第2話 海底の邂逅

翌日の早朝、マリナは魔素探知器を片手に、チームと共に海底調査に向かった。


前夜の神秘的な予兆が頭から離れない。青い影の正体が何なのか、海洋学者としての好奇心が疼いている。


「深度50メートル地点に、興味深い魔素反応があります」


ベックが計器を確認しながら報告した。


「通常の海底とは明らかに異なる数値を示しています」


マリナが魔法で作り出した水中呼吸の泡に包まれながら、海底へと潜降していく。前世の海洋学の知識が、この世界の魔法技術と融合して、驚くほど効率的な調査を可能にしていた。


「これは...」


海底に着いた瞬間、マリナは息を呑んだ。


そこには、見たこともない美しい魔素結晶の層が広がっていた。青く光る結晶が、まるで水中の星座のように海底を彩っている。そして結晶の周囲には、色とりどりのサンゴ礁が自然の庭園を形成していた。


「素晴らしい。これほど純度の高い魔素結晶は帝国でも稀です」


マリナは魔素結晶と共生するサンゴ礁の美しさに心を奪われた。前世の知識からすると、この生態系は極めて繊細なバランスで成り立っている。魔素流を安定化させ、サンゴ礁を保護する魔法装置の設計が頭の中で組み上がっていく。


~~~


調査を続けていると、水流に異変を感じた。


何かが近づいてくる。巨大で、優雅で、そして...知性を感じさせる存在が。


「マリナ、何か来ます!」


カイトが警戒の声を上げた時、それは姿を現した。


長い銀髪を海流になびかせ、青い鱗を持つ美しい青年。人魚...いや、それ以上に神秘的な存在。竜の特徴を持つ人型の生命体だった。


竜人族。この世界に存在すると言われながら、実際に遭遇した人間は極めて少ない伝説の種族。


「まさか...本当に存在するのですね」


マリナが畏敬の念を込めて呟いた。


竜人の青年は、深海の青よりも美しい瞳でマリナたちを見つめていた。警戒しているようでもあり、好奇心を抱いているようでもある。


「我々の聖域に、何用で来た?」


低く響く声が、魔法を通じて意味となって伝わってきた。


~~~


リヴァイア・アビサルディス。後に知ることになる彼の名前を、この時のマリナはまだ知らない。


「私たちは帝国魔素省の調査団です」


マリナが丁寧に説明した。


「この海域の魔素採掘の可能性を調査しています。あなた方に迷惑をおかけするつもりはありません」


リヴァイアの表情が微かに曇った。


「魔素採掘...」


「はい。でも、環境に配慮した方法で。前世...いえ、これまでの知識を活かして、持続可能な採掘を目指しています」


マリナの真摯な説明に、リヴァイアの警戒が少し緩んだように見えた。


「持続可能...興味深い概念だ」


「もしよろしければ、あなた方と協力できればと思います。この海の生態系を守りながら、互いに利益をもたらす方法があるはずです」


その時、背後から複数の竜人族が現れた。彼らの表情は、リヴァイアよりもはるかに険しい。


~~~


「リヴァイア様、なぜ人間と話し合うのですか?」


年配の竜人が厳しい声で言った。


「彼らは我々の聖域を汚染するために来たのです」


マリナは慌てて手を上げた。


「汚染するつもりは全くありません。むしろ、この美しい海を守りたいんです」


「守る?人間が?」


別の竜人が嘲笑するような声を上げた。


「人間は常に自然を破壊してきた。信用できるわけがない」


緊張が高まる中、リヴァイアが仲裁に入った。


「ダゴン、まずは話を聞こう。彼女の言葉には真実味がある」


ダゴンと呼ばれた年配の竜人は不満そうだったが、リヴァイアの言葉に従った。


「それでは、人間よ。お前の言う『持続可能な採掘』とは何だ?」


