お今日ちゃん
日が昇るといつものルーティンを終え、ソファーでブラックコーヒーを飲んでいる。
昨日の地震は、ただ事ではなかった。
家の中を一巡したが、目立った損傷はない。
ただ、洗面台のコップと歯ブラシが床に転がっていたくらいだ。
道場では、三体は昨日と同じ姿勢で座っていたものの、わずかに位置を変え、剣立てから何本かの剣が飛び出していた。
大したことではない――ツリーハウスの設計が正しかった証明にすぎない。
今日は、このまま静かに過ごそう。
テーブルの椅子に『お今日ちゃん』が首を垂れ、じっと座っている。
まだ始動は掛けていない。
日の出前、部屋をかすかに揺らす余震があった。
目はすぐに覚めたが、東の窓がまだ薄暗かったので、もう一度布団にもぐり込む。
まどろみに沈みかけた頃――さっきよりも深く、地の底から突き上げるような揺れ。
「……お清さ〜ん……あとでねぇ〜……」
そんなやりとりの後は、驚くほど深く眠れた。
「以心伝心」――「トリプルフォー、始動」
「お清さん、お今日ちゃん。おはよう」
「おはよう!」
今日は驚かないらしい。
声はひとつにまとまって響く。
予想では、もしかすると二つが共鳴して聞こえるかもしれない…と思っていたが、その不安は消えた。
「お清さん! お今日ちゃんに話し掛けるね」
「お清さんは理解した」
……えっ、知ったじゃないの? そっか、ダイヤモンドアイでアップデートしたのか。
山の主もそうだった。人や生き物の発する言葉や思考を読み取り、理解し、覚える――なんせ精霊なのだから。
『お清さん』も、ただ他者との触れ合いが少なかっただけだ。
今はアップデートスキルも効いている。
「名前の意味も理解したわ……ありがとう」
「OK! お今日ちゃん、調子はどう?」
「……調子は……まだよくわからないわ。……昨日の今日だし……」
――昨日の今日、か。いいねぇ、そんな言葉を使うのか。
「そうだよね。今日は一緒に鍛錬しようか」
「はい! 承知!」
――いいねぇ……
「立てる?」
「まだ覚束ないわ」
「ゆっくりでいいよ。『風』魔法を使う時みたいに、気の流れ――ククノチの樹気を少しずつ流し込むみたいに……」
「そうね」
ゆっくりと立ち上がり、こちらを振り向く。
そして、ハンドサインのグッドが出た。
「道場行ってみる?」
「うんっ! 行ってみたい!」
寝室を出て、螺旋階段を降りる。
踏むごとに足裏に伝わる木の温もりが、少しずつ鍛錬の気配に変わっていく。
『お今日ちゃん』も同じリズム、同じスピードで付いてくる。
「そういえば、『風』魔法のほかに、どんな魔法が使えるの?」
「うぅ〜ん……」
――悩むポーズまで覚えたのか。傀儡に意思が入れば最強、いや、精霊そのものだな。
「『風』、『土』、『水』、『光』、『命』……それぐらいかなぁ〜」
命……その中に治癒魔法、意思疎通、以心伝心が入るのか。
再生だけでなく誕生、死……植物界限定かもしれない。
『凝視』『瞬足』『瞬移』――これはまた別の系統だろう。
「へぇ〜……すごいね」
『お今日ちゃん』を改めて眺めると、作り込みすぎた感がじわりと込み上げる。
ツートンカラーのメイド服、その中にピンク色にぷるりと艶めく唇――女性らしさはもはや疑いようがない。
「あっ、そうだ、ちょっと待ってね……うぅ〜ん……」
「ヘッドドレス トリプルエックス」
白レースのヘッドドレス、ホワイトブリム種。サイズは並。ゴスロリのように大げさではない。
耳の上に、唇と同じ色のリボンを左右ひとつずつ結びつける。布地が指先で柔らかく鳴いた。
「お今日ちゃん、ちょっといい?」
「なにぃ?」
背後に回り、そっと肩越しに視線を落とす。
「少し屈んで……」
「かがむ?」
「うん、屈伸して、後頭部が俺の胸あたりで止めて」
一度振り向いて胸の高さ。
――おっと、うさぎ跳びみたいにぱっと返したな。
もう一度、同じ動きで逆向き。
耳も……あった方がいいのか?
