第26話 ある村にて

 十日目の夕方、もうクタクタだった。

 私も、リュックも、イライザも。


 アンリ王子ったら「王都絶対防衛線の内側には魔族は出ない」と言い張って、私たち魔法使いにとんでもない命令を出した。


 総勢五百人になろうかという軍隊全員に「速歩」の魔法をかけるようにと……。

 エクトールが、貴重な魔法使いをそんなことに使うなと言ってくれたのだけれど、王子は聞く耳を持たない。


「少しでも早く、前線に着いて戦果を上げたい」


 その気持ちは分かるけど、だからって……。


「殿下、『速歩』の間は防御力が落ちます」


 リュックの言葉もどこ吹く風。


「まあね、魔族は防衛線の向こうだから」


 と、イライザ。

 お供に作らせた濃厚なスープと、ハムを挟んだパンにご満悦だ。


「オーロールはビスケットと干し肉ばかりだな」


 リュックが温かいお茶を分けてくれた。


「ありがとう」


 代わりにアンズを渡す。


「防衛線はおよそ北緯五十五度。よく十日でここまで来たものだ。エリゼもそうだったが、魔法使いというのは大したものだ」


 エクトールが励ましてくれたけれど、それより休みたい。

 元気があれば障壁を張ってその中で眠るのだけれど……。


「テントを一つ融通してもらえないか、王子に頼んで来てやろう」

「やったわ!」

「助かります」

「ありがとう」


 ヘトヘトの三人組が口々に礼を言う。


「なに、王都絶対防衛線までは道が続いていて俺の出番も無いし」


 兵士たちやアンリ王子とは馬が合わないのか、エクトールは暇さえあれば私たちと雑談している。


「奇妙なのはアンリ王子が西寄りの道を取っていることだ。このままでは、防衛線の西の端を通り抜けてて緩衝地帯に出てしまう」

「……エクトールさん、防衛線の本部には寄らないんですか?」

「……かもしれない」


 がっかり。

 お父様に会えると思っていたのに。


 翌日もさらに翌朝も、鉛の入ったような足を引きずりながら行軍する。

 重い! 五百人分の「速歩!」、これがもう限界かも。

 やっと夜になってテントに寝転がっていると、


「……変だな……オーロール、念の為に『展開!』を頼めるか?」


 夜の星々を背にエクトールが頼んできた。

 この体調で大魔法を使うのはおっくうだったけれども、水筒の蓋に水を注ぎ、


「展開! 水面のごとく!」


 さあぁっと光の薄膜が広がり地平線とほぼ同じ線を銀色に輝かせた。


「おお……」

「……ごめんなさい、長くはもたないの」

「分かった。急いで測る」


 エクトールは北極星に向けて六分儀を構えた。

 円弧の部分に緯度を示す目盛りがついている。その数値を読み取ると、


「五十七度。やはり防衛線の外にでている」

「魔族が来るのか?」

「可能性は十分にある。気を付けろ」


 イライザがプンプン怒る。


「こんなに疲れていては、癇癪玉ほどの魔法も打てないわよ」

「二人は、僕がこの剣で守る。それに兵士たちだって……」

「……彼らも、この強行軍で疲れているわ」

「アンリ王子……なにを考えているんだろう?」


 翌朝、エクトールが直接警告したのに、


「これで良い」


 と、アンリ王子は耳を貸さなかった。


「そろそろ敵が近い。『速歩』止め」


 私を含め、魔法使い三人組が安堵のため息をもらす。

 もう限界。

 道端に倒れて休みたいくらいだわ。


 でも、行軍は続いて……。

 現れたのは普通の農村。

 牛の鳴き声もしている。


 ただ……。


「よく見ろ、スライムだ!」


 たわわに実ったモモの木に黄緑色の粘液が絡まりついていた。

 熟れたモモを次々と体内に送り込んでいるのが半透明な身体を通して見える。脈動する姿は剥き出しの内臓のようで、気味が悪い。


「殿下! 魔物発見! スライムです」

「討伐しろ。火を使え! そこの……」


 イライザが回復薬の小瓶を口に当てた。


「ご期待に沿わなくちゃ」


 中の液体を飲み干すと、彼女がみるみる元気を取り戻すのが分かる。


「殿下! 炎魔法で一撃ですわ」

「やれ!」

「はい!」


 構えた杖から激しい火炎が吹き出す。

 イライザの炎はモモの木ごとスライムを焼き尽くした。


「一つ、戦果が上がったぞ!」


 アンリ王子が白馬の上で狂喜乱舞している。

 え、あの、スライム一体ですよね……ダンジョン・アタッカーは無視して行く程度の……。


 そこへ、どう見ても普通の農民が転ぶように走ってきた。継ぎの当たった膝を大地について、


「お願いします、このままにしておいてください。私たちはシャンドリュー王国のさる侯爵領から、重税を逃れてここに住み着きました。魔物に収穫物の一部を食われるのは承知の上で、魔物と共存しているのです」


