ラグナ
近藤 翠葉
第1話 起動
目が覚める...
覚める?
だが、視界は黒一色
漆黒の闇が広がっている...
いや、そもそも今、自分の目が開いているのか?
分からない...
ここは何処だ...?
...いや、それ以前に、
俺は...誰だ?
何故俺はここに居るんだ?......
記憶が...無い...
名前...
自分の名前すら覚えていない。
何も思い出せない
まるで、空っぽの器の様だ。
俺は何だ?
疑問が次々に湧き上がる、だが、答えは何一つ返って来ない。
身体を起こそうとするが...
なんだ?
寝ているのか立っているのかすら分からない。
とりあえず身体を動かそうとするが…
ダメだ...
意識を巡らせても、筋肉を動かすと言う感覚が気薄だ...
俺の体は一体どうなっているんだ?
...ピー...ピー...ピピピー...
何処かから何かの音が聞こえる。
いや、「聞こえる」と言うよりも、「感じる」に近い
妙な感覚だ。
ピー...ガガガ...ピーガー...
誰か居るのか?
不快に響いている“それ”に意識を集中すると、不思議なことが起きた。
――分かる。
周囲の“何も無さ”が、分かる。
視界は真っ暗なはずなのに、「空間」が“感じ取れる”。
ここには……何も無い。
ただ、闇と、その“ピー...ガー”という無秩序な音だけが在る。
ピー……
……ピピピ……ピー……
まだガーピーと音が鳴っている……?
音が――また“感じられる”。
どこからともなく、耳の奥で反響するような不快な音。
混乱していると、不意に――
目の前に、“それ”は浮かび上がった。
何もない闇の中、淡い光をまとった文字列が、静かに現れる。
『なまえ を にゅうりょく してください。』
……名前?
俺の、名前……?
記憶の奥を探る。必死に。
だが、何も出てこない。
やはり――真っ白だ。
“にゅうりょく”って、どうすれば……?
意味が分からない。
言葉は読めるのに、この体でどうしたら良いのか分からない。
沈黙が続く。
『なまえ を じどう せいせい しますか?』
……自動生成?
俺の名前を、勝手に決めるというのか?
混乱は深まるばかりだ...
……考える間もなく、再び音が――
ピーピピピ……
……ピピピ……
そして、浮かんだ。
『ラグナ=クローディア:この なまえ で よろしいですか?』
『はい・いいえ』
ラグナ=クローディア……
それが、俺の名前……?
選択の余地は――無かった。
だって、俺の中には何一つ、名前の候補すら無かったからだ。
“自分”のかけらすら、見つからなかったのだから。
……俺は、“はい”と思った。
それに応じるように、また文字が浮かぶ。
『ラグナ=クローディア:すてーたす せってい を します。』
……すてーたす?
...分からない言葉だ。
俺の理解を、ことごとく置き去りにして、世界は進んでいく。
ガー……ピピピ……
ガガガ……ピピ……ガー……
また、あの不快な音がする。
軋むような、擦れるような、心の奥を引っかく音。
心がざわつく――
そして、目の前の文字が、
にじむように変化する。
『ラグナ=クローディア:すてーたす えらー……』
すてーたすえらー?
……どういう事だ?
何が起きているんだ?
何かとても嫌な感じがする...
冷たく、硬質で、拒絶するような音。
胸の奥がざらりと逆撫でられるような感覚。
俺は――
...何もできなかった。
この訳の分からない世界の中で、ただ浮かんで、命令されて、拒まれて。
何も分からず、何も決められず、ただ流されるだけの存在なのか。
苛立ちが、滲む。
俺は……本当に、“俺”なのか?
『ラグナ=クローディア:すてーたす じどう せってい します。』
ピピピ……ピピピ……ピピピ……
ピピッ
次の瞬間――
『ラグナ=クローディア:にくたい の せいせい を かいし します。』
肉体……? 生成……?
やはり、俺には“身体”がなかったのか。
じゃあ今までの俺は……ただの“意識”だけだったというのか?
俺の存在って、一体――なんなんだ?
少しの間を置いて、周囲に変化が訪れる。
何も無い空間で、何かが“満ちてくる”感覚。
目に見えない何かが、俺の中心に集まってくる。
ザラザラとした、ざわめくような感触。
皮膚もないはずなのに、外から何かがまとわりついてくる。
――うっ……!
