第7話 4月3週目
完全に、櫻田さんに冬馬を取られてしまった。
ま、そもそも冬馬は私のものでは無いのだけど。
新人についた教育係が、櫻田さん・冬馬ペアで、ずっと一緒に行動をしている。
私は唯一のバックオフィスに来た新人さん、川口さんの教育係だ。
「櫻田さん、林田さんにべったりですね」
「羨ましい?」
「そういうわけじゃ……」
「私で、ごめんね」
川口さんは人当たりが良くて、気が利くから、この仕事に向いてると思う。
「さぁて、今日も納期調整、一緒にがんばろーね」
「はい!」
今日はドシャ降りで、客足は望めない。
営業も含めて、各自、書類整理に追われる。
決算セールで成約した案件も片付きつつあって、業務の流れが通常モードに切り替わりそうだ。
定時に業務を終え、傘をさして、出口で時間を潰す。
何時に出てくるか分からないけど、夏生さんに聞いてみようと思うことがあった。
夏生さんは、だいたい、いつも同じ時間に出てくるけど、今日もそうとは限らない。
雨で自転車では来られないから、出社した確認が出来なかった。
「あ」
自転車無くてもすぐに分かった。
がっちりと大きい体で、姿勢がいい。
なぜかライトが灯っているような、少し明るく見えた気がした。
バクバクしてきた。
目の前を通り過ぎる。
暗いからかな、私に気付いてない。
「あ、の……」
雨が傘を叩く音で、私の声がかき消されたのだと思う。
夏生さんは、こちらを見ることなく、行ってしまった。
「おい」
雨に負けない声がした。
「冬馬」
「俺の愚痴に付き合え」
ドシャドシャと降る中、無言で歩いた。
どうせ、会話など聞こえない。雨、うるさい。
「いらっしゃいませ!あざーす!もう、今日、林田さんたち来てくれなかったら、客ゼロでしたよー」
「頑張ってきてよかったーね、冬馬」
笑いながらテーブル席に着く。
「今日は、仕入れも上手くいってなくて、刺し盛りなら、いいのが出せるんっすけど」
「じゃあ、それと、すぐにつまめるの、何か、とビール二つ」
「冷奴とキムチの盛り合わせでいーっすか?」
「それで」
なんか、苛ついてる?機嫌が悪そうな冬馬。
「愚痴りたいの?」
「あの新人、嫌、担当したくない」
「櫻田さん?いい子そうじゃん」
「ちっとも使えない」
届いたビールを一気に半分、飲んでしまった冬馬。
「大丈夫?」
「いーや、だいじょばない」
「重傷だね」
冷奴が一人一つ出てきてしまった。お腹冷えそう。
「冬馬の毒舌、炸裂させていいよ。今日は私が聞き役するから」
「頼むよ。あれは、酷いなんてもんじゃないんだよ。出来ないって言うより、やろうとしない、違うな、覚える気が無いんだよ、むしろ、覚えないようにしているとさえ、言える」
おーおー、怒ってる、怒ってる。
「でも、今週でお終いでしょ?」
「それがだよ!あの部長ったら、ちゃんと覚えるまで、研修を延長するとか言い出したんだよ!俺のせいじゃないだろ?」
笑ってしまった。
「なに、笑ってんだよっ」
「一緒にいたいんだよ」
「は?」
「櫻田さん、冬馬との研修終わりたくないから、覚えてないふりしてるんだってば」
肘ついて、鼻の穴ひろげて怒ってる冬馬が面白い。
「なんだとっ!」
一瞬立ち上がりそうになって、ちょっと上見て、何か考えている様子。
心あたりがあるはずだ。
「迷惑」
「ひど」
私に言われた言葉じゃないけど、勝手に傷ついてしまった。
夏生さんへの想いを、「迷惑」と言われたら悲しい。
「なんか、寒くなってきたから、熱いの飲まない?」
「いーね。俺も足元冷たくて、寒いわ」
焼酎のお湯割りに、梅干しを入れたのを頼んだ。
「お前、さっき、あそこで何してたの?」
「夏生さんに聞きたいことがあって、話しかけようとしたんだけど……」
棒で、梅干しを突っついて壊す。
「声が小さかったのかな。聞こえなかったのかもしれない」
「ポジティブなのはいい事だと思うけど、それはないだろ」
「だよね」
聞こえてて、無視されちゃったんだとしたら、やっぱり迷惑なんだろうな。
「なに、聞こうとしたのか聞いていい?」
「うん。自転車の話……聞かせてください、って言ってみたかったんだけど……」
冬馬の梅干しトントンの手が止まった。
「おま、自転車買うの?」
「うん、買おうかなって」
今日は、冬馬のおもろ顔がよく見れる。
「正気かよ?!」
「え?なんで?」
「キャラ違くない?」
「夏生さんに寄せていこうかと……はは」
帰り際に「風邪ひくなよ」と冬馬が言ってくれたけど、翌日はまんまと熱を出してしまった。
先月から忙しくて、疲れも溜まっていたのだろう。
4月に支給されたばかりの有休を早速使って休んだ。
布団を被ってスマホを叩く。
最近、よく見てる、自転車のサイトを開く。
夏生さんの乗ってるのはめっちゃ高い、50万円以上する。
私は安いのでいいけど、同じメーカーのは、それでも20万円くらいする。
ま、何とかなるか。
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