第34話 11月2週目

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ

 必死で付いて行く。好きな人の背中を見ながら、懸命に漕ぐ。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ

 苦しさが快感に変わってゆく。ペダルを踏むのが楽しくてたまらない。


 乗用車には慣れた、トラックは少し怖い、バイクはとても怖い。

 だけど、一人じゃない。夏生さんを追っていれば、大丈夫。怖いけど大丈夫。


「今日はここまでにしよう」


 止まった信号で、夏生さんが言った。


「もっと行けます」

「戻らなきゃならないから、ここで折り返す」

「はい」


 一旦帰って、支度を整える。


「秋子、明日の出勤服を持って行こう」

「持って行く?」

「今日の折り返しポイントが、会社に来る道の丁度半分なんだ。明日は、そのまま直進して、自転車で通勤をしよう」

「わぁ!」


 嬉しかった。


「今は時期がいいからあれだけど……夏は汗だくになるぞ」

「はい!」


 夢にも思わなかった。夏生さんとロードバイクで会社に行く日がくるなんて。


 会社に着いたら役員に割り当てられている個室に向かう。

 小さいけど、作り付けのクローゼットに明日の仕事着を掛ける。


「楽しみだわ」


 デスクに座り、書類を確認していく。

 ロードバイクのクラブチームから大会の遠征申請が来ていた。

 10年前、夏生さんに監督を就任していただいてから、各大会のスポンサー協力をしてきた。


 発足するときには、維持費が宣伝広告費に見合わないと父に言われたが、化学調味料の我が社は、アスリート向けの食品会社や、スポーツドリンク、走りながら食べやすいタブレットなど、多くのスポーツ用食品との提携をしてきた。それらは、期待以上の成果を出してきたと言える。


 私はこれまで、クラブチームの活動そのものには携わってこなかったけど……行ってみようかしら、という気になる。


 押印をし、隣に置く。

 次の書類に目を通す。

 押印をし、隣に置く。

 次の書類に目を通す。


 繰り返しているうちに暗くなった。

 夏生さんに帰りの車で聞いてみる。


「今度のロードレース、私も同行してもいいですか?」

「これまた……」

「お邪魔でしょうか?」


 夏生さんは黙ってしまった。呆れられたかしら。


「夢みた、い、だ」

「え?」

「自転車は一人で走るのが基本だし、誰かと一緒じゃなきゃならない何てことはない。だけど、最近、秋子と走っていて、とても楽しいんだ、だから、秋子がロードバイクを好きになってくれたのが嬉しい」

「走り方を教えてくれて、ありがとう、夏生さん」




 いよいよ、初、自転車出勤の日。天気は文句なし。


「今日は、折り返さないからな」

「はい」


 1時間近く走り続けた。

 休憩はなく、息が切れて、着いたときには足がフルフルと震えた。

 自室でスーツに着替える。


「結構、消耗したわ。今日は仕事になるかしら……」


 走っている量は、昨日までの折り返しコースと変わらないはずなのに、どうしてこんなにだるいのかしら。


 不思議に思いながら、かろうじて業務を終わらせた。


「秋子、飯食って帰ろう」

「お魚が食べたいわ、あの大きな……」

「ホッケか?」

「ほっけ、ね」

「知らなかったのか?お嬢様だからな」


 からかっているのね、無視しましょう。


「ホッケを食べに居酒屋に行きましょう」

「おう?無視したな?」


 そう言って、夏生さんが私のわき腹を突っついた。


「やめてよ」


 笑いながら交わす。


「なんで、無視したんだよ」


 夏生さんが絡みついてくる。


「やめてくださいってば」

「ずいぶんと仲がいいじゃないか」

「「社長!」」


 パッと離れて、きをつけした。


「仲がいいのはいい事じゃないか、構わないよ」


 父は、にやっと笑って行ってしまった。


「ビックリしたわ」

「驚いたな」


 くすくす笑いながら、手を繋いで居酒屋に向かう。

 結婚して5年経つのに、今更ながら、新婚の気分だわ。


 会社を出たところで、林田さんに会った。


「誘ってもいいか?」


 夏生さんの言葉に、頷いた。


「林田君、一緒にどうだ?駅前の居酒屋だが」

「あの……原田も誘っていいですか?」

「私は構わないけど、秋子は?」


 夏生さんに話を振られた。


「ええ、是非」


 林田さんは嬉しそうにスマホを手に取った。


「きっかけがないと、最近、声かけ辛くって……」

「君も、大変だな」


 電話を切った林田さんが嬉しそうに話している。


「先に行ってて欲しいそうです。ウェア着ちゃったから、着替えて来るって」

「そうか」


 男性二人が並んで歩く後ろを、付いて行く。


「原田さんと、その後は?」

「全くです。なんか避けられてるかもしれません」

「なんかしたのか?」

「なんもしてないです」


 二人はコイバナをしているの?



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