幹にもたれて座った。


 ・・どうすっか・・


 単純に床にコンパネを張ったとしても、枝は丸みを帯びている。


 傾斜ができて水平ではない。


 長く生活する上で、きっと気になるだろう。


 それよりも自然災害で、家ごと落ちないようにすること。


 それが、至上命題だ。


 上から森を見渡してみたが、朽木も木っ端も、間伐材すら落ちていなかった。


 伐採された形跡もなく、大樹群と、草原のように美しい草だけが広がっている。


 公園ではないが、きちんと整備された森…そんな印象だ。


 何か、不思議な力で管理されているように感じる。


 だから、木は切らない。


 切れない。


 傷つけないと、決めた。


 そんな森の中で「母の木」と名付けた巨木に、釘を打ち込むことすらできない。


 木を傷めずに、小屋を建てる。


 その計画を、想像しなければならなかった。


 異世界に転生してから、考えてばかりだ。


 電気も通っていない。


 インフラは、何一つない。


 本もない。


 誰もいない。


 商業施設もない。


 行く所もない。


 食べ物すら、ない。


 何も、ない。


 ゼロから「生きる」を始めている。


 前世の記憶だけが巡っている。


 頭を使うことだけが今の自分だ。


 まず、糖分を摂取しよう。


 果糖が思い浮かぶ。


 ブドウで…でも、イチゴが好きだ。


 いちごの品評会で一位を取った品種の種を発芽させ、オーガニック肥料を使い、間引き…水耕栽培で育てた、大きなイチゴを創造した。


 「いちご三個 トリプルワイ」


 デカっ。


 甘っ。


 うまっ。


 二個目。


 うまっ。


 甘っ。


 三個目を食べながら、森を眺める。


 最高の出来だ。


 改めて、今自分がいる三番枝に目をやる。


 ツリーハウス。


 通常、ツリーハウスは密集した木々の幹や枝を利用して、床の基礎を作ることから始める。


 地面の上に小屋を作るのであれば、そこまで悩む必要はない。


 基礎を作って、その上に箱を建てればいい。


 あくまでも、頭の中の話だ。


 実際に建築するとなれば、それはもう、簡単なことではない。


 そして、普通の森であれば木々を選別し、床となる四点の角を確保できれば、

土台となる床梁を固定し、床を張ることができる。


その後、柱を立て、壁と屋根を組めば、小屋が完成する。


 だが、私が建てる場所となる「母の木」は、側に他の木がない一本樹だ。


 もちろん、見渡せば周囲に木々はある。


 太陽の光を満遍なく浴び、立派すぎるほどに育っている。


 その木々を利用して建築するとしたらマンションや商業ビルの規模になってしまう。


 いや、街を整備する規模だ。


 流石に、一人暮らしでは無駄が多すぎる。


 この木は、途轍もなく大きい。


 だが、ツリーハウスに必要な支点となる枝は、驚くほど少ない。


 木の上部には、枝に葉が茂っている。


 しかし、中部から下部にかけては葉も枝も、ほぼ無い。


 主枝から分岐する側枝は、間隔が長く、どちらもかなり太い。


 だが、徒長枝も立ち枝も見当たらない。


 枝に新芽もある。


 だが、それはレアケースのようだ。


 見ていると、なんとも風情があり、かわいらしい。


 しかし、この環境下では、太く長く育っていない。


 鑑賞する枝になっている。


 成長に伴って、上部にエネルギーを割いているのか。


 それとも、この環境で育つ厳しさに、耐えられないのか。


 あるいは成長するのに、時間を要するのか…


 日の光を奪い合わなくても、生息できる土地のようだ。


 あるいは、そういう品種なのかもしれない。


 大樹自体が、自分で調整しているとしても不思議ではない。


 …なんせ、ここは…


 そんな、個を主張しているかのように壮大で堂々たる大樹が立ち並ぶ森に、私はいる。


 その森の中の、どの辺にいるのかは見当もつかない。


 その中の、たった一本の枝にもたれている私は虫のような、小さな存在だと実感する。


 このことから、一本の木で、一本の枝上に家を建てるしかない。


 しかも、太く丸い一本枝に小屋を建てるとなると、悩みは尽きない。


 …地面に建てられたらなぁ…


 日が暮れる前に、一旦下に降りるか。


 「うぅ〜わっ……怖えぇっ」


 これから、ビルの9階から壁伝いに降りるようなものだ。


 まず、左手、右手と順に指を掛ける場所を、慎重に探る。


 がっちり掴んだら、右足を恐る恐る伸ばし、探しておいた窪みに足の指を入れる。


 次に、左足の指も。


 がっちりと、四点でつかまった。


 右足を外し、樹皮を弄りながら下の窪みを探す。


 右足をホールドしたら、次は左足。


 右手を下げ、探してホールド。


 左手を離し、探してホールド。


 右足、左足、右手、左手…下を見る。


 …見てはいけない!


