第7話 記録書 <<レコルド>>


 男三人の会話がふいに途切れる。

その静けさを破るように、熊澤の声が響いた。


「……ねぇ、そろそろ先に進めたいんだけど?」


 雨木は一瞬、返事を迷った。

自衛官の二人と話し込んでいる間、彼女はずっと一歩下がった位置で待っていたのだ。

無視していたつもりはない。ただ、“ノービス”だと聞かされて、どう声をかければいいのか分からなかった。


 ヤマタと鏑木が「悪い悪い」と軽く頭を下げ、熊澤の後ろへ下がる。

彼女は小さく息を吸い、表情を引き締めた。


「――まず、本日ここで行われたのは、“ダンジョン入場資格”の取得試験です。

 名目上は研修という形でしたが、実際には――いわゆる冒険者免許。その資格を得るにふさわしいかどうかを確認するための試験を行っていました。

 ――その合否は、『ダンジョンに気に入られるかどうか』で決まります」


 その声は、ダンジョンの壁に吸い込まれるように静かだった。


「空間酔いの症状がどれほど重くても、“現象”が起きれば合格扱いになります。

ですが、実際は命に関わるので、先に検査を行い、発症者は即退場となります」


 淡々とした説明の中に、わずかな重みがあった。

 雨木は無意識に頷きながら考える。――もし自分が“酔う側”だったら、素直に従えただろうか。


「空間酔いを起こす方ほど、納得していただけないことが多いんです」


 熊澤の声には、かすかな疲れがにじんでいた。

 案内役としてノービスが配置されるのも、そうした理由だという。

 適性持ちを置いた結果、現場で無理に収拾しようとして被害が拡大した例が、過去にいくつかあった。

 その反省から、今では“適性のない女性警官”が担当している。


「外では、複数の警察官と自衛官が緊急事態に備えて待機していました。

……私が――呼びに行くような事態にならなくて、本当に良かったです」


 熊澤が小さく笑った。

その笑みは一瞬だけ柔らかかったが、すぐに職務の表情に戻る。

雨木も、胸の奥で同意する。――余計な口を挟まなくて良かったと。……だが。


「それはそれとして、女性警官でも、多少は対処できるんじゃないですか?」


 背が高くて姿勢も崩れない熊澤を見ていると、そう思えてしまった。

気づけば口に出していた。言ってから、あ、やったな、と思う。

熊澤の表情は変わらない。けれど、空気が一段冷えた。


「……ノービス。ダンジョンに認められた者と、そうでない者。その差は、非常に大きいです」


 冷静な声に、確かな自負があった。

熊澤は背筋を正し、真っすぐ雨木を見据える。


「では、それを説明します。――雨木さん、どちらの手でも構いません。手のひらを上に向けて、こう言ってください。

 『書を解放せよグラン・レコルド』と」


「えっ……俺が、言うんですか?」


「はい。発音をはっきりと。『書を解放せよグラン・レコルド』です」


(いや、どう見ても中二病の呪文だろ……美人に真顔で言われると余計にツラいもんがある)


 雨木は思わず視線を逸らした。

この四人の中では多分、自分がいちばん年上だ。だから余計に堪える。

そんな彼の前に、ヤマタが一歩進み出た。

装備の金具がかすかに鳴り、空気が張り詰める。


「見た方が早いな。『書を解放せよグラン・レコルド』」


 次の瞬間――手のひらの上に、黒い書物が現れた。

 分厚い表紙が淡く光を帯び、宙に浮かんでいる。

 あり得ない光景なのに、目が離せなかった。


「なっ……!」


声が漏れる。幻術にでもかけられたのだろうか、そんな錯覚を覚えた。


「ま、アマギが信じられない気持ちも分かるけどな。

それじゃ俺も――『書を解放せよグラン・レコルド』」


 鏑木が片手を掲げると、彼の掌にも黒い本が現れた。

分厚い影が淡く光を帯び、宙に浮かぶ。

二人の手に、それぞれ一冊ずつの黒い本が漂っていた。


 驚きで言葉を失った雨木に、三人の視線が向けられる。――次はお前の番だ、と。


「……はいはい、やりますよ」


 雨木はため息をつき、右手を掲げた。


「――『書を解放せよグラン・レコルド』!」


 声がダンジョンの壁に反響する。我ながら痛々しい。


 だがその直後、掌の上の空気が震えた。

光が滲み、形を結ぶ。黒い表紙、厚い背。――本だった。


「うわっ……なんか出た!?」


 驚きで声が裏返る。

浮かぶ本は確かに“在る”。ただ、誰の手にも触れていないのに、そこに留まり続けていた。


 熊澤がわずかに口元を緩め、すぐ真顔に戻る。


「それが、“記録書レコルド”です」


「それは“ダンジョンに認められた者”のみに現れ、“記録書レコルド”と呼ばれています。

正式には“スキル・“記録書レコルド”。

スキルカードを差し込むことで、能力の発動や強化ができるようになります」


 彼女の声音はどこまでも落ち着いていた。


「この本は、ダンジョンの内外を問わず『書を解放せよグラン・レコルド』という言葉で呼び出せます。

ですが、推奨される使用場所はダンジョンおよびダンジョン省の関連施設のみ。

公の場で不用意に出すと、最悪の場合、命を狙われます」


「命を……って、そりゃ大げさすぎ――」


「冗談ではありません」


 熊澤の返答に、ヤマタと鏑木も無言で頷いた。その目が真剣だった。


「“記録書レコルド”の発現率は、およそ三割。

しかし――それよりも重要なのは、その後です」


 熊澤の声が落ちる。


「出現させた状態で死亡した場合、そのレコルドは残ります。

最初に触れた者に継承されるんです。

逆に、出していなければ、何も残らない。だからこそ、狙う者がいる」


 静寂が落ちた。

湿気の中で、心臓の音だけが鮮明に聞こえる気がした。

背骨の奥を氷で撫でられたように、冷たい感覚が這い上がる。


――鼻血で終わりなんかじゃなかった。

ここからは――常に誰かの視線を気にして生きることになる。


「それでも、あなたは資格を得ました。誇ってください」


 熊澤が静かに笑った。

その声は穏やかで、どこか温かかった。


 雨木は返す言葉を見つけられず、ただ浮かぶ本を見つめた。

黒い表紙が、ほんの少しだけ光を揺らしていた。





※本作は作者による構成・執筆を基に、一部AIを補助利用しています。

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