最終話 夜明けの約束

 ​列車がアンタレスの赤色巨星に到着した時、そこには駅も、ホームもなかった。


 二人は、燃え盛る巨大な炎の中心に、静かに立っていた。空も大地もすべてが深紅に染まり、熱い空気が陽炎のように揺らめいている。それは、すべてを焼き尽くし、偽りを許さない、真実の火が支配する空間だった。


​「ここは、終着駅であり、始発駅でもあります」


 いつの間にか隣に立っていた黒いスカーフの青年が、これが最後の案内だと告げるように言った。


「真実の火がすべてを灰にし、そして、本当に、本当に大切なものだけを残す場所。さあ、目をそらしてはいけません」


 ​その言葉を合図に、二人の目の前で、再びあの光景が始まった。


 土砂降りの雨。公園の滑り台の下。傘をさして震える幼いミオと、高熱で顔を赤くし、苦しそうに息をするハル。今度は、ただの幻影ではない。二人は、あの日の当事者として、その場所にいた。


 ​ゴロゴロと、空が不気味に鳴る。幼いミオの心が、恐怖に支配されていくのが、現在のミオにも痛いほど伝わる。帰りたい。怖い。この場所から逃げ出したい。


​「……ミオちゃん、大丈夫だよ」


 幻影の中のハルが、今度ははっきりと聞こえる声で言った。


「先に、帰ってて。僕は……平気だから。また、明日ね」


 その優しさが、千本の針となってミオの心を刺した。明日なんて、来なかったじゃない。あなたのせいで。あなたのせいで!


​「いや……!」


 ミオは、過去の自分と同じように、踵を返して逃げ出そうとした。


 しかし、その腕を、強い力で誰かが掴んだ。コウだった。


​「だめだ!」


 コウの声は、炎に負けないほど力強かった。


「もう、逃げるな、ミオ!」


 ​コウの心にも、怒りと悲しみが燃え盛っていた。苦しそうな親友の姿。彼を見捨てようとしている少女。けれど、彼は同時に見ていた。恐怖に震え、自分を責め続けるミオの魂を。何もできずに、ただ大切なものが去っていくのを見ているしかなかった、かつての自分を。


 過去を変えるためにここにいるのではない。


 現在を、未来を、変えるためにいるのだ。


​「僕が、ここにいる!」


 コウは、幻影のハルではなく、隣で泣きじゃくる現在のミオの手を、両手で強く、強く握りしめた。


 ​その温かさが、ミオに最後の勇気を与えた。


 彼女は、逃げ出すのをやめ、振り向き、初めて、ハルの幻影と真正面から向き合った。


​「―――ごめんね、ハルッ!!」 


 そして、あの日の自分が、どうしても言えなかった言葉を、涙と共に叫んだ。


「私、怖かったの! 本当は、ハルと一緒にいたかった! 傘が小さくても、濡れても、ずっと一緒にいたかった! 怖くて、逃げちゃって、ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい……!」


 ​懺悔の言葉が、アンタレスの炎に響き渡る。


 すると、苦しそうだったハルの表情が、ふわり、と穏やかな微笑みに変わった。それは、コウのよく知る、いつもの優しいハルの笑顔だった。


​『―――知ってるよ』


 ハルの声が、心に直接響いた。


『ずっと、待ってた。ミオちゃんの、その言葉を。……もう、いいんだよ。ありがとう、コウ。僕の、たった一人の親友』


 ​その言葉と共に、ハルの姿が、そして雨の公園のすべてが、まばゆい光の粒子となって空へと昇っていく。ミオの罪も、コウの後悔も、その光の中に溶けていくようだった。


 ​燃え盛るアンタレスの炎が、ゆっくりと鎮まっていく。


 深紅の光は、やがて穏やかな朝焼けのオレンジ色に変わり、気づけば二人は、いつもの見慣れた電車の中に座っていた。


 ​コトコトと、心地よい揺れ。窓の外には、夜が明け始めたばかりの、静かな街並みが広がっている。銀河鉄道の旅は、終わったのだ。


 ​二人は、向かい合って座っていた。言葉はない。


 ミオの頬には涙の跡が残っていたが、その表情は、嵐が過ぎ去った後の湖面のように、静かで、澄み切っていた。コウの心にも、温かい光が満ちていた。


 やがて、どちらからともなく、二人は小さく微笑み合った。


 ​電車が、地元の駅に到着する。


 プシュー、とドアが開き、夏の朝の、少し湿った空気が流れ込んできた。ペルセウス座流星群が流れた夜は、もう明けていた。


 ​二人は、一緒に列車を降りた。


 ホームに差し込む朝の光が、新しい一日の始まりを告げている。


 ​コウとミオは、並んで歩き始めた。


 まだ、何も約束はしていない。けれど、二人の歩幅は、不思議なくらいに揃っていた。


 彼らの本当の旅は、そして、ほんとうのさいわいをさがす物語は、今、この光の中から、静かに始まろうとしていた。

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