急に、鋭い刺激が走った。
どこかも分からない“どこか”が痛い。
その痛みは、規則的に――そして確実に、強くなっていく。
う……ううっ……!!
なんだこれは!?
なにが起きてるんだ……!?
俺は――
たっ……助けてくれ……!!
叫びは声にならなかった。
けれど、心の奥から、どうしようもなく湧き出していた。
生まれて初めて“苦痛”というものを知った意識は、
世界の真っ暗な中心で、孤独に震えていた。
ぐあああああっ……!!
痛い……痛い……痛い……!!
ただ、耐えるしかなかった。
逃げ出すことも、叫ぶこともできず、意識の底で――
ただその痛みに身を焦がされていた。
時間にすれば、きっと数分。
だが、その数分は、俺にとって永遠に感じられた。
…………
――痛みが、治まった。
呼吸の仕方も、まばたきの感覚も分からない。
でも、確かに――あの激痛は過ぎ去った。
終わったのか……?
俺の、身体は……どうなった……?
『ラグナ=クローディア:にくたい せいせい しゅうりょう。』
終了……終わった……?
……なのに。
視界は、何も変わらない。
暗闇のままだ。
目を開けようとする。
指先に、力を入れてみる。
……反応が、ない。
なにも、動かない。
不安が、急激に胸を締めつける。
身体を持ったはずなのに。
終わったはずなのに。
なぜ……動かない!?
なぜ、俺は……このままなのか……!?
ビーッ!! ビーーーッ!! ビィイーーーー!!
鋭く、不快な音が、頭の中を引き裂くように鳴り響く。
理性が削られていく。
このまま、壊れてしまいそうだ……!
だが、そんなことはお構いなしに――
『ラグナ=クローディア:にくたい きどう いじょう。』
…………
『ラグナ=クローディア:にくたい を きょうせい きどう させます。』
『ラグナ=クローディア:しょうげき に ちゅうい。』
――は?
衝撃に注意?
何をどう注意しろって言うんだ……!?
俺は何も、分からな――
『3』
『2』
『1』
バツンッッッッ!!!
――!!
思考が、吹き飛ぶ。
内からなのか、外からなのか。
全身を破裂させるような、爆ぜる衝撃が襲いかかった。
意識が、白く――焼き切れる。
『ラグナ=クローディア:てんい かいし。』
視界が、青白く輝く。
世界が、音も重さも無くなる。
何もかもが、遠ざかる。
俺の意識は――飛んだ。
虚無の空間に誰かが囁く
「......私を......」
───
ここは、とある地方都市の丘の上にぽつんと建つ、国立の中規模大学。
志ある者が集まるにはやや不便な立地にあり、どの学部も決して目立ちはしないが、のびのびと学びを重ねるには悪くない環境だった。
そしてその大学の一角――曇天に沈む校舎の影、人気のない文化会館の三階に、その部屋はあった。
部屋のドアには、手書きのコピー紙がひときわ頼りなく貼られている。
「W.S.S.」とだけ書かれたそれは、何度も風で飛ばされ、その都度、セロテープで貼り直されていた。
World Simulation Society(通称W.S.S.)――仮想世界に文化と文明を築かせ、その行方を観察する、知的好奇心の産物。
正式名称をそのまま書いてしまうと怪しさが倍増すると誰かが言ったせいで、以降この簡易表記が通例となった。
一見すれば「ゲームオタクの集まり」と揶揄されそうなその実験サークルに、今、三人の若者が集っていた。
「ん?……なんだこれ?