 ホールド部分を探すことに、ただ集中する。


 …本当に、虫人間になっている。


 木の幹、樹皮だけに集中しろ。


 右足、左足、右手、左手。


 右足、左足、右手、左手…


 無事に帰還した。


 本当に、無事に帰れたという気持ちだ。


 腕も、足も、胸も、肩も、腹も、背中も…パンパンだ。


 これは、すごい訓練だ。


 生きて帰れた、その安堵が、胸の奥にじんわりと広がる。


 そして、成し遂げたという充実感が、全身を満たしていく。


 恐怖もあった。


 疲労もあった。


 けれど今は、それらすべてが「生きた証」として残っている。


 すごい。


 本当に、すごい体験だった。


 

 降りてきた大樹から、少し離れた。


 指で、直角三角形を作る。


 目線から地面に対して、底辺と高さを水平に合わせる。


 斜辺が、木の頂点の延長上に重なるように木から後ろへ離れていけば、アバウトではあるが、木の高さを計測できる。


 母の木の高さは、100メートルに届かないくらいだった。


 そもそも、その100メートルも、「だいたい1メートルだろう」という歩幅で計測したので本当に、アバウトだ。


 頭の中に設計図を描くとしても指標、つまり計測が不可欠だと考えた。


 「あのくらい」「これくらい」「あっちまで」「こっちまで」では、らちが明かない。


 コンベックス、メジャー、要するに巻尺が必要だ。


 目盛を読む金属製のメジャー部分。


 ゼンマイバネ。


 ひとりでに戻らないようにするストッパー。


 それらすべてを包むケース。


 それを、頭の中で想像した。


 …そういえば、プラスチック部品もあったな…


 一瞬、戸惑うがビニール製は論外。


 革製や布製のメジャーなら、手巻きでクルクルと収納する巻き尺が作れるだろう。


 ピラミッドの建設にも使われていたと言われている。


 でも…うーん…芸が無い。


 金属製のメジャーとゼンマイバネ。


 ストッパーとケースはアルミの切削加工…できるかなぁ?


