を見た。


大きな部屋にあたしはいた。

木でできた壁、木でできた床、古風な木造建築の部屋だった。


とはいっても、全く知らない場所だった。

あたしの家は郊外のごく普通の一軒家だし祖父母の家も同様だ。こんな部屋には一度も入ったことが無い。


時代劇とかで見るようなその場所に驚ききょろきょろとあたりを見回していると自分の着ている服にも違和感を感じて手元を見る。


目に飛び込んできたのは寝巻にしているゴムの緩んだ中学のジャージではなかった。何枚もの布が重なってグラデーションを織りなしている、寝る前に見た幽霊と同じような仰々しい着物を着ていた。まるでタイムスリップしたかのような光景だった。


そしてもう一つ、目の前に先ほどの幽霊女が座っているのだ。よく見ると今は足があって血色も良く、まるで生きているみたいだ。

予想外すぎることの連続でぎょっとしたがあちらはさも当然であるかのように微笑みかけ何かを懸命に話している。


しかしまるでそこだけ音がなく、彼女の声だけが無音だった。遠くで囀るウグイスの声や誰かが庭の砂利を踏みしめる足音は聞こえるのに、顔を向かい合わせすぐそこで話しているはずの声だけは聞きこえないのだ。


それでも楽しそうだということは直観的に伝わってくる。時折あたしの反応を窺うように口をつぐみじっと上目遣いにこちらを見つめるので話の流れは分からないものの適当に頷くとまた嬉しそうに笑うのだ。妙に無垢な雰囲気のその表情が可愛らしい。


視線を彼女から外の方へ向ける。窓、というものはなく目の前にすぐ修学旅行で見たような古風な中庭が広がっている。天井近くに簾のようなものがみえるからあれで内と外を区切っているのだろう。今は遮るものが何もないので外から日光が差し込んでいて、光を浴びてその黒髪はキラキラと宝石のような輝きを放っていた。


ここで見る彼女は寝る前に見た時とずいぶん印象が違った。

ほんのりと赤い唇に桜色のふくふくとした頬。おまけにたくさん話して少し興奮しているのか鼻の頭と耳も赤く染まっている。

大人の女性と言うよりも、まだまだあどけなさの残る可愛らしい少女だった。


穏やかな時間だった。

不思議と不快感はなく、むしろこの時間がもっと続けばいいのにとさえ思った。


ぼんやりと庭の木を眺めるあたしに目の前のお姫様が色白な手を伸ばす。

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