ホワイトブリムなんて、自分で着けるのは初めてだ。
『お今日ちゃん』の顔を見つめながら、指先で髪をすくい上げる。
前髪……いや、ハチマキじゃない。
ツインテールの前を通し、耳の上を抜けて後頭部へ――カチューシャみたいに回し込む。
縛りを少し強めにしておく。暴れても外れないように。
「はい、できた」
「これ、なぁに?」
「えっと……人間の正装。ある部族の装いで、かわいいんだって」
「かわいい?」
「う〜ん……ちょっと外に出ようか」
玄関のポーチから軽く飛び降りる。
『お今日ちゃん』も続けて飛び降り――まだ着地が危うい。
咄嗟に両脇を抱えて受け止め、そのまま地面に着地させた。
「『お清さん』の視点で見てみな」
『お今日ちゃん』は『お清さん』を見上げ、くるりと回る。
今度は逆回転、ゆっくり回ったかと思えば、ピョンピョンと跳ねて幹へ近づき、こちらを振り向いた。
「かわいい〜、かわいい〜を知った!」
跳ね始めた、その瞬間――余震。
グラグラと小刻みに揺れる。
「知った! 良かった! 地震は止めて『お今日ちゃん』!」
揺れは震度3ほどで収まり、胸を撫で下ろす。
「かわいい?」
「うん、かわいい」
ふと、震度1ほどの揺れが伝わる。
――言葉のイントネーションも、もう使いこなしているな。
「よかったね」
「うん、よかった……かわいいねっ、やったねっ」
再び、くるりと回った。
「1号、2号、3号、始動」
玄関が音もなく開き、3体が一斉に飛び降り、横一列に並んだ。
「強いよ」
お今日ちゃんは傀儡たちの頭、胴、腕、脚――順に眺め、手のひらで確かめるように触れる。
「トリプル1、2、3、設定!」
……興味津々の眼差し、などというものは無い。
整った顔立ちと、ぷるんと艶めく唇だけがこちらに向く。
当たり前だが、表情は動かない。
「今日から仲間になった『お今日ちゃん』だ。よろしく頼むね」
3体は微動だにせず――いや、戦いの時に交わす一礼、「オスッ」。確かに一瞬、そう見えた。
『お今日ちゃん』は動かない。
……まあ、そうだろうな。
「新しいルールね。『お今日ちゃん』と戦うときは――」
『お今日ちゃん』の横に歩み寄り、スカートの裾を軽く手繰り、上から手刀を入れてストンと落とす。
「こういうふうに服を切ったり、パンチ、キック、タックルを当てるのはダメ」
「大丈夫だよ。『お今日ちゃん』も一緒に遊びたいわ」
……ふむふむ。いつも見ていたからな。動けるようになれば、一緒にやってみたいか。
「よっしゃ――お洋服を汚すのも、駄目」
「さっきみたいに、洋服スレスレの攻撃は意図的に避けること。
ただし、決まるという打ち込みはしっかり打ち抜いて良い」
……これくらいは出来るだろう。
「レベル付けをする。1号、立って」
1号が立ち上がる。
「その辺…」
指示に従い、1号が少し離れた位置に立った。
「シャドーボクシングと総合格闘技シャドーを、一番遅い動きで」
ゆっくり――本当にゆっくり。蠅が止まるというのは、このことだ。
「少しスピードを上げて。少しずつ…」
やっとラジオ体操くらいの速度になった。
「ストップ!」
上段蹴りの膝が上がった位置で、1号が静止する。
「みんな、これがレベル1だ。――はい1号、また少しずつシャドーのスピードを上げて」
1号のワン・ツーが、じわじわと速くなる。
風切り音が混じり始めたところで――
「ストップ! みんな、これがレベル10ね。……1号、そのまま続けて」
素人が普通にケンカするくらいの速さだ。
回転、パンチ、キック。スライディングからの前宙、そしてバク転――ひとつひとつの回転が加速し、等身大の敵を倒せる速度に乗ったところで、
「ストップ! レベル20。――1号」
レベル20を超えると、さらに加速する。
パンチの1-2-3-4が一本の残光に重なり、一撃に見え始めた瞬間――
「ストップ! レベル30」
さらに速度を増す。
