第18話 7月2週目

 今日は、エヴォー=レ=バン、フランス中南部のに来ている。

 ここは田園風景が広がっているが、向かっているのはツールドフランス第11ステージとなっている、山岳地帯で標高が高いところだ。


「頭痛くないか?」

「ええ。大丈夫」

「高山病が怖いから、ちゃんと水分取れよ」

「はい」


 運転に集中したいが、秋子の体調も気にかかる。

 結局、ステファンに一緒に来てもらってよかった。

 私と二人では、秋子を退屈させてしまっていただろう。


 適当なところで、車を停め、ポイントまで歩く。

 秋子はちゃんとスニーカーを履いている。


「AKIKO、帰りにアイスクリームを食べに行こう」

「そうしましょう」


 二人は夫婦と言うよりは、姉妹のように見える。

 カップルという概念は……かろうじて、成り立つ、と思う。


「この辺でいいかな」


 タブレットで、レ―スの速報を確認しながら、草の上に立って待つ。


 右奥の方から、歓声がどんどんと大きくなってくる。

 派手なウェアの選手が一気に駆け上がってくる。


「フォウフォウフォウフォウ!」


 ステファンが大きな声援を送る。


 目が釘付けになる。


 先頭集団を少し引き離した二人が、トップ争いをしている。


 行け!行け!


 目の前を通過した瞬間、一人が圧倒的に加速し、他を引きちぎった。


 こうなるともう追い付けない。


 ぐんぐんと引き離しながら走って行ってしまった。


 その男には見覚えがある。


 10年前、私に引退を決心させてくれた、当時、新星と呼ばれ、デビュー戦で華々しく新人賞を受賞した選手だ。


「彼、更にすごくなってるね」


 ステファンの言う通りだ。

 20代前半だった彼は、今、30代になっている。

 当時、その歳で限界を感じた私とは対照的に、彼は今、尚、成長しているようにさえ思う。


「ああ、素晴らしい」


 もう消えたと思っていた、体の奥深くにある熱が帰って来るようだった。


「NATSUKI?」

「大丈夫だ」


 秋子を探す。やはり、ロードバイクに夢中になると、秋子を見ていない。


「ここです」


 少し離れたところで、草に座っている妻に駆け寄る。


「気が付かなくて、ごめん。具合が悪いのか?」

「少しだけ……こうしてれば大丈夫です、見ててください」

「いや、もう先頭集団は過ぎたから、帰ろう」


 フランスの田園風景は美しい。

 どこまでも広がる、緑のパッチワークのような草原に、アクセントのように置かれている、赤い屋根の家。この景色は昔とちっとも変わっていない。




「明日は、温泉に行こう!」

「そうしましょう」


 昨日、二人の提案で急遽、決まったプランだ。

 近くに温泉施設があるというので、やって来た。


「AKIKO、NATSUKI、水着を着てみんなで入るんだって。これは温泉じゃなくて、プールだよな?」

「なんで、がっかりそうなんだ?ステファン」

「なんとなく……男の裸の付き合いってやつに憧れてただけだ」


 水着に着替えて来た秋子を見る。


「水着も持ってきてたんだな」


 思わず、笑う。


「だって、ホテルにプールがあるかもしれないし……伊達に大きな荷物を持ち歩いてるわけじゃありませんっ」


 肩まで真っ赤だ。


「褒めたんだよ」

「もうっ、意地悪ないい方しないでください」

「ごめん、ごめん」


 笑いながらプールに向かった。

 熱いのは好きじゃないという秋子に合わせ、一番温いプールに入った。


「連れて来てくれてありがとうございます」

「楽しんでもらえてるといいけど」

「とても楽しいです。もう、ずっと」


 ステファンが居るからか?と聞いたら、どんな顔をするのだろう。


「ステファンはどこでしょうね?」

「気になるのか?」

「ええ、まぁ」


 ポカンとこっちを見ているが、何を考えているんだ?


「AKIKO!近くに有名なアイスクリーム屋さんがあるんだって!後で行こう!」

「そうしましょう」


 ステファンが温いプールに入ってきた。


「NATSUKI、サウナに行こうよ」

「ああ」

「私は、外の風に当たってくるわ。お二人でどうぞ」


 日本ほど熱くないサウナに入った。


「秋子は熱いのが苦手なんだ」

「あー、そんなこと言ってたね」


 知ってたのか。


 秋子がずっと楽しいのは、ステファンのお陰なんだろうか。

 私は二人の邪魔をしている気分だ。


 ふいに、林田君の事を思い出した。

 私に好意を寄せる原田さんの気持ちを知りながら、見守り、励まし、力を貸そうとしていた。彼は一体、どんな気持ちで原田さんと一緒に居たのだろう。


「AKIKOって可愛いよな」

「ああ」

「大切にしないと天罰が下るぞ」

「ああ、気を付けるよ」

「そこは、『そんな心配はいらない』って言うところだぞ、NATSUKI」


 ステファンは私の背中をバシバシと叩いた。



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