 村長らしい訴え。


「心配要らん。魔物を退治して、もっと住みやすくしてやろう」

「そんなことをすれば、もっと強い魔物が……どうかお止めください」


 イライザが嬉々として報告する。


「あの泉、水精の姿がみられましたわ。放っておいてはいけません」

「ああ、それは泉を守ってくれているだけで、悪いことは何も……」


 アンリ王子がニヤリと笑った。


「泉に油を流し込んで火をかけよ」

「そんなことは止めてください。私たちが水を使えなくなってしまいます!」


 私は、聞いていられなくなって前に出た。

 私の母が海の精霊の末裔ならば、この水精とも遠からぬ縁がある。


「……殿下、水精など放っておいて先に進みましょう。殿下にふさわしい強敵が、きっと現れます」


 一気に言い切って目を閉じた。

 聞いてもらえるかどうか……。


「ふむ、それもそうだな。村長、他に魔物は居ないか?」

「北の森から小鬼が出て悪戯をしますが……」

「よし、それだ! 全員、北の森へ」


 私には村長がつぶやくのが聞こえた。


「一番怖いのは人間だ。生かさず殺さず税を取る……こんな人間に見つかってしまったら、この村もおしまいだ……」


 私たちは余計なことをしてしまったのかもしれない。モモの木だって、実をスライムに食べられても木そのものは生きている。でも、私たちは木ごと焼いてしまった。


「麦は無いのか? お前たちのために戦ってやるのだ。供出しろ」


 荷駄隊の隊長が命じる。


「お止めください。収穫直後なので、今はありますが、冬を越して次の収穫を迎えるまではギリギリ……」

「あると言ったな」

「……いいえ!」


 荷駄隊の兵士たちは農家を荒らし始めた。

 女性の悲鳴も聞こえる。


 私は耳を塞いだ。

 ひどい。

 ここの人たちは魔物を退治して欲しいなんて言っていないのに。


「……オーリィ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

「リュック、おかしいわ。私たち、こんなことをしに来たの?」

「魔族や魔物との共存は無理だよ。被害が小さいうちに根絶しないと」


 エクトールの大きな影が、私たちの上に落ちた。


「オーロール、お前の言う通りだ。これは魔王との戦い方じゃない」

「エクトールさん、どうしたら良いの?」

「俺は知らん。行き着くところまで行くしかあるまいよ」


 ああ……。


 アンリ王子が入って行った森から歓声が上がった。

 逃げ出してきたのは、腰布一つの小鬼たちが数人。


「囲め! 逃がすな!」


 王子の白馬の蹄にかけられる小鬼。

 悲鳴は人間そっくり。

 兵士たちの歓声。


「お願いです。彼らを見逃してください」


 村長が白馬に取りすがる。

 

「少しばかり畑や羊にいたずらをしますが、人食い鬼や巨人が来るときには私たち人間に教えてくれるのです。それで逃げられるので……」

「小鬼などを当てにせず、シャンドリュー王国軍を頼れば良い」

「王国軍には見捨てられました。防衛線よりも向こうの者など知らん、と」


 アンリ王子は村長の顔を蹴った。


「邪魔立てするな!」


 そして馬の首をかえすと、


「他にいないか? 人食い鬼も近くに居るかも知れん、よく探せ」


 ツインテールをなびかせたイライザが、座り込んだ私の前に、トンッと杖の先を突いた。


「さあ、私たちも殿下に協力して魔物を探すわよ」


 嫌だわ。こんなやり方って。

 統制も何もないじゃない。

 魔王ダリオンだって、無力な私を見逃してくれたわ。それなのに。

 

 これはダンジョン攻略でもなんでもない。

 エリゼ先生が見たら軽蔑するわ。


「イライザ、ごめんなさい。私、協力しないから」


 言ってしまった……。

 




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