パンチ1-2-3、キック1-2。飛び回し三段蹴り――空中戦の高度が3メートルほどに達したところで、
「ストップ。レベル40」
もはや、裸眼では追えない速さだ。
ジャンプの踏み込み直前、一瞬だけ残像が見えた。
足を止めての打ち合いでは、ぼやりと人影が揺らぐ。
数メートル先、向こうに、こっちに、あっちに――土埃だけが立ち上っていく。
「ストップ、レベル50。ハイ」
もう、視界にあるのは土埃だけだ。
『お今日ちゃん』が腕を上げ、拳をぎゅっと握る。顔が小刻みに動き、頭の中に声が響いた。
「レベル50やりたい!!」
横目で『お今日ちゃん』を見つつ、
「ハイ、ストップ! レベル60ね。ハイ、1号」
『お今日ちゃん』のかかとがふわりと上がり、小刻みなジャンプに変わる。
1号と交互に視線を送る間にも、
「ストップ、レベル70。――次!」
『お今日ちゃん』はもう止まらない。
飛び跳ねているのか、飛び跳ねていないのか――震えるほどの速さで、もはや貧乏揺すりのようだ。
……うん、余震? 肩に手を置き、「だめだよ〜」と顔を振る。
震度1ほどの揺れは止んだが、拳は握ったまま。
1号は上空で、コマのような回転速度で蹴りを連打。
上空から勢いを付けて地面に着地すると、すぐさま回転ジャンプへ。
再び宙でシャドー、回転、シャドー――その動きは途切れない。
「はい、レベル80、次!」
あちらこちらに立つ土埃ではない。
地上1メートルほどの土埃が、目の前一帯に帯状となって広がっている。
小さな竜巻だ。
その中で突然、煙が山なりに吹き上がったかと思えば、スパッと切れ落ちる。
『お今日ちゃん』の拳が解け、ぼんやりと立ち尽くす。
もう、ダイヤモンドアイで追っているのではない――顔の小刻みな動きは、完全に消えていた。
「ストップ、レベル90」
1号が数メートル地面を滑りながら突然に目の前へ現れた。
「1号、レベル90から昨日の鍛錬の速さ・・再現して、ハイ!」
1号が目の前から消える。
土埃が小さいのや、やたら大きいのが立ち
「ストップ、レベル95」 ここからは未知の領域だ。
「助走付けていいからパワーMAXで飛んで、回転は地面スレスレまで何回転出来るか試して、
シャドーは1000発1セットで打ちまくり、蹴りまくり、回転技も入れて地面では地表回転、寝技も入れたバーリトゥード、
腕がチギれても良いし、足がモゲてもいいし、首が飛んでもいいからフルパワーね!ハイっ!」
ドスン――凄まじい衝撃音の直後、キィーンと金属めいた甲高い音が、ドップラー効果で耳を抜けた。
土煙の中、小さな竜巻が二つ、やがて四つと増えていく。
埃は広範囲に舞い上がり、身長をゆうに超える高さだ。
無詠唱のまま『凝視』を発動。
「おっと、ストップ!」
突然、1号が目の前に現れた――が、立ち姿がわずかにおかしい。
右の大腿骨あたりで足が伸びきらず、腰が落ちている。
左肩もわずかに下がっていた。
肩から腕、股関節から膝、そして腰へと手を走らせ、状態を確かめる。
「やっちゃったな。ゼロコンマ3、遅かったね……」
確かに止めるのがほんの一瞬遅れた。
だが――まあいい。治すから。
「今のがレベル100。……1から100までを100分割。レベル1、2、3、4、10、15、20、──56、78……そんなふうに数字を言うから、その単位で出力を調整するんだ。
日々の鍛錬でアップデートしたら、レベル90も上書きしてくれ」
動作レベルのルール付けが完了する。
「合図は……2号、3号も立て」
2号と3号が1号の横に並ぶ。
合図はどうする……トリプルゼロ+レベルの数字、1から100。起動時のレベルは10……よし
「合図は『トリプルゼロ』プラス、レベルの数字だ……分かったら押す!」
1、2、3号が腰の前で十字を切り、拳を収める。
……うん、大丈夫だ。
「じゃあやるよ。『トリプルゼロ』」
3体が同時にレベル10のシャドーを始める。