 今後のこともあるし、挑戦してみる価値はある。


 それに、メジャーは持ってたし、使ってたし、想像するのは簡単だ。


 正確な目盛りを出すのは難しいけど具現化したメジャーを基準にして計測する分には、個人使用としては何ら問題ありません、だな。


 よし…


 しばらく、瞑想にふける。


 うん…うん…


 左手を用意する。


 「アルミのコンベックス トリプルエックス」


 手のひらに、光が走った。


 ズン。


 「おぅ」


 …かっこいい。


 メジャーを引き出してみる。


 ちゃんと、センチ間隔で目盛りが刻まれている。


 全部、出してみると5メートルだ。


 巻尺を戻してみる。


 市販品のように「シャッ!」とは戻らない。


 でもヌルヌルと、滑らかに戻る。


 ゼンマイバネがな…


 本当は、10メートル欲しかったが、5メートルで正解だ。


 アルミの削り出しってのが、また良い…かっこいいよ。


 しばらく、遊んでしまった。


 遊んでる場合じゃない。


 生きていれば、腹も減るし、喉も乾く。


 ふうぅ。


 「コップ トリプルエックス」


 「水 トリプルワイ」


 一気に飲み干す。


 …暫く、呆然とする。


 幹にもたれ、座る。


 集中力が切れた。


 「腹減ったなぁ~」


 肉が、食べたい…運動したせいか。


 家畜の誕生から、飼育、成長、屠殺までを想像する。


 そして感謝する。


 次に、料理の工程を思い描く。


 一度でも自炊した料理、外食で食した料理、それらは作れそうだ。


 器は木でくり抜いたボウルがいい。


 大きさも、決めた。


 「ヒバのボウル トリプルエックス」


 「ヒバの箸 トリプルエックス」


 出現する。


 ヒバは、ヒノキ科のアスナロという木だ。


 香りが、好きだ。


 それに殺菌作用があると言われている。


 「鶏の唐揚げ トリプルワイ」


 こちらも、イメージ通りだ。


 レタスを何枚か敷いて、レモンはすでに絞ってある。


 醤油派の俺風味付け。


 早速、食す。


 「うまいっ!」


 ご飯が、欲しくなる。


 「筋子のおにぎり トリプルワイ」


 頬張る…もう一個、いける。


 「明太子のおにぎり トリプルワイ」


 左手に、おにぎりと右手に、箸。


 左手が、開いた。


 「ヒバのボウル、トリプルエックス」


 …頭の中で、練る。


 「大根とナスと油揚げの味噌汁 トリプルワイ」


 味噌汁を、飲んだ。


 しみる。


 体中に、染み渡る。


 血となり、肉となる。


 幸せだ。


 …テーブルを作れば、もっと楽しめるな。


 「ヒバのコップ トリプルエックス」


 「氷水 トリプルワイ」


 うまい。


 まだ、氷は残っている。


 「搾りたてオレンジジュース、トリプルワイ」


 うまい。


 …いいのだろうか…こんなに、幸せで。


 職に就いていない私が、簡単に腹を満たしてしまって。


 働かざる者は食うべからず、そう思う。


 でも、人それぞれ、自分の置かれている状況を、どうするかが人生なのかもしれない。


 …今は、考えないようにしよう。


 目の前にあることを、解決しなければならない。


 「ボウル大小、箸にコップ、トリプルゼット」


 ヒバの食器類は静かに消えた。


 メジャーが気になっていた。


 母の木の幹を、ぐるっと計ってみることにする。


 地面と幹の始まり部分は、山なりになっている。


 ゆるやかになった部分の地上160センチで測る。


 一番枝を見上げ、端っこから垂直に落とした地点を、起点とした。


 起点のゼロに、メジャーの先端を指で押さえ、引き出す。


 指で押さえながら2メートル、4メートル、5メートル。


 メジャーをヌルヌルと巻き取りながら7メートル、9メートル、10メートル。


 それを3回繰り返し、33メートル、34メートル、40センチ。


 約34.4メートルか。


 ヌルヌルと、巻き取る。


 えぇっと…目をつむり、意識を深く沈める。


 A六版くらいのキャンパスノートが、記憶の棚から滑り出す。


 無地でいい、罫線はいらない。


 鉛筆…木材と炭だな。


 削られた先端が、すでに書く準備を整えている。


 「メモ帳と鉛筆 トリプルワイ」


 手のひらに、すっと現れた。


 表紙をめくり、一枚目に「34.4 ÷ 3.14」鉛筆の芯が、紙の上を滑る。


 10.955…約11メートルか…


 幹周・・34.4メートル。


 直径・・11メートル。


「うん」


 数字が、木の姿を浮かび上がらせた。


 鉛筆の芯が心配だ。


 右手に鉛筆を握り、この太さにプラス0.05ミリの精度で…


 「鉛筆キャップ トリプルエックス」


 左手に、すっとキャップが落ちた。


 鉛筆にハメる。


 「ちょっときつめで、Good!」


 スリットも入れてある。


 空気が抜け、圧が逃げる。


 機能は、成している。


 ノートに鉛筆をはさみ、カーゴパンツの右ポケットへ。


 ポケットの上から撫でるが感触は、ない。


 もう一度、手を入れるとノートに触れた。


 意味もなく取り出して、存在を確かめ、すぐに戻す。


 一度、右太ももを上げて、ポケットの上から触るが、やっぱり感触はない。


 アイテムボックス、すげぇなぁ。


 日が傾きかけている。


 うっ……うう。


 クソしたい。


 穴を掘って、ワラをかぶせて、コンポストみたいなことをしてる場合じゃない。


 ワサワサ、ワサワサ。

 

 そうだ。


 「冷蔵庫の段ボール、森の柄塗装、縦置き トリプルエックス」


 本来は横開きが正解だが、今は余計なことを考えるな。


 洋式便器を思い出す。


 穴の空いた木の椅子、それが今の理想形。


 「頑張れ!頑張れ!」


 「便器椅子 トリプルエックス」


 うむっ、いい出来だ。


 浄化槽なんて、今は考えられない。


 40フィートコンテナの大きさを思い浮かべる。


 すべてを“空間”として認識する。


 …空間は縮小するが、容積は変わらない、そういうルールを設定した。


 細かい仕様は考えない。


 「頑張れ!頑張れ!」


 …いや、やはり浄化システムは必要だ。


 第一波を突破した。


 急ぎながらも、貨物コンテナ型アイテムボックスの小型化に成功。


 最後に、排泄物を浄化し、残留物を高温で乾燥させ、粉状にするまでの浄化システムを組み込んだ。


 先ほど出現させた便器椅子は、一旦「Z Z Z」で消失。


 温水洗浄機能を組み込んだ2号器を開発した。


 仕組みは簡単だ。


 とある木の上に貯水槽をイメージする。


 重力の原理を利用し、細いノズルから、ぬるま湯が飛び出る。


 一度、文明の利器にあやかってしまった体は欲してしまう。


 ノズルの出し入れは


 「トリプル ダブリュー W W W」で現れ、水が出る。


 「トリプル ブイ V V V」で引っ込む。


 トイレットペーパーは「Y Y Y」で再現。


 紙を捨てても、浄化システムが分解してくれる。


 さて…ドーパミンとエンドルフィンでも出してくるか。


 段ボールで作った仮設トイレは、驚くほど快適だった。

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