第一章 死なないために籠絡しましょう!②

    ***


 オルテガルド帝国のヴァレンティノ侯爵家は、潔白な皇帝の『陰の手』である。

 それは、報酬さえもらえれば国のどんな汚い仕事でもやってのけることからつけられた、ヴァレンティノ侯爵家の別名であり、蔑称でもあった。

 皇帝や高官の政敵の排除からはじまり、密告者や裏切り者の処刑。反抗的な貴族の粛清や、失脚工作。時には暗殺などを請け負うとの噂もあるヴァレンティノ侯爵家は、当然ながら貴族からは嫌われており、その仕事の性質から皇帝からも忌避されているのが現状であった。

 特に、現在の当主であるルーク・ヴァレンティノは、一年前の大きな貴族粛清にもかかわったとされており、さらには報酬のがめつさも相まって、他の貴族たちからは嫌われているというよりも恨まれていた。


 そんなルークが、久しぶりに皇帝から呼び出されたのは、シェリルが『無限書庫』で自身の伝記を見つける数週間前。

 その部屋には、三人の男たちがいた。

 オルテガルド皇帝、ビンセント・ヴァティムと、彼を守る護衛の兵士。

 それと、ルークである。

 奥のソファに腰掛けるビンセントは、ルークが正面のソファに座るなり、こう告げた。

「ルーク、お前にはエルヴィシア王国の国王の姪と結婚してもらうことになった」

 いきなり突きつけられた決定事項に、ルークは驚くこともなく、不遜な態度で唇の端を上げる。

「へぇ。結婚ねぇ」

「なんだ? 不満があるのか?」

「いいえ。ただ、こんなところに呼び出すんだから、どんな物騒な話かと思っていただけですよ。まぁ、誰かが貧乏くじを引くと思っていましたが、まさか俺とは……」

 一応、敬語を使ってはいるが、ルークの態度は正面の最高権力者を敬ってはいない。ともすれば、小馬鹿にしていると取られてもおかしくなかった。

 そんな彼にビンセントは不機嫌になることもなく、ためいき一つついただけだった。

「でも、国王の姪って。人質にするにしても人選が微妙じゃないですか?」

「仕方がないだろう。かの国の国王には息子しかいない。こちらに差し出せる、国王に最も近い王族の娘は彼女しかいなかったんだ」

「へぇ」

「それに、彼女はトリニアム教の巫女だ」

 聞き慣れない単語にルークは「巫女?」と片眉を上げた。

「エルヴィシア王国が、宗教国家だということは知っているだろう? 彼女はトリニアム教における三人しかいない神の使いらしい」

「神の使い……ねぇ」

「と言っても、実質権力なんてものは与えられていないらしいがな。ただのお飾りのようなものだ」

 ビンセントの説明にルークはあからさまに鼻白んだ。

「それならやっぱり、人質としての価値は薄いんじゃないですか?」

「しかし、殺すには適した人選だろう?」

 そう言って足を組み替えた皇帝に、ルークはわずかにげんな顔をした。

「殺す?」

「我々の見立てだと、エルヴィシア王国は三ヶ月から半年以内にもう一度仕掛けてくる。そのときに彼女の首を民衆の前で落とせば、多少なりと国民感情は収まるだろう」

 ルークは、ビンセントの言いたいことを理解し、「あぁ、なるほど」とうなずいた。


 先の戦争で、エルヴィシア王国がオルテガルド帝国に攻めてきたとき、民衆の負の感情は攻めてきたエルヴィシアよりも、自国のオルテガルドへと向いた。

 エルヴィシア王国のように弱い国にどうして攻められるのか。

 められているのではないか。

 外交では何をしていたのか。

 そもそも国境の兵たちは何をしていたのか。

 それらの感情が一気に吹き出して、帝都では暴動にまで発展しそうなほどに国民感情は高まってしまった。収拾がつかなくなった皇帝は軍を取り仕切っていた貴族を罷免することにより、なんとか事態を沈静化させたが、二度目の襲撃となれば、同じような手が通用するかどうかわからない。

 ただ、人質として嫁いできたエルヴィシアの大切な巫女を殺せば、オルテガルドがかの国に強く出ていることを国民にアピールすることはできるだろう。

「三年前の大規模な内乱は、お前も知っていることだろう? 我々は急激に大きくなりすぎた。まずは内側を固めなければならないのだ。正直、エルヴィシアのような弱小国家との戦争なんて構ってはいられない」

「つまり俺は、我が国の国民感情のために、敗戦国の娘をめとり、時が来たら殺す、と?」

「ま。さすがのお前でも良心が痛むだろうが──」

「あははは」

 ビンセントの言葉を遮ったのは、ルークの笑い声だった。彼は心底面白そうに、目を細め、口元をゆがめている。

 ビンセントはそんなルークの表情にけん感を隠すことなく眉間にしわを寄せた。

「お前──」

「いや、随分と面白いことをさせるのだなぁと思いましてね。ちなみに、今回のことを了承した場合の、こちらの見返りは?」

「前々からお前が要求していたロースベルグ鉱山の利権を一定期間そっちに貸し与える」

「貸し与える?」

「……──わかった。引き渡そう」

「ありがとうございます」

「で、この話は?」

「もちろん、お引き受けしますよ」

「いいのか?」

「いいですよ。むしろ、普通の結婚じゃなくて安心しましたし」

 ルークは話を切り上げるようにソファから立ち上がる。

 そして、そのままビンセントを見下ろした。

 細められた目にはどこか危うげな気配が見え隠れする。

「だってほら、いつか壊すおもちゃなら、どれだけ乱暴に遊んでも構わないってことじゃないですか」

 ルークの言葉に、ビンセントは先ほどよりも強い嫌悪感を顔に貼り付ける。

 その表情がよほど面白かったのか、ルークはさらに笑みを強くさせた。

「そんな顔をしないでくださいよ。こんなひどい命令を出したのは他でもない貴方あなたでしょう? あぁ、可哀かわいそうに。俺の花嫁は殺されるためにこの国に来るんですよね」

 ルークは皮肉げに笑いながら、わざと芝居がかった口調でそう続けた。

 そのまま扉の方へ歩き、ドアノブに手をかける。

「それでは、失礼します。俺は早く帰って、可哀想な花嫁を迎える準備をしないといけないのでね」

 そう言って扉を閉めるときまで、ルークは終始笑みを絶やさなかった。


 静かな室内に扉が閉まる音が広がって、直後、扉越しに鼻歌が聞こえた。

 どうやら、よほど今回の仕事が気に入ったらしい。

 ルークがいなくなった室内で皇帝は深くソファに腰掛ける。

 すると、心配そうな顔のそばづかえがそっとビンセントに声をかけてきた。

「いいのですか? あの者に任せて」

「仕方がないだろう。普通の人間はどれだけ金を積んでもこんなことはしたがらないからな」

 側仕えは、ビンセントの言葉に先ほどルークが消えた扉を見つめる。

「でも、まさか本当に、自分の領地私利私欲のためにあそこまでできる人間がいるなんて……」

「まったくだ。殺す前提で花嫁を迎え入れるなんて、血の通っていない人間にしかできない所業だよ」

 ビンセントはそこまで言った後、ルークが消えた扉に向かって低くこう吐き捨てた。

「……死神が」

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