1号も同じ動き――だが、このレベルなら止めておいた方が良さそうだ。
「1号、休憩。こっち来て座ってて」
1号が俺の横に並び、体育座りをする。
それを見た『お今日ちゃん』がすぐさま近寄り、覗き込んだ。
頭を撫で、壊れかけた肩をそっと触る。
正面に立ってパンチの真似までして、まるで遊び相手だ。
その間も2号と3号はレベル10の動きを保っている。
「トリプルゼロ、レベル20!」
二人の動きが一段速くなる。
「地表技とジャンプ技はなし。立ち技オンリーで!」
初心者のお今日ちゃんを案じ、指示を加える。
これは――人間同士がそこそこ本気でやり合うくらいのスピードだ。
「お今日ちゃん……やってみるか」
1号とじゃれ合っていたお今日ちゃんが、ぴたりと動きを止め、こちらを見た。
「えぇ〜、どうしようかなぁ……洋服、汚れちゃうかなぁ〜」
……気に入ってるんだな、その服。くるりと回っても、駄目だぞお今日ちゃん。
「トリプルゼロ――レベル30!」
無詠唱でも、きちんと反応している。
「レベル40!」
土煙がすでに立ち上がる。
「飛んでいい。回転ありで」
残像がちらついた。
……さっきから、この辺りでそわそわしていたよな。横目で見ると――やっぱりだ。
「お今日ちゃん、やってみな。怖くない」
少しずつ、こちらへと歩み寄ってくる。
無詠唱で――「レベル35」
少しだけ落とす。残像は残るが、拳や蹴りの軌道が見え始める。
「まだ早い、入るな」
「レベル30」……「25」……「20」。この辺が一般人の限界だ。
お今日ちゃんは前にステップ、後ろに引き――大縄跳びの“入るか、入るか”を繰り返す。
「19」「18」「17」「16」……まだ……「15」。
入った。
2号のパンチをかわす。――もう一度、かわす。
「2号、レベル14、相手してくれ」
2号が攻撃を仕掛ける。
「飛びや回転はなしだ」――無詠唱で指示。
お今日ちゃんは右へ、左へ、屈み、下がり……一撃ももらわない。
「レベル15」――まだ避ける。
「レベル16」
「2号、飛んで回っていいぞ」
上段回し蹴りをかわし、二段蹴りもいなす。
1・2・3のラッシュ――すべて回避。
「17」……「18」……よし、レベル「20」到達だ。
もう、格闘技を知らない人間族の攻撃なら余裕でかわせる。
ここからは、さらに速いぞ。パンチもキックも、ラッシュはすでに残像だ。
「レベル25」
……おお、避けてるじゃないか。スウェー、ダッキング、ウィービングまでこなしている。
ブロッキング、パーリング――パンチもキックも、当てては避け、当てては弾く。見事だ。
「レベル30」
おおお……お今日ちゃんが完全に残像だけになった。避ける、避ける……
ん? 攻撃はしないのか?
避けに関しては文句なし、だな。
ラッシュの1・2・3・4・5・6――すべて余裕でかわしている。
掌、腕、肩に軽く触れながら避け、ムエタイのように足も使ってかわす。片足での回避すらこなしている。
……なるほど。攻撃するという概念がないのか。
これまで攻撃されることがあったとしても、自分から誰かを攻撃することはない。
動かぬ大樹だった。
『お今日ちゃん』のスウェーやブロッキングを見ていると、なぜか胸の奥が少し締めつけられる。
「レベル31」
それでも、お今日ちゃんは華麗に避け続けている。
「レベル……やめえぇ〜!」
土埃の向こうから、『お今日ちゃん』、2号、3号が姿を現した。
まだ体を揺らしてウェービングを続けている。
止まった2号のボディに軽くパンチを合わせる仕草をして、「キャッ!」と振りを入れ、そのままスウェー――それじゃ可憐すぎるぞ、お今日ちゃん。
「どうだった?」
「ふふっ、楽しいを知ったわ」
「よかったねぇ」
「お洋服、汚れてない?」
汚れている。
けれど大丈夫だ。
華麗で、そして可憐なんだから。
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