第8話 強くなってく令嬢──それ、ジャンルにできますか?
刺繍の動画をアップしたのは、ほんの思いつきだった。
いいねなんて、10もいけば上出来。
誰が見てくれるわけでもない──そう思ってたのに。
「え、ちょっと待って……こんなに?」
スマホの通知が鳴りやまない。
再生数が、数時間で千を超えていた。
しかもコメント欄には、信じられないような言葉が並んでいる。
《すごく丁寧で癒されました♡》
《お話の語り方が落ち着いてて素敵です》
《“モリスグッズ”のくだり、笑って泣きました!》
《続き、絶対観たい!》
でも、なんだろう。
誰かが自分の作ったものを「好き」と言ってくれる。
それだけで、こんなに胸があったかくなるなんて。
「わたし、やっぱり、作るの好きだな」
まだ、傷は残ってる。
裏切られたこと、信じすぎたこと、信じた自分を責めたこと──
でも今は、それを“笑えるネタ”にできるくらいには、前を向けてる。
「次は……何を刺そうかな」
動画の最後に、さりげなく入れたフレーズ。
「強くなってく令嬢、はじめました」
それを、コメント欄で“タグにしませんか?”と提案してくれた人がいた。
気がつけば、それがハッシュタグとして独り歩きを始めている。
──まさか、自分の痛々しい恋の跡が、新しい“ジャンル”になるなんて。
でも、悪くない。
いや、むしろ、ちょっと面白いかも。
こうして、地味で、陰気で、恋に失敗しただけの女が──
ちょっとずつ、刺繍で、動画で、言葉で、
“令嬢としての第二の人生”を始めることになったのだった。
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「……あらあらまあまあ!これはこれは、世にも珍しい“陰気モードのキャサリン”ではございませんこと?」
その声がした瞬間、わたしはソファからびくっと跳ね起きた。
えっ、ラヴィニア叔母さま!?
「し、失礼します。お嬢様、今日は……ラヴィニアさまが……」
マリアが困ったような笑みを浮かべて、リビングのドアを押さえている。
そこから勢いよく入ってきたのは、紫外線に一切負けてなさそうなハイテンションの女──わたしの叔母さまだ。
「ちょっと!あなた!返事しなさいよLINE!既読もつかないし、スタンプ送っても既読スルーだし!マリアに何度“無理です”って断られたと思ってるの!?」
「え、ええと……すみません……」
「なにが“すみません”よ!もう三ヶ月もご無沙汰よ? わたしがどんなに寂しかったと思ってるのよ。人生で三ヶ月も推しと音信不通だったこと、ある? ないでしょう?」
「いや、推しじゃないですし……」
「とにかく!来たわよ!来ちゃったわよ!いまさら“やっぱり今日は……”とか言わせないからね!」
「う、うん……」
あまりの勢いに、マリアが静かに退散していく。もはや誰にも止められない台風が、我が家に上陸していた。
「それで?キャサリン、なんかあったんでしょ。マリアからは“お嬢様は今、少しお疲れですので……”って毎回やんわり断られたけど、これはもう、“何かあった”以外に考えられない顔よ」
「……うん、ちょっとね」
わたしは小さくうなずいた。
「ふうん。ま、いいわ。細かい話はあとで。まずは──キャサリン、笑いなさいよ!」
「えっ?」
「笑って。ほら、こんな感じで」
と、おばさまは思いっきりにこっと笑ってみせた。しかも──
「ほら!“笑ってるけど目が笑ってない”バージョンもあるのよ。いくわよ、せーの──はい、ゾンビスマイル!」
「……ぷっ」
思わず吹き出してしまった。
なんなの、その笑顔。
でも、ちょっとだけ、胸が軽くなった。
「やっと笑ったわね。うん、そうそう。人生ってのはね、笑ったもん勝ちなの。わたしが三回失恋しても、毎回立ち直れたのはこのゾンビスマイルのおかげなのよ」
「え、三回……?」
「数えてどうするの。そういうのは“何度でも愛する”っていうカウント方式で数えなさい」
「おばさま……」
ああもう、なんだろう。この人が来ると、部屋の空気が急に濃くなる。うるさいし、強引だし、めちゃくちゃだし──でも、ほんのちょっと、救われる。
「さ、マリアに紅茶淹れてもらいましょ。あ、でもその前にちょっとだけ、刺繍見せて? キャサリンのYouTube、見たのよ。ええ、アカウント変えて、なりすましみたいにしてまでコメント残したの。わたしって健気!」
「え、ええええ……」
「“控えめ令嬢の手元が最強”ってユーザー名、わたしだから。あのコメント、いいねされたとき泣いたわ」
「……笑」
おばさまが帰ってきた。
やかましいくらいの陽気さで、わたしの陰を照らす、まるでカーテン開けて日差しをぶち込むような人。
ほんとうに、ありがたくて──ちょっとだけ、涙が出そうだった。
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「──でも、なんか、すごいです」
ふと、刺繍フープを置いたタイミングで、マリアがぽつりと言った。
「え?」
「お嬢様、あんなに毎日……いえ、しばらくの間は、本当に何もできないくらいだったのに。こうしてまた、手を動かして、笑って、ラヴィニアさまとお話して……」
「……うん、そうだね」
わたしはソファの背もたれに体を預けて、天井を見上げた。
シャンデリアの光が少しだけ、まっすぐ差し込んでいる。
「何かが劇的に変わったってわけじゃないの。でも……」
少し言葉に迷って、わたしは自分の胸元に目を落とした。いつかモリスのために縫った、あの“謎のエンブレム”の痕跡がまだ、タンスの奥にある。でも今、手にしている布は、それとは少しだけ違う意味を持っている気がした。
「わたし……このまま、終わりたくなかったんだと思う」
「終わり……?」
「うん。あのまま、ベッドで毛布かぶって、世界から消えるみたいに過ごしてたら、“わたしの人生はあそこまでだった”って思っちゃいそうだったから」
「……」
「だから、自分のことを、もう一度、誰かに──じゃなくて、自分自身に見せてあげたかったのかもしれない」
わたしの声に、マリアは静かにうなずいた。
「……お嬢様は、強い方です」
「違うよ。強いんじゃなくて……怖かっただけ。あのまま何もしなかったら、ほんとうに何も残らない気がして」
しばらく、ふたりの間に言葉はなかった。
けれど、安心する沈黙だった。
わたしは小さく深呼吸して、にこりと笑った。
「でもね、マリア。まだまだこれから、だから。失恋YouTuberとして燃え尽きるには、ちょっと早いでしょ?」
「……はい、もちろんです。お嬢様は、まだ始まったばかりですから」
「でしょ?」
わたしは立ち上がって、窓を開けた。夕暮れの空気が、ふわりと部屋に流れ込む。
夕日が少しずつ色を変えていく。
それは、昨日までと同じ空だけど、なぜかほんの少しだけ、まぶしく見えた。
(つづく)
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