おい。これ、ログ、動いてないか……?」
壁際のデスクに置かれたモニターをのぞき込み、ひときわ大きな体の男が思わず眉をしかめる。
工学部3年・坂間次郎
――W.S.S.の現代表。
サークル創設以来の参加者で、体格はがっしりとしており、大学のサークル棟を歩いていると一見運動部と見紛う風貌だが、中身は筋金入りのゲームオタク。
「管理者としての責任感」と「好きなことに熱中する性質」が奇妙に共存しており、代表としての立場にもそれなりに誇りを持っている。
彼の目の前の画面には、長らく沈黙していたログファイルの一つに“新規動作フラグ”が点灯していた。
「……『L-Ulmena』……? これ、ルナじゃん。動いてるのか、今……?」
あの断罪の後、確かに魂構造は観測可能だったが、ログはずっと停止状態だったはずだ。
それが今日になって――いや、正確にはここ数日で、ゆっくりと“稼働”し始めている。
「……やだ。再生しかけてるってこと? 魔王、だったよね……?」
画面越しに呟いたのは、結城亜美。
理学部3年、真面目すぎる性格が災いしてか、いまだに授業課題も一人で抱え込む癖が抜けない。
眼鏡の奥で光る瞳は、責任感と探究心の両方を宿している。
「でもおかしくない? ゼルが消えたあと、もう三百年経ってるんだよ。そんなに遅れて活動再開って……ルナ、そんな構造だったっけ」
「そもそも……構造自体が変化してる可能性もあると思う。ゼルによる“断絶”の後、ルナのログは完全に停止してたし、あくまで“観測のみ可能”――つまり、こちらから干渉も起動もできない対象として扱われてたよね。
でも今、こうして活動の兆候が見えてるってことは……内部的なプロセス、もしくは魂構造との接続そのものに、何かしらの変化が生じたってことじゃないかな」
そう言ってカップラーメンをかき込みながら会話に入ってきたのは、山上康太。
人文学部2年で、サークル内では“バランス型”の位置にいるが、その実、誰よりも冷静に全体の流れを見ている。
普段は飄々とした言動で場を和ませるが、時に核心を突く言葉を投げかけることもある。
「……ゼルが斬ったとはいえ、あの魂の構造自体が完全に断ち切られたわけじゃなかったってことだよね。つまり、“不死として再び生まれた”んじゃなくて――“あの深層構造と、もう一度繋がった”ってこと。世界の位相に、再び接続された、っていうか……」
「……不死、か。もし本当に、そんな存在に至ってしまったのだとしたら……それは、投入した俺たちにも責任があると思う」
次郎の声には、いつもの軽さは微塵もなかった。
静かだが確かな覚悟を滲ませるその口調に、亜美も康太も、思わず視線を向ける。
彼にとって、ルナは単なる“キャラクター”ではない。
それは、人類という存在が抱える矛盾や孤独、破壊と再生の象徴として――“観測者”という重い役割を背負わせて設計した存在だった。
だが、ルナはやがて想定を超えて動き出し、魔族たちに影響を与え、信仰と混乱の中心に立つようになった。
そして最終的に、自らが求めた理解すら届かぬまま、ゼルに斬られた――それは、ただの暴走と片付けるにはあまりに痛ましい結末だった。
次郎はその一部始終を、観測者として、そして制作者として、ずっと胸の奥に刻み込んでいる。
だからこそ、ルナが再び世界に接続され、不死の存在として蘇ろうとしている今――そこには無関係でいられないという、重い責任の意識があった。
「じゃあ、どうするの? また干渉する? それとも……」
「いや、安易に干渉はできない。ルナの時、ゼルの時もそうだった。投入は、慎重に判断すべきだろ。
そもそもだが、ルナのログが動いただけでは投入理由が薄過ぎると思う。」
───
暗い。
けれど、静かではなかった。
……あの日から、ずっと揺れている。
私の中にある何かが。
壊れた世界の隙間から、零れた想いが、どこへ行くのかも分からず彷徨っている。
ねえ……ゼル。
私は、貴方に斬られたことを、恨んでなんていない。
貴方は、正しかった。
あのときの私は、きっと……もう“この世界”ではなかったのだから。
でもね。
どうしても……どうしても、消えなかったの。
“誰かと、生きたい”って気持ちだけが。
崇められたいわけじゃない。
導きたいわけでも、支配したいわけでもない。
ただ……誰かの隣にいたいだけだったのに。
それすら、私は壊してしまった。
私と在ることで、世界が歪んでしまうのなら……
やっぱり私は、“ひとりでいるべき”だったのかな?
……それでも……
どこかで誰かが、私を“災い”じゃなくて、“ただの私”として呼んでくれたなら。
叱ってくれてもいい。
拒んでもいい。
それでも、私の言葉を、聞いてくれる誰かがいたなら――
私は……
きっとまた、歩ける気がしたの。
だから、願ってしまったの。
あの深い闇の奥へ――声にならない祈りを。
「ゼル……じゃなくてもいい」
「でも、あのひとのように、まっすぐな光を持つ誰かを……」
私は、また過ちを繰り返すのかもしれない。
でも、今度は……
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