~~~


マリナは心の中で、前世の海洋学知識を整理した。


この世界の魔法技術と組み合わせれば、確実に実現可能なはずだ。


「まず、採掘による海底環境への影響を最小限に抑える技術があります」


マリナが水中で図を描きながら説明した。


「魔素結晶の成長サイクルを理解し、自然再生が可能な範囲でのみ採掘を行います。そして、採掘後は魔法による環境復元を施します」


竜人たちは興味深そうに聞いていた。


「それに加えて、あなた方が持つ海洋魔法の知識と組み合わせれば、より効果的な環境保護が可能になるでしょう」


「我々の魔法を?」


ダゴンが眉をひそめた。


「はい。人間の技術と竜人族の魔法を融合させれば、これまでにない新しい採掘システムが作れるはずです」


リヴァイアの目が輝いた。


「それは...確かに興味深いアイデアだ」


~~~


しかし、その時、海流に乱れが生じた。


急激な水圧の変化に、マリナたちは身構えた。


「何が起きているのですか?」


「これは...」


リヴァイアの表情が険しくなった。


「深海の古い結界が反応している。外部からの魔素干渉を感知したようだ」


竜人族たちが一斉にマリナたちを見た。疑いの眼差しが痛いほど突き刺さってくる。


「やはり人間は信用できない」


ダゴンが憤慨した。


「お前たちの技術が我々の聖域を脅かしているのだ」


「違います!」


マリナが必死に弁明した。


「私たちの調査機器は、環境に影響を与えないよう細心の注意を払って設計されています」


しかし、海底の異変は続いていた。結界の魔力が不安定になり、美しい魔素結晶が激しく明滅している。


~~~


「リヴァイア様、人間を追い返しましょう」


竜人族の一人が提案した。


「このままでは聖域が危険です」


その時、マリナの頭に閃きが走った。


前世の海洋学の知識と、この世界の魔法理論が結びついた瞬間だった。


「待ってください!原因が分かりました」


マリナが興奮して叫んだ。


「これは技術的な問題ではありません。海底の魔素流の自然な変動です」


「魔素流の変動?」


リヴァイアが疑問符を浮かべた。


「そうです。海流と同じように、魔素にも流れがあります。そして今、季節的な変動期に入ったんです」


マリナが水中で計算式を描いて見せた。


「この時期、魔素の濃度と流れが不安定になります。私たちの到着は、偶然このタイミングと重なっただけです」


~~~


リヴァイアが慎重に検証した結果、マリナの説明が正しいことが証明された。


「確かに...古い文献にも、同様の現象の記述がある」


ダゴンが渋々認めた。


「しかし、それを事前に予測できるのか?」


「はい」


マリナが自信を持って答えた。


「前世...いえ、これまでの研究で、魔素流の予測モデルを開発していました。これを使えば、このような変動を事前に予測し、採掘計画に反映できます」


竜人族たちの間に、驚きの声が広がった。


「まさか、人間が魔素流を予測できるとは」


「これは...我々も知らなかった技術だ」


リヴァイアがマリナを見つめた。その瞳には、警戒心に代わって興味と尊敬の念が宿っていた。


彼女の真剣な瞳に、聖域の守護者としての私が揺れた。これまで人間に対して抱いていた固定観念が、彼女の知識と誠実さの前で音を立てて崩れていく。


「あなたは、ただの技術者ではないようですね」


~~~


海底の異変が収まると、竜人族たちの態度にも変化が見られた。


「もう少し詳しく話を聞かせてもらいたい」


ダゴンが、先ほどとは打って変わって丁寧な口調で言った。


「あなたの技術が本当に我々の聖域を守ることができるなら...」


「ぜひとも協力させていただきます」


マリナが心から答えた。


「美しいこの海を、未来の世代まで残したいのです」


リヴァイアが微笑んだ。その笑顔は、深海の神秘的な美しさそのものだった。


「では、まず我々の住む宮殿で、詳しい話をしませんか?」


「宮殿?」


「アビス・パレス。我々竜人族の聖地です」


マリナの胸が高鳴った。伝説でしか聞いたことのない竜人族の宮殿を見ることができるなんて。


「ありがとうございます。光栄です」


~~~


アビス・パレスへの案内が始まった時、マリナは気づいた。


リヴァイアの視線が、時々自分に向けられていることを。それは単なる興味以上の、何か特別な感情を含んでいるような気がした。


そして同時に、自分自身もリヴァイアに対して、学術的興味を超えた何かを感じ始めていることに気づいた。


「この出会いは、きっと運命的な意味があるのでしょうね」


マリナが心の中で呟いた時、リヴァイアが振り返った。


「何か言いましたか?」


「いえ、何でもありません」


マリナは慌てて首を振ったが、頬が微かに紅潮していることに気づかれただろうか。


深海の青い光に包まれながら、二人は伝説の宮殿へと向かった。


この邂逅が、やがて両種族の運命を変える大きな物語の始まりになろうとは、この時はまだ誰も知る由もなかった。


海流が二人を優しく包み込みながら、新たな未来への扉が静かに開かれようとしていた。

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